小説などを久しく読んでいない。
読みたい読みたいとは思っているのだが、隙間時間に小説などを読むのが好きではないので、なかなか読めずにいる。
だが主な要因はそれだけではない。
本を読もうとすると、他にやることがあるんじゃないか、となんとなくまずい気持ちになってしまう。実際はそんなことないのだが。
結局僕は「まとまった時間がある」かつ「ほかにやることがないような状況」じゃないと読めないらしい。
電車通勤とかすれば読めるようになるかもしれない。
小説などを久しく読んでいない。
読みたい読みたいとは思っているのだが、隙間時間に小説などを読むのが好きではないので、なかなか読めずにいる。
だが主な要因はそれだけではない。
本を読もうとすると、他にやることがあるんじゃないか、となんとなくまずい気持ちになってしまう。実際はそんなことないのだが。
結局僕は「まとまった時間がある」かつ「ほかにやることがないような状況」じゃないと読めないらしい。
電車通勤とかすれば読めるようになるかもしれない。
年が明けて三か月も過ぎてしまった。例年に比べてましな状況なので、今のうちに振り返りをしておきたい。
・一月
21歳になった。相変わらずやる気が回復せず、死んだように生活していた。ボスに色々心配されたような記憶があるが、上の空だったのでどんなことを言われたのか正直覚えていない。例年に比べてやるべきことは少なかったので、あまり精神的に参っている、という状況ではなかったと思う。
・二月
履修解除に失敗し、大量に単位を落とした。新しくバイトをはじめ、どちらかというとそちらの方が忙しかった気がする。数物セミナーの合宿が近くなり、徐々にやる気が回復してきていた。仲の良い友人たちと同じ班であったこと、自分が昔からやりたいと思っていた参考書を選べたこと、そして何より他にやることがなく、時間が潤沢にあったせいでここまで回復できたのだと思う。
・三月
数物合宿に参加した。過去3回参加しているが、最高にうまくいったと思っている。天文学会も補助という形で参加できて、比較的学びも多かった。
今は勢いで勉強を再会し、微分幾何と一般相対論をやっている。ただ、授業や院試の中でこの勉強を維持することは非常に難しいと思うので、霧がいいところで一度切り上げておきたい。
この3か月で沈んだところから平常状態まで回復して学んだのは、定期的に何かしらの刺激を受けるべきだということ、そしてその刺激を受けるにあたって大事なのは、他にタスクが溜まっておらず精神的に追い詰められていない状況であること、ということがわかった。
この振り返りはまた6月ごろにしたい。
やる気があれば、初回ラボミーティングの後に前期のやるべきタスクを整理して、できるだけ余裕がある状況を早めに作っておきたいと思う。
唐突にやる気が回復した。
夏休みからかれこれ半年ほど、物理をする気が全く起きなかったのだが、どういうことだかここ一週間アホみたいに経路積分をしまくっている。
いいことなのかもしれないが、何の前触れもなかったやる気の回復が少し怖い。
落ち込んでいた位置から元に戻ったのか、それとも外的要因によって一時的に励起しているのか、自分でもよくわかっていない。
前者であれば自分の中で完結していて、単なる気分の浮き沈みと言えるのでまだいいが、後者の場合は、他人に影響されないとやる気が出ないというかなり悲惨な人間だ。
数物が近いので多分後者な気がする。いずれ脱励起するだろう。
「たまに出るやる気は、やる気ではなく気まぐれ」という言葉をどこかで見たことがある。今に自分にはとても刺さる言葉だ。
気まぐれでも、やる気のあるうちに色々やれることをやっておこう。
ただし、こういう状況の時に立てた計画は大抵実行できずに破たんするので、何も考えずに楽しい勉強だけをしておくつもりだ。
まああと半年で院試なのでそんな悠長なことも言ってられないのだが。
2017年ももうすでに10日以上過ぎている。なんということだろう、もうすでに無為な時間を一週間以上も過ぎている。
何をしていたかと言えば、帰省して、下宿に戻ってきてTwitterを再開し、ひたすら寝るだけだった。また大学に行っていない。
今日でまたTwitterから少し離れることにして、その分をもう少し読書の時間に費やすことにした。無為な時間を過ごすよりましかもしれない。最近は週に1時間も読書をしていなかった。なのに1日に3時間以上はTwitterに張り付いている。立派な中毒である。結構時間を無駄にしている。
とりあえずタブレットで一冊、紙の本を三冊並行して読んでいて、そろそろ脳みそが整理できなくなってきたので、何かしらを読み切ったほうがいいかもしれない。
とりあえず今日読み終わった本について明日気が向いたら書くつもりでいる。今日書かない時点でいろいろお察しだが。
2016年は、僕が初めて20代を迎え、それを過ごした年だった。
しかし今まで生きていた人生の中で、最も密度が薄い年だったと思っている。
最初の3か月は暗い月だった。大学には期末考査以外行かなかった。
3月には初めて数物セミナー合宿に参加した。いろいろな出会いがあった。
それから8月まで、また何もなかった。何かをした記憶がない。また大学には行かなった。外出もほとんどしなかった。
8月〜9月ははサマーチャレンジ、生物物理若手の会、数物セミナーの合宿に参加した。ここでもいろんな出会いがあった。
10月、夏休みが明け、僕の価値観を破壊する出来事が何度も起きた月だった。あらゆるショックのせいでまた大学に行かなくなってしまった。メンタルが弱すぎた。
もう12月。10月から何かした記憶がない。
大きな行事の数はおおけれども、その間を埋めている日々の生活に中身がほとんどない。
勉強もしていなかった、外出もしなかった、楽器にも触らなかった、大学のキャンパスからもほとんど出なかった*1。何かに打ち込むことがなかった。
ただ毎日、死んだように12時間以上眠り、起きてから3時間近く天井を眺めスマホを眺め、寮の談話室でぼーっとして、コンビニで簡単な食事を買って、またぼーっとし、眠れない苦しみをひとしきり味わった後、また死んだように眠る。
僕はこんな抜け殻みたいな生活を続けて、大学院まで行けるのだろうか。そもそも自力で生きていけるのか。娯楽に使う金もないのに、毎日意味もない生活を送る自分にお金をかけるのがアホらしくなってきた。生きるのに金がかかりすぎる。
来年はどうなるのだろう。これからの人生は、今まで積み立ててきたものを少しずつ削っては薄めて消費するような味気ない生活を送りそうな予感がうっすらしている。逃げ場はない。四方を現実に囲まれている。
*1:僕は寮住まいだから家がキャンパスの中にある
暗い世の中に流行るものの代表として(女性)アイドルのではないだろうか。将来を悲観したとき、誰かを養うとか、そうでなくとも、彼女を作ってお金をかけてあげることができない、もしくはそんなことしたくないと考える人間が多くなるだろう。でもそんな状況で自分に優しく微笑んでくれて、自分にない勇気をくれる、しかもCDを買ったりするだけでその子の応援になる、そんな女性がいるとしたらどうだろう。惚れてしまったり、応援したくなる人間が多く出てきても不思議じゃない気がする。
彼女たちはつらいことを乗り越えながら応援によって成功していき、時折奇跡(応援する人間の主観)を起こし、いつか暗い世のたくさんの人間に幸せや笑顔を振りまくアイドルになる、というのがよくあるサクセスストーリーで、それを通して応援する側はそんな大きなものを育てることができたという達成感みたいなものも得られる。
また彼女たちはそんなファンの見てくれ、性格がどんなものでも優しく微笑んでくれる。どんな自分でも認めてくれる。それは、自分にお金をかけて魅力的にしなくてもよくなるということにもなるのではないだろうか。そして気に入らなかったら簡単に乗り換えられる。現実で恋人を作るよりもお金も手間もかからずに経済的だし、何より精神的に楽だ。
何だってこんなことを書き始めたのかというと、僕も結局アイドル沼に片足を突っ込んでしまい、なんでこんなことになってしまったのか、とぼんやり銭湯で考えていたからだ。いつも以上に文章構成も考えてない上に特に深い考察とかはしてないので論理のほつれがあっても殴らないでください。というかそもそも世の中の明るさとの関係あんまり書いてないからタイトル詐欺っぽい。