昇り降りの日々

学務様が見てる

アイの上澄み

精製された真っ白な砂糖を、毎日小指に少し取って味わっている。

その味は混じりけの無い「甘さ」そのものだ。

だからこそ他の物と混じりあい、新しい味を生む。

でも僕はそうしない。

ただ甘いだけのそれを、毎日毎日、少しずつ少しずつ消費するだけだ。

足りなくなったら金でそれを手に入れて、また少しずつ消費する。

 

商業の無い世の中には、精製された甘さはきっと存在しない。

ただそこに人と人がいるだけの世界では、真っ白なそれに苦汁だって辛酸だってまじる。

とても短い時間スケールを取るなら、精製された甘さに近いものを味わえるかもしれないけど、生憎人間は過去を振り返ることのできる記憶能力があるので、大体それよりも十分長い時間スケールをとる。

 

僕は、愛のうわずみだけを掬って出来たそれだけを意図的に摂取している。

けどその底には、黒く淀んだ泥のようなものが溜まっている。

「人」と向き合うなら、その上澄みも底の泥も飲み干す覚悟がいる。

残念だけど、今の僕にはその覚悟がない。

泥でさえも精製されたものを用意して、たまに怖いもの見たさに口に含んで吐き出す。

 

そろそろ瓶が空になってきた、また買いにいかなきゃ。

雨空に願いを

七夕の星には色々な思い出がある。

いつか誰かと見上げた空を何となく見上げて、天の川があるはずの方角には雨雲しかない。

今となっては方角もわからなくなったので適当な方向を向いてるだけだけど。

 

思えば、僕の人生は常に星に導かれていた気がする。

一番星、オリオン座、南十字、そして夏の大三角

意味もなく海の見えるあの丘に行っては、白鳥座が向かう先に何度も同じ事を唱えていた。

弱々しいアルタイルの光を、何の目印もなしに今の僕は探せない。

それくらいに空を見上げなくなった。

 

雨に濡れて帰る夜の道で、そんなことを思って空を見上げてみた。

そういえば雨の日に空を見上げたことがなかった気がする。

自分の天頂から、放射状に雨が降ることを初めて知った。

イヤホンを外してみると、絶え間なく響くサーっという音に、たまに混じる水滴の落ちる低い音が不規則に響く。

よく耳を澄ましてみるとサーっという高い音にも草葉を弾く音、地面を叩く音、排水溝を流れる水の音が混じっていて面白い。

 

帰り道の最後の坂道で、ひとつだけ枯れずに残っているガクアジサイを見つけた。

茶色く朽ちていく回りの花々のなかで一際映えて、いつかこんな風に自分もいつか花が咲く日を待っている。

待っているだけでは、それはやってこないけど。

 

この雨がやんだら、今夜の一番星がきっと見えたら、その逢瀬が僕にも許されますように。

この七夕を少し過ぎた願いが、きっと叶いませんように。

それでは夢でお会いしましょう、おやすみなさい。

無加工のキモチ

自分の心の底から湧き上がる感情を外部に吐き出す時、普通はそれを適切な形に加工して吐き出す。

適切な形というのは例えば他人への配慮、打算、損得勘定、その他諸々を考慮した形だ。

でもたまに、そういった加工ができない人間がいる。

その中でも「負の感情」を加工なしで撒き散らす人間はよく見るのだが、本当にごく稀に「正の感情」を加工なしで吐き出せる人間がいる。

なんでだろう、彼ら、彼女らには「人にみられている」という意識が働かないだろうか。
「発言の効果を最大化したい」という打算はないのだろうか。

僕は人生で2人だけそういう「加工が下手くそな善人」にあったことがある。
はっきりいってしまえば「バカ」だと思う。
奴らはなんの悪びれもなく、己が心に湧き出す愛を無加工無添加のまま吐き出す。
でもそれが痛いのだ。
自分に向いているものではないけど、それが存在していて他人に届いている、その事実が僕を苦しめる。

人の目が怖いよ、効率よく生きたいよ、人によく思われたいよ、一度でさえも失敗したくないよ、誰にも嫌われたくないよ、そんな気持ちが僕の心と口の間でたくさんのフィルターとして存在していて、最後に口から吐き出される頃にはなんの個性もない、中身の伴わない「言葉のふりをした音」となって出てくる。

本物の言葉を吐けるのはごく限られた人間だけだ。
いつか僕も、そんな単純バカになりたいけど、一生人に怯えながら生きていくような気もする。

君の感情を食べたい

大きな感情に押し流されて、ほんの少しだけ背筋が伸びる。

あと一歩の後押しを、血肉になった感情が手助けしてくれる。

でも今日は大きめの感情を食べ過ぎてしまった。

一杯食べて大きくならなきゃいけないけど、やっぱり食べ過ぎはよくないらしい。

明日に備えて今日はおやすみ、皆勤賞を目指すよ。

体験に基づいた巨大な感情の溢れた文字の羅列

文字の羅列に心臓を殴られた感覚がして眠れない。

『人ひとりの人生ではありえないほどのこと』、そんなものがこの世界には存在する。

どれだけ「ひとり」の人間がもがいても絶対に届くことのない、果てしなく大きな何か。

それに触れてしまった人間の中にとどまることができず溢れだした沢山の感情が文字になって僕のなかに流れ込んでくる。

想像ではなく、実際にそれに触れたことがある人間にしか見えない景色、温度、感情。

今の僕には絶対に手に入らないもの。

僕がずっと欲しいと思っているもの、それは何かに真剣に向き合い続けた結果得られるものだ。

それを忠実にやり続けた、彼女たちの勝利だ。

僕たちは 人一人が抱えられないくらいの感情が溢れた文字を、一時の感動の道具として消費するしかないのだ。

それが「人ひとりの人生」にスケーリングされた限界だから。

たった1時間心を殴り続けて、僕の中には定着できずに流れていく。

それが僕の限界なのだ。

 

眠ってしまうとこの感情が消えてしまいそうで怖い。

きっと明日の僕はこんな感情があったことも忘れて、だらだらと日々を浪費して生きていってしまう、その未来が何よりも恐ろしい。


僕はあと、どれくらい生きられるんだろう。
どうか、どうか行かないで、きっとその世界に追い付きたい、その体験で、僕を殴り続けてくれ、どうか、どうかまだ僕の近くにいてくれ、でも誰よりも早く遠ざかってくれ。

ひとととと

人と仲良くしたいな、と思うことがある。

かなり高頻度である。

でもまず人間同士間にある障壁を越えられない。

そもそも自分で障壁を作ってしまっている。

 

仕事で人に話しかけに行くのにも、5分くらいかけて感情を作ってから行く。

惨めにもほどがある。

 

じゃあ仮にその障壁を克服したとして、人間と仲良くなれるかもしれないが、それを維持できるだろうか?

僕の人間関係維持は、正直100%ツイッターに頼っているところがある。

多分Twitterがなかったら僕に友達は一人もいない。

 

それでも、人と仲良くなりたい。

アガペーの語源になりたい。

止まらない欲求。

俺はLOVE。

I need your love

一日中寝ていた。
十時くらいに起きて、二度寝して、三時くらいに起きてツイッターして、音楽聴きながらぼーっとしてたらこんな時間。

ツイッターを見ながら、僕の「好き」を支えているものはなんなのかをずっと考えていた。
定期的にこれを分解して、分析して、また組み立て直さないと何が好きなのかわからなくなるし、歪んだ形で好きなものを見るようになってしまう。
今日もそれをやったけど、うまくわからなくなってきた。

少なくとももうデレマスを追う気はあんまりないなぁ、という気持ち。
3年で物事に飽きてしまうことを自分はよく知っているが、あそこまで熱中していたものをこうも簡単に捨てられてしまう自分が少し嫌だ。

じゃあ今の好きなものを分解したらどうなるんだろう、ってなると割と今までよりも複雑な構造になってるっぽい。
同じコンテンツが持つ二面を、別の方向から好きになっている。
そしてその二つは割と相性が悪い。
どこを向けばいいんだ、と思うけどそこらへんをうまく擦り合わせて一つのものにしていくか、それとも別のものとして好きになるか、そこら辺選ばないと苦労しそう。

風が吹けばその方向を向く風見鶏のように、弱い自分は人の意見を見ると平気で流されてしまう。
その世界のスタンダードに収まろうとしてしまう。

ずぶ濡れで僕も泣いてしまって、涙目で浮かぶ昧の浜。