昇り降りの日々

学務様が見てる

百道浜と室見川が見える丘

僕は出身を聞かれたときはいつも「沖縄」と答えるようにしている。
ウケが良いというのもあるし、自分の血のルーツが沖縄だというのもある。
ただ本当に心のそこから沖縄を『故郷』として慕っているかと聞かれればおそらく「ノー」である。
親が転勤族だったのもあり、どこか特定の土地を故郷と思ったことはないが、土地への愛着だけで言えば福岡が一番好きな気がする。

幼少期

物心ついたとき、僕は福岡にいた。セミのたくさんいる神社、ボロい滑り台、少し遠いところにある幼稚園、ダイエーの前にあった大きなスクランブル交差点。
ピアノ教室の傍にあったミスドや、向かいにあった蜂楽饅頭のお店は頑張ったときにご褒美に買ってもらえる贅沢品だった。 福岡という街は僕にとって住んでいる世界そのもので、ここ以外にどんな街があるかなんて考えたこともなかった。

自宅や幼稚園以外で一番最初にある記憶は愛宕神社に行った記憶だ。
幼稚園の遠足で行くはずだった愛宕神社は風邪にかかっていけなくなり、恐ろしいほどに泣きわめいた(らしい、それは覚えてない)。
両親は僕のわがままを叶えてくれて、休みの日に弟も一緒に愛宕神社に連れて行ってくれた。
その時の写真がまだ残っていて、そこに映る風景は今と何一つ変わっていない。

通っていた小学校のすぐ隣には室見川が流れていて、飛んでいる鳥に餌をあげたりその側をよく走り回った。
本当は川に浸かって遊んでみたかったけど、一度それをやろうとして親にこっぴどく叱られたので二度とやることはなかった。
小学校から少し上流に行ったところ*1は桜が綺麗で、そこでお花見をしたりした。
今でも辛くなったときは夕方の室見駅から、福岡タワーを背にして散歩したりする。
室見川の側にあった友達が住んでいたマンションは今でも残っていている。部屋番号は覚えていない。

百道浜の記憶はそこまで多くはないけど、ホークスの試合を見たいとごねた僕を両親が福岡ドームまで連れて行ってくれたことは覚えている。
自転車でドームに行ったものの試合が終わる前に眠くなってしまい、結局最後まで見ずに帰った。
ドームに試合を見に行ったのはそれっきりだ。

僕の幼少期はほとんど福岡の中にあって、今でもそれをよく覚えている。

大学期

高校時代沖縄にいた僕は、『九州大学』という大学が福岡にあるらしい、そこそこのレベルで頑張れば受からないこともないらしい、ということを知った。
親のすすめで大学を見学した帰り、なんとなく懐かしくなったので住んでいたアパートを訪ねた。
セミがたくさん鳴いていた神社は変わらずそこにあり、アパートの中のボロいすべり台はまだ残っていた。
その足で愛宕神社にも行った。引いたおみくじは大吉で、なんとなく「僕はこの土地に帰ってくる」という予感がした。

受験を終えて沖縄に帰るときも制服に革靴のまま愛宕神社まで登り*2、またそこから百道浜室見川を眺めた。
そこで引いたおみくじはまたも大吉で、「僕はこの土地に帰ってくる」という予感を通り越し、確信に変わった。

愛宕の神の加護があったのかどうかは定かではないが、僕は大学に受かり、再び福岡での暮らしを始めた。
大学はど田舎にあったものの、バイクで30分走れば愛宕神社に行けるし、電車一本で室見川まで行けた。
僕の心を支えたのは幼少時代の記憶にあった場所で、今でも辛くなったときは愛宕神社に行っておみくじを引く。
大吉連続記録は大学二年生のときに途切れ、それから大吉は出ていない。
この大学時代も含めると、僕が一番長く住んだ土地は福岡になった。

これから

僕は再びこの土地を去ろうとしている。
今日、百道浜室見川が見える街の風景を覚えておくために愛宕神社に向かった。
引いたおみくじは中吉で、あの頃みたいに大吉を引かせて背中を押すわけでもなく、ちょっと中途半端な餞別に少しだけ笑ってしまった。
これは神様の『去るもの追わず』のメッセージなのか、旅立つ僕へ伸びしろがあることを伝えてくれたものなのか、なんて都合のいい解釈をした。
いつもは結んで帰るおみくじを財布にしまって、この文を書いている。

百道浜室見川がある、思い出の詰まったこの街が好きだ。
僕にキスをしてくれる”君”はいないけど、僕を好きでいてくれる人たちがこの街にはいる。

なんとなく、またこの街に帰ってくるような予感がしている。そしてこういった僕の予感は大抵当たる。
もしかしたらすぐ帰ってくるかもしれないし、10年、20年、もしくは骨になったあとかもしれない。
その時、この街は今と変わらずにあるだろうか。もしくは、形を変えても僕を受け入れてくれるだろうか。
いつか帰ってくる日を楽しみにして、今日はさようなら。

*1:記憶が定かではない

*2:愛宕神社は山の上にある

NOと断定できない事象とそれに伴う苦しみ

生きていると「こんなこと起こりっこないけど、でも可能性はゼロじゃない」という事案にぶつかることがある。それが危険回避の文脈で使われるのなら健全だと思う。
けれど「こんなことが起きて欲しいけど起こる確率はほぼゼロに近い、でもゼロじゃない」という場合はどうだろうか。
例えば芸能人に恋をしたとして、きっとその人とお付き合い出来る可能性はほぼゼロだろう。何なら一生のうち会う可能性ですらゼロに近いだろう。
しかしゼロではないのだ。

人間は「こうなってほしい」と強く望むとき、どれだけ実現確率が低くてもそこに少しでも望みがあればそこに賭けてしまう。
大抵はその実現確率を少しでも上げるために必死で努力をするので、何かしら得られるものはあるが、そこに伴う苦しみは半端なものではないと思う。

何が書きたいのかわからなくなってきた。
要は僕は「まだ物理でやっていけるのではないか」と思ってしまっている。
まるで愛想をつかされる直前のカップルが必死で相手のいいところを探して褒めたり、旅行に誘うような滑稽さがある。
もう釣り合わないことには気づいていて、それでもいざ別れるとなるとどうしようもなく惜しいのだ。

僕が初めて真面目に抱いた夢だった。少しずつそのステップを踏み、勉強もして、僕はきっとそれをつかむんだと思っていた。
往生際が悪い。僕には向いていなかった。それを明日の結果で客観的に突きつけられる。もうやることはやったけど、これがラストチャンスだ。
願わくば彼女と、最後の思い出を作ってからお別れをしたいと思っている。女々しすぎる。

なんかしらんけど意識が高い

なんかしらんけど意識が高い。というか焦っている。 おそらくこのまま社会に放り出されるだろうという恐怖がそうさせているのだと思う。
息抜きのゲームでさえ集中できない。

焦って色んな物に手を出して中途半端になっている。
プログラム、物理の復習、など。

とりあえず今日はお散歩をした。9kmくらい歩いてた。トライアスロンのランと同じくらいの距離、と書くと短く感じる。

新しいブログを作った

健全なブログを作った。
メインブログ設定もそちらに移したので、よっぽどじゃない限りこっちのブログには来ないと思う。
このブログは今noteに書いているような日々の感情を各場所にしようと思っている。

何をすべきか

を書こうと思ったけど明日の筆記試験の結果発表次第、余命宣告。
今日は支離滅裂だけどこれでおしまい。

情熱が冷める時期

僕は自称アイマスPだ。かつてはすデレステべてのイベントを走り最低4桁入賞をし、取れる報酬はなるだけかっさらってきた。
モバマスも重課金とは行かずともそこそこガチャ回して大爆死なんてことをしていた。

担当は一ノ瀬志希宮本フレデリカだ。別にユニット推しというわけではなく、たまたま好きになった二人が仲良しだった。
この二人はよくセットで扱われ、ユニット曲・イベントを渇望されていた。僕もその中の一人だった。
そこまで大きく期待しているわけではなかったが、「まああったらうれしいよなぁ」くらいの気持ちで構えていた。

そしてちょうど一週間前、来るべき時が来た。一ノ瀬志希宮本フレデリカのユニット、『レイジー・レイジー』のユニットイベントの告知だ。
正直焦った。嬉しさもあったが、困惑、焦り、何かしらの理不尽に対する怒り、など、色々あった。
なぜそんな気持ちになったのか。その告知があったのは院試の4日前だった。イベント開始は院試の前日である。
走りたいという気持ちが正直全くわかなかった。よくわからないけどやる気が起きなかった。
そんな気持ちも院試が終わればなくなるのだろう、と思ったけど院試が終わって3日、ゲームを一切開いていない。
ニコニコで新曲のレコメンドが出てきても一切開かない。どんな曲なのか全く知らない、雰囲気さえ知らない。
仮にもオタクを名乗る人間が、この体たらくである。

ここ最近コンテンツを積極的に貪ろうという体力が無い。
モバマスもまともにログインしてない。CDも買ってない、ライブもチケットは取ったけど行く気が全く起きない。
なんとなく、余裕が無いんだろうなぁとは思う。金銭の余裕とか、何かを楽しんでお金を使っている最中に罪悪感が湧く。
もしくは、何か時間を浪費しているのではないかという恐怖に駆られる。 あるいは、ずっと我慢し続けてきたからここでそれを破るのはどうなんだ、と思ってしまう。

足を洗う時期なのだろうか。あらゆるものが面倒になってきた。趣味が楽しいと思えない時はやばい時。

この先何をしていればいいのか

院試の筆記が終わり、一応一段落した。
一応面接が残っているけど、まだ筆記の合否がわからない。多分ダメな気がするけど。

院試に落ちたらどうするのだろう、と考える。
就職をするのか、大学院の冬入試を探すのか、このまま腐ってニートになるのか。
一応僕も社会的な目は気にするのでニートは避ける気がする。
でもそうした場合僕は何を生業にするのだろう。仮に選べるとして何を選ぶんだろう。
文化に関わる仕事、エンジニア、ノマドワーカー。
何でもいいよ、好きなのを選んだら、それをちゃんと叶えてあげる、と言われたら僕は何を選ぶんだろう。

正直に言うと、僕は働く人をずっと見下してきた。
朝の6時に家を出て総武線にすし詰めにされ、夜にくたびれて帰ってきて、更に土日も会社用の携帯でずっと電話をしている、そんな父を見てきた。
そういったものが「ありきたりな生活」であることを知った時、とてつもない衝撃を感じた。
世の「サラリーマン」と呼ばれる人がほとんどみんな同じような生活をしている。僕はそんな「ありきたり」になりたくないと思った。
あるいは、自分が「ありきたりではない」、そんな特別な人間であると信じていた。
大学進学で理学部を選んだのもそれが理由だ。
「自分は変えがいくらでもいるような社会の歯車なんかにはなりたくない」という思いがあったから研究者を目指した。物理へのあこがれはあとからついて来た。
それが今ではどうだろう、崖の一歩手前どころか崖から飛び降りて空中に浮いている。
運良く枝をつかめるか。それとも僕が心の底から嫌いな世界の染みの一部になるか。
仮に枝が掴めたとしても腕が疲れてすぐに手放してしまうかもしれない。

なんでみんなが当たり前のように「働く」ことを受け入れられるのかわからない。
自分の生活がそういった人たちに支えられているのをよく知っている。知っているけど気持ちが全く理解できない。
大半の人たちはそんなことは考えていないかもしれない。
働くのが当たり前、家族がいるから、生きるのにお金が必要だから。
それ以上でもそれ以下でもないのだと思う。

なんて話をすると「それが当たり前なんだ」「黙って働け」「親に申し訳ないと思わないのか」なんて言われる。
僕の思想は怠け者だろうか。
それでも「必要最低限の生活」を人質に取られて弱っていく人たちを見ていて「働きたい」なんて思うのか。
わからん、わからん、何もわからん。

ブログを健全なものにするか悩んでいる

今のブログが健全かどうかという話は別として、今僕は文字を発信する媒体を複数持っている。Twitterの複数のアカウント、このブログ、note、Qiitaなど。
しかしこうもバラバラだと管理がだるいし、どう使い分けたらいいものかわからない。
一応自分の中で『こういう内容はここに書く』という基準があることにはあるが、かなりあいまいである。

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与えられた環境の中で生きる

自分は今特に大きな失敗や挫折をすることなくそれなりのところまで来ている。ただこれは自分で『勝ち取った』ものではなく『与えてもらった』ものなのではないかと思い始めた。

 

例えば、今所属している大学は結構すごいところだと思っている。そこに所属している人達も、当たり前のように接しているがとてつもない戦争の中を勝ち抜いてきた人たちだ。ただ自分はそこに似つかない人間だと感じる。
僕は大学に一般ではなくAO入試で入学した。試験はあるものの、専門にかなり特化した試験なので一般に比べれば求められるレベルは専門外に話を限れば低くなる。僕はたまたま専門が出来たからよかったものの、化学や数学は本当に普通の成績だったので一般で受かってたかどうかはわからない。

例えば、僕は4年で大学を卒業できた。
けれどこれは、僕の所属する学科が他には存在しないかなり特殊な単位認定をしていること、そして研究室のボスの手や友人の手を借りられるだけ借りて成しえたことである。本当に運がよかったと思う。

例えば、僕は大学院に合格できた。英語のスコアが消失したのでそれなりに努力はしたものの、やはりボスの加護が多少あった*1

 

僕が今「大変」だとか「辛い」と感じるのは、自分の能力で勝ち取れるものを勝ち取ったのではなく、与えられた環境の中で生きているからだと思う。自分の能力に見合わない場所に特別に住まわせてもらっている、たぶんこれが正しい認識だと思う。
うまくやっていけるように人並以上の努力はしたつもりではいるものの、追いつけているのかはわからない。

自分自身で勝ち取れるかどうかを試されるときが遅かれ早かれやってくる。それまでに、今いる環境をできるだけ生かして、自分を作り替えなきゃいけない。

*1:裏口入学という意味ではない。一応正当に入学した証拠はある