昇り降りの日々

そっとしておいてください

めっちゃ車が欲しい

タイトルの通りです、めっちゃ車が欲しい。今バイクに乗っているのだけど、飽きたわけじゃなくて別の楽しみが欲しくなってきた。何なら大型バイクも欲しい、免許ないけど。ラボのパソコンで中古車漁るくらいには欲求が爆発している。

長距離巡行はやはりバイクより車が圧倒的にいい。車があればいつでも失踪できる。疾走できる。気軽にばあちゃんの家に遊びに行きたいし、軽率に土日観光に行きたい。友人のところにも気軽に行ける。何なら車でオタクライブに行きたい。

後は音楽が聞けるのがいい。バイクは危ないので音楽は聞けない。これはかなり大きい。

ただ欲しい車への要求が高すぎて、いい車が見つからない。

 

その1、ある程度安いこと

新車とか買えない。300万もないし、あと五年学生をやるつもりなのでローンがしんどい。オタク趣味もあるし。保険も考えるとあんまり強い車にするとまずい。一人暮らしだし実家からの支援もないので結構条件がしんどい。

 

その2、めっちゃ加速してほしい

これは友人のランエボに乗ったせいだ。2.0L、4WD、ターボを併せ持った、シートにたたきつけられるような加速が忘れられない。加速で言ったらランエボインプレッサが庶民の買える車の最高峰といえるので、この二台のうちどちらかを買えばいいのだが、維持費が高い。その1が満たせない。

 

その3、かっこいい

そのままである。絶対セダンがいい。妥協してスポーツコンパクト。ミッションはMTがいい。単純明快な理由だ。内装もかっこいいのがいいので、できるだけ新しいのがいい、めっちゃ光ってほしい。

 

こう書き連ねると、僕の要求は「柔らかくて丈夫なコンクリートが欲しい」と言っているような感じである。その1の条件がなければ買えるんだけど。すべては金がないのが悪い。

あと1年半無事故ならゴールドになるし、25歳から保険がまた安くなるので、博士に入るまではちょっとグレードの低い車で我慢するのもありかもしれない。

 

ただ、学生やってると絶対平日に車のらないんだよなぁ、キャンパスの中に住んでるし。土日毎週出かけられるかというとそうじゃないし。レンタカーで妥協するか、と考えた時期もあったけど、借りるのにポテンシャル障壁が多すぎる。悩ましい。駐車場があるいい部屋に引っ越してくるまで通学するのもありだけど、今の部屋が防音しっかりしすぎてるので引っ越したくない。オタクだから部屋で騒ぎたい。わがまますぎる。

上に書いたことは圧倒的な金があればすべて解決するので、結局5000兆円がどうのこうのという話になるのである。

欲求が爆発していつもより荒い口語で一気に書いてしまった。

 

部屋とピアノと私

僕はピアノが好きだ。一人でも壮大なメロディーを奏でられる唯一の楽器だと思っている。そしてどんな楽器よりも簡単に、誰にでも音が鳴らせる。でも、自分の気持ちをそのまま表すように正直に音が出る。

と、偉そうに書いてみたものの、僕はピアノがろくに弾けない。

 

2~7歳までピアノを習わされていて、音大出身の母様の元で厳しく練習させられていたが、練習が大嫌いで、ついに痺れを切らした母様が引っ越しのタイミングでやめさせた。

中途半端にピアノに別れを告げた僕は、またピアノを弾きたいという気持ちをどこかにずっと抱えながらも、母が怖すぎてピアノに触れなかった。

 

高校入学と同時に引っ越したとき、部屋のスペースの都合で、僕の部屋にピアノが置かれた。僕の部屋は一人部屋で、母の監視の目がなかった。さらに幸いなことに、我が家のピアノは電子ピアノだった。僕は幼稚園生の頃の楽譜を引っ張り出し(幸いにも一部残っていた)、バレないようにヘッドホンを付けながら、ちまちま練習を始め、小さい賞を貰えるくらいまでやりこんだ。やっぱりすごく楽しかった。途中で限界を感じて母に恐る恐る教えを請い、練習に付き合って貰った。10年も経ったらさすがに丸くなっていて、怒鳴られることはなかった。

 

大学生になって独り暮らしをするようになってからは中々ピアノを弾かなくなり、どんどん下手くそになり、今となっては譜面もろくに読めなくなってしまったが、やっぱり叩けば音が出るし、適当なメロディーを弾くだけでも楽しい。

 

そんなこんながあって、僕はピアノが好きである。

 

この記事はタイトルが先に思い浮かんで、かつ全く寝付けなくなったので書いた駄文です。オチはない。趣味は自分語りです。

寝られなくなったのでピアノを弾いてきます。

1984年

ジョーオーウェルの著書「1984年」を読んだ。ディストピア小説の最高峰として名高く、前々から読みたいと思っていた本だった。オタクライブで静岡まで行く予定があったのでその間に読んだ。読むのに時間がかかるかなぁ、と思っていたが、三章建てのうちの二章から一気に物語が何回も反転し、気が付いたら飲み込まれていた。そんなこんなで静岡につく前に読み切ってしまった。

 

大まかなストーリーは*1、市民が完全に政府に監視された社会で生きる主人公が、ある事件を通して政府への疑いを深めていき、恋人とともに反政府運動に傾倒していくという話である。

最後の一文があまりにも有名なので、実はオチは知っていた。ただ、全部ストーリーを読み切った後に読むその一文はあまりに重くて、本当に救いようのない気持ちになった。

 

感想を書きたかったのだが、これ以上何を書けばいいのかわからない。読書感想文は毎回適当にストーリーを書いて出していたので、感想の書き方がわからない。誰か教えてくれ。

*1:wikipediaのほうが説明がうまい。オチまで書いてあるが、オチを知っててもなおこの作品の面白さや根幹は揺るがない(主観)はずなので多分見ても大丈夫だと思う。https://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

N重思考と流動性

憧れを客観的に見れてるのか?みたいな記事を書いた直後*1、青春への歪んだ憧れを語る記事*2を書いている。

これはいくつか自分に都合のよい思考が並列に存在してるのだろうか、それとも、思考は時間相関が結構早く減衰するんだろうか。

 

まあ何であれ、自分の思考ですらあてにならないということだ。

教えるという傲慢

同じようなことをひかるさんが書いていたけど気にしない。

 

何気なくラジオを聞いていると、「僕たちの子供に教えてあげたい 本当は○○がxxなんだってこと(うろ覚え)」みたいな曲が流れてきた。ほーん、と思って聞いていたが、よくよく考えたら結構ヤバイ歌詞だ。何が真実かなんて時代によってコロコロ変わるし、そもそも何が正しいかなんて教えてもらうものではない。それを教えてやろうなんて上から目線も甚だしい。

 

 

僕は昔、教師になりたいと思っていた。そのために教職課程の単位も教育実習を残して全て揃えた。

いつか恩師がしてくれたみたいに、誰かを教え導きたいという崇高な志を持っていたが、ある日突然「僕は何を教えたいんだ?」と思い始めた。

教師になりたいと思っていた頃は、自分の行動や思想が正しく、社会をきっと豊かにするものだと信じきっていた。そして同じような人間が増えれば、この世はさらに豊かになるとどこかで思ってしまったのかもしれない。もしくは僕がした失敗をさせなければもっと素晴らしい人材が育つはずだと思ったのかもしれない。

こういった自分の思考を省みたとき、とても怖くなった。自分は無意識に思想の統一をしようとしていたのだろうか?

物を教える人はそれが正しいと信じて疑わずに教えてるのではないか?と考えるととても恐ろしく感じた。

もちろんこれは極端な妄想であり、教えることについて自ら批判をしながら何かを教えている人がいるのかもしれない。しかし高校までを振り替えると、そういうことをしながら教えていた人は数えるくらいしかいなかったように思う*1

 

この考えは、「子供が欲しい」という願望にもそのまま適用できると思っている。

僕はごく稀に子供が欲しいと思うことがあるのだが、何でそんなことを思ったんだろう、と考え直すと、やっぱり自分の都合のいい教育をしたいという悪い欲求*2が根底にあるっぽい、ということがわかった。

 

こういうふうに文にすると、自分への戒めになる気がして書いた。

*1:主観。

*2:これも主観

愛し私の青い春

少しだけ自分語りをさせてほしい。

というかこれは僕のブログだから何を書いてもいいはずだ。恥ずかしくなったら消すかもしれない、衝動でかいたから許してほしい。

 

中学生のころ、僕はカーストの最下層でさ迷う人間だった。変な方向で目立つ人間だった気がする、色々やらかして色々やらかされた。何であれあんまり思い出したくない時代だ。

心の支えになっていたのが、小説だった。ラノベや普通の小説やら色々読んでいた。そのうち、そこに描かれた青春とやらに憧れるようになった。

学校での滞在時間を限りなく短くして、部屋に閉じ籠り、できるだけ時間を先送りにして、僕は未来に夢を託していた。きっと僕にも青春が訪れるのだと固く信じていた。今思えば、この時点で既に「青春」にやたら固執して、歪んだ憧れを持っていた*1

 

高校入学と同時に、僕はとある島に引っ越した。

書くのが面倒になってきたので詳細は省くが、これが転機だった。中学のころ自分では想像がつかないくらいの人間に囲まれ過ごすことになった。ステージの上で楽器を掻き鳴らし、全校生徒の前で夢を叫んだ。登り詰めるとこまで登り詰めた感があった。自分が中心に世界が回る、間違いなく僕は主人公で、思い描いた青春がそこにあった。

 

しかし何にも終わりはやってくる。終わりよければ全てよし、と言う。幕引きの仕方で全てが決まる。詳細を話す気がないが、僕はそれに失敗した、もしくは失敗させられた。僕の青春は無かったことになった。

つい最近まで僕はそれに気づいていなかった。無意識のうちに、失った青春を取り戻そうと足掻くゾンビのように生きていた。もう高校生の頃に持っていたような、無責任な自信と夢を持てなくなってしまった。夢を語っていた友人たちは夢から覚め、続々と就職を決めている。昔の友人には怖くて会えない。ティーンエイジの無責任な衝動を歌う青いロックを聞いて涙を流すようになってしまった。僕はもう10代ではなくなってしまった、その事実がとても重い。

あんなに早く時間が過ぎ去ってほしいと願い時間を必死に進めた中学時代、全てを手にいれ全力で駆け抜けた高校時代、必死に時間に抗おうとしている今の大学4年生の僕、何だか滑稽だ。大人にもなれない、青春時代にも戻れない、僕は何者なのだろう。

 

高校時代を思い返すだけで吐き気がする。置いてきた青春を、拾いに行くことは自殺行為に等しい。けど僕は感傷マゾ男だから、傷口を自分で抉って、そこに少し塩をぬってはその痛みを楽しんでいる。何ならコショウまで振ってるかもしれない。あんなものにこの先の人生を支配されるのはまっぴらだ。きっといつかぶっ殺してやろうと思っている。

それを成し遂げてられても、失ったものは返ってこなくて、いつまでもゾンビのように生きるのかもしれない。

 

Time waits for no oneってこの事だったのか*2。気づくのが遅すぎた。

 

*1:9割くらいとらドラのせいな気がする

*2:ハァ( ゚Д゚)?

憧れはどこに

大抵みんな何かに憧れている。僕だって叶うなら嵐の二宮君か堺雅人になりたい。

あの仕事面白そうだなぁなんて思うこともたまにだけどあるし、ここに行ったら楽しいんだろうなぁ、なんて思うこともある。

でもそれはたまたま良い面を観測しただけで、その裏にはきっと数倍の苦労や嫌なことが隠れている。例えば、沖縄に住みたいという脳内お花畑さんが世の中には溢れているが、恐らくその人たちが想像しているのは南国の楽園みたいな面なのだろう、しかし実際はそうではなく、住むには恐ろしく不便な島である(住んでみた感想、主観)。

 

書くのがめんどくさくなってきた。

 

要は「憧れなんて所詮幻想じゃないのか、君は憧れている物をあらゆる面から客観的にみて評価できているのか」ということだ。

終わり。