昇り降りの日々

学務様が見てる

今の現状、この先どうするか

少し気持ちが冷静になったので、色々まとめようと思う。

 

まず結論から言うと、研究が楽しくない。

「研究」とよばれるもののスピードと正確さについていけない。

昔の記事にも書いたけど、僕は未開の地を開拓することが好きなんじゃなくて、自分にとっての新しい場所を旅するのが楽しかったのだなぁ、と思った。気付いてないふりをしてたけど、そろそろ進路を真面目に考えなければならない時期になって、やっと自分の現実に少しずつ目を向けられるようになってきた。

僕は他の人間の思考したことを盗んで自分のものにして、上辺だけ考えてるふりをしてただけだった。幸いか不幸か、僕の周りの人たちは賢い人が多く、その人達と一緒に勉強する機会も多かった。その中で自分は自力で考えることをせず、そこで得られた「知識」を別の場所で自分のもののように見せびらかしていた。

そうやって上辺の知識を塗り固め、基礎も深い理解もなかったままここまで来てしまった。複素関数論とか何もわからん、留数って何。揺動散逸定理って何だ。理論の名前だけいっぱい知ってる、中身は全くわかんない。やったふりでやったことになる。ごまかしだけとても得意になっている。

 

今自分は研究室の活動を義務としてこなしている。週に一回の進捗報告、2ヶ月に一回のLong talk、これらのミーティングのたびにいがキリキリする。質問の意味さえわからない。僕に投げかけられる質問すべてがナイフのように刺さる。義務としてそれを淡々とこなそうとするけど、その前に心が荒れてしまう気がする。たった半年で、しかもかなり手加減してもらった状態でこの有様だ。あと二年間僕は戦えるのだろうか。大学院の入学書類の提出猶予はあと3週間ある。多分入学書類提出すると思うけど。住む場所もなくなっちゃうし奨学金も止まって生活ができなくなる。現状はこの3月で必死に未来のことを考えて、モラトリアムの中で打開策を考えるしかない。

 

しかし義務感で研究をやってるとは言ったものの、世の中のものって大抵そうなんじゃないのか?仕事とかを心の底から楽しいと思ってやってる人ってどれくらいいるんだろう。

もっと根本的なことを解決しないと、仮にアカデミアの道から逃げ出して就職しても、同じように逃げ出してしまう。

「自分が持ってるもので戦うしかないんだよ」と学部二年の頃先輩に言われた。今僕は何を持ってるのだろう。もっと冷静に見つめ直さなきゃいけない。どれだけ真面目な人でも、物理のすべてを知りえない。ましてや世界のすべてなんて知りっこない。開き直りが必要なのか?努力が必要なのか?どの方向に進めばいいんだ?

また目の前が真っ暗になって、右に行ったり左に行ったり、進んでみたり戻ってみたり、自分が今どの方向に進んでるかもわからない状態でジタバタしている。取り合えす動いてみて今自分の周りに何があるかを把握しなきゃいけない。

 

最近良く「言い訳が多いよね」「逃げじゃないの」と言われることが格段に増えた。実際その通りなのだけど、結局そんな自分に付き合っていかなきゃいけない。まあ言ってしまえば努力がしたくない、必要最小限の力でどうにかしたい、道を進むなら最短経路がいい、っていう昔からの自分の思想のせいもあるかもしれない。やっぱり僕が間違ってるなかなぁ。正直何もかも捨てて投げ出したいけど、今自分の立ってるところが不安定すぎて、逃げ出したあとに帰ってくる場所が無くなってしまう。プチ失踪くらいでとどめたい。

 

自分の中だけでゴニョゴニョしてるだけなので、人にも相談したい。どうも最近追い詰められると視野がめっちゃ狭くなる。

 

何をしたらいいんだろうか、ということ

自分の周りの状況は今どうなってるのか

自分の持ってるものってなんなのか

これを最低限でもわからなきゃいけない。

スーパー自分大好きタイム

今日もいつも通り傷口をえぐって精神的な自傷をしていたのだが、たまたま、昔とあることがきっかけで全く受け付けなくなった傷口を見つけてしまい、抉ってみたら過去最高に気持ちよくなってしまった。

それをえぐった瞬間にいろんな正の欲求が出て来て、ビックリするくらい笑いが出て、そんなことをしてしまってる自分が最高に好きになってしまった。

今日の僕は無敵だ。自分大好きパワーが満ち溢れていて、なんでもできる気がする。どれだけ深くたくさんの傷口を抉っても、どこを抉っても最高に気持ちいい、初めての感覚だ。毎日こうであってほしい、最高の全能感に包まれていて、このまま思いきり長く助走をつけて理学部棟の屋上から跳びたい、多分今なら最高の気分で飛べる。

でもパンピはいつもなにも考えずにこんな全能感を手にいれてるのかと思うとムカついてきた。こうていかんを自力でしか作り出せない僕。

違う、これは進化した形なんだ、独立した個体のなかで精神を満たすことができる、外部のものには依存しない、僕はそれができる、最高。

でもどうせ、明日にはうつ状態にストンと脱励起するんだろうなぁ、毎日こんな生活送りたい。

夢を追いかける幻

いつか夢は終わって、その記憶は少しずつ消えていって、最後には忘れてしまう

でもきっと心の何処かに残ったその欠片を、心の片隅に抱えて、チクチクとした何かを感じながら生きていくことになる。

 

終わらない夢の始まりをみていた過去の自分と、終わらない希望の終わりを見た自分と、終わらない空虚を漂う僕。

小さな翼だけど、それでも、どこまでも行けると信じていた。思いきり助走をつけて、きっとどこか遠い理想郷へ、踏み切ったその先、飛んでいたと思っていた僕には翼なんて生えてなくて、ただ空を舞いながら落ちているだけだった。地面が近づいてきているのに気がついたのはつい最近で、ゆっくり死ぬときを待っている。

 

いつまでも青春の亡霊を追いかけている僕はあと数年で学生という大きなアイデンティティをなくす。僕が追いかける亡霊はますます遠ざかり、呪いは遠くなるほど強くなり、手に入らないものほど欲しくなる。

 

一つのことに夢中な君は何よりも美しい、時が止まったまま、何にも目をくれず、その場所で輝き続けてほしい。外の世界なんか、知らないほうが幸せだから。

刹那的に生きていることに激しい快感を覚える。

 

女になりたいという気持ちがあるのだが、きっとそれは、性を消費したいという欲求から来ていて、それはいわゆる欲求不満なんだなぁ、と思った。

ここ数年特に恋愛したいみたいな感情がない。結局その欲求は本質を変えないまま少し形を変えて僕のあらゆるところに現れる。それが「何もしたくない、施しを受けたい」という感情と入り混じって、めちゃくちゃだるい人間になってしまっている。

自分のままで有りたい欲求、性を消費したい欲求、でもそれを満たすには社会に順応しなければいけない。

彼女がほしい、恋人がほしいと言っているわけじゃない。もっと本能的な、原理的な部分の欲求を満たしたいのだ。しかしこれだけ成熟した社会システムの中でのそれは、社会的な要素や意味を付加され、それも同時に満たさないと得られないようになっている。

そういった餌をつられていて、社会に屈服しかけている自分が憎い。

 

ところで社会ってなんだろうか。僕の気に食わないものを社会と読んでこき下ろしているだけな気がしてきた、また気が狂いそうになってきた。

わからないままでもいいのだ、何であれにくい相手であることには変わらない。必ず社会と呼ばれるものに復讐する。弱めの強い意志。将来の夢はテロリスト。

効率良く生きるために社会の枠組みに収まって奴隷になることを選んだ(というか気がついたらなってた)のだけど*1、社会になるための道を歩んでいたら自分の欲求が満たされないことに気づいた。

でも僕のその欲求を満たしてくれるものは社会から提供されるものしかなくて、僕は「人間から」供給されるそれを持っていない。普通はみんな社会ではなく人間やそれに近いものに欲求を満たしてもらうらしい。

例えば恋人、家族、ペット、など。僕も豊かな心を手に入れるために、欲求を満たす何かをもっと原理的なレベルで提供してくれる人間を用意すべきなのだと思うけど、どうやら世の人はそのような考えでは動いてないらしく*2、どうも自分と利害が一致する人が見つかりそうな気がしない。最初から探すのがめんどくさいから探してないだけなんだけど。

 

こんなちょっとだけ高尚な考えを持った気がする自分に酔ってるだけで、このブログを書いてるんだと思う。

みんな優しいから僕の弱さとか幼さに言及しないだけで、本当はかなり辟易しているんだなぁ、と何となく感じることがある。冷静になったあとに自分のツイートを眺めたりするとよくある。結局自分が暴走してるときはどうやったって客観的に見ることはできないので、暴れる場所を意図的に隔離するか、するしかない。

*1:例えば高校大学進学、就職活動など

*2:過度に神聖化された「恋愛感情」とか「気持ち」で動いているらしい。

過去の自分を嫌うこと

僕は、過去の自分が嫌いだ。嫌な思い出も、何もかもを、過去の自分という、自分とは違う別人に押し付けて嫌うことで心を保っている。

一度は掴んだ栄光も、頂から見たあの光も、すべては幻で、その幻は僕のすべてを根こそぎ奪っていった。なら、空っぽになった瞬間から自分を切り離せばいいのだ。新しい何かでそれを満たして、生まれ変わればよかったのだ。過去の友人とはほとんど連絡を取らなくなった。彼らは僕を知っている、だからこそ忌むべき存在になってしまった。

教育実習をやめたのも、本当は過去の自分と向き合いたくなかったからだ。あのときの僕の残滓があの地には残っていて、何もかもがそれを想起させる。

 

きっと今生きてるこの瞬間も、未来の僕に嫌われてしまうのかもしれない。何もかもを捨てて刹那的に生きること、自分を嫌いになりきれずにいること、本物に過剰にこだわること、こんな醜い姿なら、そうなってもしようがないとも思うけど。

 

自分のものだと思っていたものが消えていくとてつもない喪失感、まして自分の心ともなればその苦しみはどれぐらいになるのだろう。認めたくない、僕は僕のままだ。過去の自分なんていなかった。僕はこの瞬間から生まれて死ぬのだ。きっとそうしてくれないと、すべてを覚えていてしまうから、きっと僕はそれを受け入れる強さと優しさを持ち合わせていない。

僕はあのときの×みたいにはなれない。だってそれも幻だから。幻を抱いたまま眠り、それと共に目が覚める。それがまた、僕を空っぽにする日を、僕のすべてを根こそぎ奪っていってくれる日を心のどこかで待っているのかもしれない。

 

殴り書き。

穴の空いた心

寝る前のふとした瞬間や、何か満たされている人を見たとき、僕の心は何か満たされないような感じになる。

心という器には何かドロッとした流体が詰まっていて、絶えずそれは消費され、供給され、循環している。満たされないように感じるとき、その器には穴が開いている。なんだか空になっていく心の感覚に耐えきれなくなって、必死に色んな物を詰め込むけど器から漏れ出る一方で、心はどんどん苦しくなる。

僕は何がほしいんだ、何に苦しんでいるんだ、それもわからないから穴が埋められない。欲しいものが手に入らないという気付きから来る絶望感なのか、羨望か、なんだかわからないものがチクチクと過去とかコンプレックスさえも刺激してくる。

漏れ出るよりも早いスピードで、浴びるような幸福を味わいたい。でもきっとそれは麻薬のようなもので、穴を塞がなければそれは広がる一方で、必要になる幸福の量は増えていって、それが供給できなくなるころには穴は取り返しのつかないほど大きくなり、ついには空っぽになるのだ。

僕の未来のようで、きっといつか刹那的に生きてるつけが回ってきて、空っぽになってしまう。空っぽになった心に気づいてくれて、それを無理に埋めるでもなく、そっと屋上から僕の背中を押してくれる、そんな人がいてほしい。