昇り降りの日々

学務様が見てる

教えるという傲慢

同じようなことをひかるさんが書いていたけど気にしない。

 

何気なくラジオを聞いていると、「僕たちの子供に教えてあげたい 本当は○○がxxなんだってこと(うろ覚え)」みたいな曲が流れてきた。ほーん、と思って聞いていたが、よくよく考えたら結構ヤバイ歌詞だ。何が真実かなんて時代によってコロコロ変わるし、そもそも何が正しいかなんて教えてもらうものではない。それを教えてやろうなんて上から目線も甚だしい。

 

 

僕は昔、教師になりたいと思っていた。そのために教職課程の単位も教育実習を残して全て揃えた。

いつか恩師がしてくれたみたいに、誰かを教え導きたいという崇高な志を持っていたが、ある日突然「僕は何を教えたいんだ?」と思い始めた。

教師になりたいと思っていた頃は、自分の行動や思想が正しく、社会をきっと豊かにするものだと信じきっていた。そして同じような人間が増えれば、この世はさらに豊かになるとどこかで思ってしまったのかもしれない。もしくは僕がした失敗をさせなければもっと素晴らしい人材が育つはずだと思ったのかもしれない。

こういった自分の思考を省みたとき、とても怖くなった。自分は無意識に思想の統一をしようとしていたのだろうか?

物を教える人はそれが正しいと信じて疑わずに教えてるのではないか?と考えるととても恐ろしく感じた。

もちろんこれは極端な妄想であり、教えることについて自ら批判をしながら何かを教えている人がいるのかもしれない。しかし高校までを振り替えると、そういうことをしながら教えていた人は数えるくらいしかいなかったように思う*1

 

この考えは、「子供が欲しい」という願望にもそのまま適用できると思っている。

僕はごく稀に子供が欲しいと思うことがあるのだが、何でそんなことを思ったんだろう、と考え直すと、やっぱり自分の都合のいい教育をしたいという悪い欲求*2が根底にあるっぽい、ということがわかった。

 

こういうふうに文にすると、自分への戒めになる気がして書いた。

*1:主観。

*2:これも主観

愛し私の青い春

少しだけ自分語りをさせてほしい。

というかこれは僕のブログだから何を書いてもいいはずだ。恥ずかしくなったら消すかもしれない、衝動でかいたから許してほしい。

 

中学生のころ、僕はカーストの最下層でさ迷う人間だった。変な方向で目立つ人間だった気がする、色々やらかして色々やらかされた。何であれあんまり思い出したくない時代だ。

心の支えになっていたのが、小説だった。ラノベや普通の小説やら色々読んでいた。そのうち、そこに描かれた青春とやらに憧れるようになった。

学校での滞在時間を限りなく短くして、部屋に閉じ籠り、できるだけ時間を先送りにして、僕は未来に夢を託していた。きっと僕にも青春が訪れるのだと固く信じていた。今思えば、この時点で既に「青春」にやたら固執して、歪んだ憧れを持っていた*1

 

高校入学と同時に、僕はとある島に引っ越した。

書くのが面倒になってきたので詳細は省くが、これが転機だった。中学のころ自分では想像がつかないくらいの人間に囲まれ過ごすことになった。ステージの上で楽器を掻き鳴らし、全校生徒の前で夢を叫んだ。登り詰めるとこまで登り詰めた感があった。自分が中心に世界が回る、間違いなく僕は主人公で、思い描いた青春がそこにあった。

 

しかし何にも終わりはやってくる。終わりよければ全てよし、と言う。幕引きの仕方で全てが決まる。詳細を話す気がないが、僕はそれに失敗した、もしくは失敗させられた。僕の青春は無かったことになった。

つい最近まで僕はそれに気づいていなかった。無意識のうちに、失った青春を取り戻そうと足掻くゾンビのように生きていた。もう高校生の頃に持っていたような、無責任な自信と夢を持てなくなってしまった。夢を語っていた友人たちは夢から覚め、続々と就職を決めている。昔の友人には怖くて会えない。ティーンエイジの無責任な衝動を歌う青いロックを聞いて涙を流すようになってしまった。僕はもう10代ではなくなってしまった、その事実がとても重い。

あんなに早く時間が過ぎ去ってほしいと願い時間を必死に進めた中学時代、全てを手にいれ全力で駆け抜けた高校時代、必死に時間に抗おうとしている今の大学4年生の僕、何だか滑稽だ。大人にもなれない、青春時代にも戻れない、僕は何者なのだろう。

 

高校時代を思い返すだけで吐き気がする。置いてきた青春を、拾いに行くことは自殺行為に等しい。けど僕は感傷マゾ男だから、傷口を自分で抉って、そこに少し塩をぬってはその痛みを楽しんでいる。何ならコショウまで振ってるかもしれない。あんなものにこの先の人生を支配されるのはまっぴらだ。きっといつかぶっ殺してやろうと思っている。

それを成し遂げてられても、失ったものは返ってこなくて、いつまでもゾンビのように生きるのかもしれない。

 

Time waits for no oneってこの事だったのか*2。気づくのが遅すぎた。

 

*1:9割くらいとらドラのせいな気がする

*2:ハァ( ゚Д゚)?

憧れはどこに

大抵みんな何かに憧れている。僕だって叶うなら嵐の二宮君か堺雅人になりたい。

あの仕事面白そうだなぁなんて思うこともたまにだけどあるし、ここに行ったら楽しいんだろうなぁ、なんて思うこともある。

でもそれはたまたま良い面を観測しただけで、その裏にはきっと数倍の苦労や嫌なことが隠れている。例えば、沖縄に住みたいという脳内お花畑さんが世の中には溢れているが、恐らくその人たちが想像しているのは南国の楽園みたいな面なのだろう、しかし実際はそうではなく、住むには恐ろしく不便な島である(住んでみた感想、主観)。

 

書くのがめんどくさくなってきた。

 

要は「憧れなんて所詮幻想じゃないのか、君は憧れている物をあらゆる面から客観的にみて評価できているのか」ということだ。

終わり。

寂しさの記録

独りで生きていけると信じていた。そうではないことに気づいてしまった。でも僕はそれを全部捨ててしまった。

 

僕はこの小さい世界を抜け出したあと、どうやって生きていくのだろう?僕には今、この一本の糸しか残っていない。きっとそれを手放す時が近いうちに訪れる。とても悲しい気持ちでいる。

大好きな場所もいつかは無くなり、彼らはバラバラの旅に出る。いつかまた会える気がしない。きっと昔一緒にいた人達みたいに、心の姿形が変わってしまう。

寂しさを埋めるための道具としての人間を心のどこかで求めてしまっている。恋人が欲しいと叫ぶ人達も皆こんな気持ちでいるのだろうか。

 

このまま僕は空っぽになってしまう。何も残らない、すがるものが無い。怖い。誰か僕の話を聞いてくれ。何が僕を正常たらしめているのか理解している。だからどうしたらいいかわからない。だから世界は配偶者を作るのか。情愛と性欲を分けてほしい。生を肯定してほしい。愛しさなんて無い、ただ、乾きを満たしてほしいだけだ。

こんな干からびた人間になってしまったことに嫌気が差す、私はとても悲しい。

お金持ちになったらやりたいこと

門司港にある旧三井倶楽部みたいな擬洋風建築の家を建てたい

暖炉のある部屋でゆらゆら揺れる椅子に揺られてビートルズを聴きたい(アーティストにとくに意味はない)、And I love herがいい

たまにレコードとか聴いてみたい、祖母の家にあったものはまだ残っているのだろうか

ピアノとかも弾きたい、たまに誰かに聞いてもらいたい

庭に花とかを植えてみたい、けど手入れをサボってしまうかもしれない

広い庭に小さなバラ園を作って、たまに眺めたりしたい

二階には書斎を作って、自分の好きなものを飾ったり、本をどっさり置いておきたい

綺麗な家には似合わないスポーツカーよりのセダン(もちろんMT)に乗りたい

 

でもきっと叶わないので、寮を出たらそこそこ広い部屋に住んで、洗濯機と乾燥機を買いたい

それだけあればいいかなぁ、乾燥機高そうだけど

でも、ちょっとお金に余裕があったら電動歯ブラシも買ってみたい

 

なんか、最初に書いた理想の家、昔住んでいた祖父母の家とそっくりな気がしている、あそこは楽園だった、きっとばあちゃんにとってもそうだったのだろう

あの家はまだ残っているらしいけど、知らない誰かが住んでいるらしい、あの青い屋根の家

ばあちゃん会いてえなぁ

ぼんやりとした諸々


何だかよくわからない不安感と脱力感に襲われている。なんだこれは。
最近30分以上何かを集中してやることがないし、院試は刻々と迫ってくるし、物理やってないし、何だか冬のメンタルみたいになっている。
望む自由を勝ち取り、できるだけそれを長引かせる方法がこれだからやるしかないのに、自主性の心に甘えて何もしない。
どうしたらいいんだ、とかじゃない、やるべきことはたくさんある。体がついてこない、心が付いてこない、というか何についていくんだ。
別に病んでいるわけじゃない、鬱の時のそれとは違う。でもぼんやりとした、形のない何かが襲ってくる感覚だけが明確に僕を苦しめてくる。
せめて美しくすべてを終わらせたいが自分の諸々が美しいとは全く思わないのでどうしようもない。
醜く腐ったこれをどう処理したらよいのか、美しい形として何か残したい。
きっと何かしたところで一瞬のコンテンツとして消費される、虚しい。
傷口を勝手に一人で抉って気持ちよくなる人種だからどうしようもない。心の気持ちのいい部分を抉るときの本当に死んでしまいそうな苦しみが本当に気持ちいい。なんでだ。
こんな散らかった文を一気に書き上げるだけでも何か変わるのか、気持ちはきっとすっきりする。少しだけ。
誰か僕の話を聞いてくれ。でもそういってきっと理解される気はさらさらないのだ。
こんなに条件式に雁字搦めにされた僕が満たせるのはきっと自明な解しかない。

ハレに塗りつぶされるケ

昔、社会科(もしかしたら国語だったかもしれない)で習ったことがあるのだが、日本人には「ハレ」と「ケ」と呼ばれる概念があるらしい。一生のほとんどはいつもと変わらないケの日を過ごし、冠婚祭など普段と違う晴披やかな日をハレの日と呼び、日本人はその二つの日を明確に区別してきたそうだ。

 

僕のケの日常といえば、毎年のように鬱を患い、とんでもない振幅で精神の上げ下げをして、自己承認欲求を満たしては破壊して、意味の分からない生活をしている。そんな日常に嫌気がさし、ハレの日を満足に得られない僕はアイドルゲームに手を出した*1

それからというもの、あり得ないくらいに生活は充実した。掌の中で日ごとに簡単に得られる承認と快楽、年に数回訪れるハレの日(ライブ)、それを数年続けているうちに、それ自体を生きがいに生きるようになった。もちろん精神の上げ下げはなくなったわけではないが、辛いことでも、ハレがいずれ訪れるとわかっていたので、死ぬ気で頑張ってこられた。

 

そして今年、僕(もしくは僕ら)にとってとんでもないことが起きた。ハレの日が二週間に一度やってくるのである。詳しく言うと、ライブツアーと称して、五月の頭から二週間ごとに全国各地を巡りながら八月までライブが行われるのだ。アイドルに生活を支配されている僕が参加しないはずがなかった。一昨日は行ったこともない石川まで大枚叩いて行ってきた。来週は大阪、その二週間後は静岡にわざわざ飛ぶのだ。今はLV*2という便利なものがあるのにも関わらずだ。

今、僕の日常はハレの日に塗りつぶされつつある。

 

しかし、ハレの日が続いたとき、それは本当にハレの日と呼べるのだろうか?かつてのハレの日を日常として生活をしてしまった場合、何をハレの日と呼べるのか?何をよりどころにして生きるのか?

ハレとケを倒錯しているまでならまだいいのかもしれない。きっと日常をハレに塗りつぶされたとき、生活を維持するには、それを途切れないようにひたすらに塗りつぶし続ける地獄のような日々が続くのかもしれない。

 

今の僕はそうなりつつあるが、もし今の拠り所(アイドル)が無くなったら、僕は何で日常を塗りつぶすのだろうか?もしくは元来日本人がしてきたようなハレとケを明確に区別してきた生活に耐えられるのだろうか?断続的なハレの日は八月に終わる。その時僕はケの日常に耐えられるのだろうか。

 

なぜこんなことを考えたのかというと、物理や数学をやっている同期の人間たちが、進路に悩み、研究に悩み、院試に苦しみ精神を痛めている傍らで、僕たち*3だけが異常なくらい明るく過ごしていることに恐怖を感じるようになったからだ。

 

僕はどうしたらいいのだろう、何を考えるべきなのだろう。ハレとケのバランスのとり方を考えればいいのか?僕が自由な学生だからいけないのか?働いて強制的にバランスをとればいいのか?そんなことをしたら僕はきっと死にかねない。

 

うまくバランスが取れる人は、ライブとかで得たエネルギーをうまく正の方向に変換して生きているのだろうなぁ、と思う。僕もそれができないわけじゃないし、むしろそうしたい*4。けどこうも頻繁にあると、切り替えがうまくいかないのである。

 

とてもタイミングの悪いことに、二週間ごとに訪れるハレの日が終わると、その二週間後に院試がある。事実上院試がツアーファイナルみたいなものである。それまでに僕は、ハレの日との付き合い方にある程度の答えを出さなければならないのかもしれない。

*1:そんな強い動機付けがあったわけではないが

*2:ライブビューイング、ライブの中継が地方の映画館で見ることができる。わざわざ現地に行く必要がない

*3:アイドルオタクが同期に一人いるので「たち」と言った

*4:推しに「このライブを辛い日常を生きる糧にして」、と言われた、まさしくハレの日のあるべき姿だ