昇り降りの日々

学務様が見てる

掠れていくデータ

同じ曲を繰り返し聴いてしまうタイプの人間です。
昨日から丸一日ずっとrendezvousを聴いている。
何度も聞いてしまうので他の曲を聞く機会があんまりない。

色々考えてるけど、本当に生まれた時代がよかったなぁと思う。
4分で終わる曲、一曲リピートができる、何よりそれを持ち運べる。
これはカセットの時代だったらすごく苦労していただろうし、レコードなんて考えてみるだけでありえない。
飽きるほどに大好きな何かを摂取し続けるのに適した世の中に僕は生まれたのだ。

でもそれは、本当にいいことなのかなぁ、と考えることもある。
意味を持った一連の流れで、適した場所に配置されたものを、美味しいところだけ食べてしまうのは、「それを最適なタイミングで、最適な状態で食せる用に」と配慮しておいたものなのに、僕はその忠告のようなものを無視してまで美味しいとこだけ食べている。
要は「我慢ができてない」んじゃないかなぁ、と言うことだ。
多分世の中には僕みたいな人が割といて、曲やストーリーも密度が高く、短くなっていく。
CMやOPに合わせた15秒単位のストーリーの寄せ集め、それが今の曲だ。
僕たちはきっと大好きな曲が20分もあったらすぐに聴かなくなる。
ラッドのスパークルでさえ聞く気が失せてしまうのに。

だからこそライブみたいに「それだけに集中する空間」ってのが価値を持つようになるのかなぁ、そうでもしないと僕たちは大好きなものを楽しめないのだ。
映画館や、ライブ、そういったものはデータに収まらない価値を持つと言うけど、それは音質や一体感でもなければ、僕たちを自由にするものでもない、「僕たちを縛る」と言うことに価値を持つのだと思う。
なんの話だっけ。

なんでもいいけど、僕は多分明日もrendezvousをしている。

20190601

DVDを見た

うーん、やっぱり人と見る方が数千倍楽しい。
「これ面白いよね」とその場で共有できる喜びといったら。
やっぱり一人でオタクするのは無理。

休日の過ごし方

DVD見てポケカしてファミレスいってアイス食べて、完全に中学生の夏休み。
楽しい。こんな時間がもう少し続けばいいなぁ。
一生『楽しい』を摂取し続けたい。

誰のおかげ?

仮に今の友達づきあいのままで、アイドルや声優の追っかけをするのを全て禁じられたら何するんだろうなぁ、と思う。
割と土日の潰し方はそれなので、封じられてしまうと何もできない気がする。
だとしたら今の楽しさって誰によってもたらされているものなんだろう。
もしくはそんなに難しい問題じゃなくて、「楽しいを共有する」ってのが全てだと思う。
その手段が追っかけとか真似とかなんだと思う。
本当は自分で生産できるのが一番だけど。

卒業できる気がしない

なんか今期一つも単位取れない気がする。
ラボの同期に恥を忍んで泣き付こうと思う。
評価がどうなろうが、それは僕がどうにかするもんでもないし。
いや先に努力はしようね。って話ではある。

僕の目を見た君の目に写るものを見れない僕

好きをお金で買う。

凄く便利なことだと思う。

僕もそれ以上の感情を抱かなくていいし、彼女たちも仕事として求められるものをこなすだけだ。

所謂ガチ恋みたいなことはしてないはずだし、それでも僕はその10秒だけでも本物の「好き」を手に入れた気持ちになる。

その「好き」は彼女たちのものじゃなくて、自分自身の「好き」だ。

 

多分僕は高校生の頃から純粋な「好き」を自分が言えることを夢見ていて、それを拗らせている。

実際一度それで失敗しているし、それからもずっと空っぽな感覚がある。

誰かの言葉を信じるならそれは幽霊みたいなもので、噂でその存在は知っているけど多分本当には存在しないものなのかなぁ、とも思う。

好きになりたい。だから色んな情報を食べてみたり、その話を友人にしてみたりするけど、自分が想像しているトキメキは湧いてこない。

だからこそ、あの10秒は僕にとって何よりも貴重で中毒性のあるものになっていると思う。

 

結局僕が買っているのは「誰かに好きになってもらう時間」ではなくて「誰かを好きになっている自分」なんだと思う。

 

今日もまた「恋の熱に浮かされる詩」を聞きながらそれになれた気分になって気持ちよくなっている。

僕は君を好きになるんじゃなくて、君自身になりたいよ。

 

あーーー、とらドラの読みすぎですね、つらい

20190531

行っちゃいましたね、5月。

さっさと院生活終わらせたいのでもっと早く過ぎてほしいけど、うーん、色々複雑な感情が渦巻いている。

 

髪を切った

前切ったのが入学式前だったのでちょうど一ヶ月半くらい、タイミング的には丁度いいし、何より好きな女に会いに行くのでベストタイミングとしか言いようがない。

前回センターパートにしてもらったけど、セットがあり得ん難しかったのでまたマッシュにしてもらった。

セットするときに動画とらせてもらったんだけど、そのせいか凄く気合いいれてセットしてもらえていい感じになった。次もやろう。

次は髪染めてみたいなぁ。

 

服を買った

いや、昨日も買ったんだけどビビりすぎて試着せずに買ったらぶっかぶかでとても辛い思いをしたので、渋谷でちゃんと一着ずつ試着して買い直した。なんと適正サイズはXSでした。

黄色か白しか着てないので赤を買ってみた。

似合うかなぁ。

いっそオリオンのメンバー全色揃えてみるのもありかもしれない。

 

 

リリイベ

dvd受け取りにいったらメンバーが軒先でビラ配りしててビビりすぎて一回逃げてしまった。そういうところだぞ。

一応紫の方に話しかけてみたけど、まあお互い話が下手くそでうまくいかなかった。

見つけた時点で脳内がパニックになっていて、その状態でしゃべること考えていったので、脳内の言語が整頓されずに決壊してワケわからないことになっていた。

まずは落ち着いて、空白を恐れて考えてきた言語を投げつけるんじゃなくて、うまく投げ返せなくてもいいからキャッチボールができるようになれたらいいなぁと思う。

 

本編ではかなり腹を抱えて笑った。

やっぱりみんな話がうまいなぁ、と思う。

全握はさっきの反省生かして落ち着いてしゃべれたかなぁ、と思う。まだキャッチボールにはほど遠いけど。

あと目が見れるといいなぁ。

制限時間に焦りすぎてるのもあるかも、取り敢えず失敗してなんぼだし数打っていきましょう。

 

帰り

スマホの電池が切れて何をすればいいのかわからなくなってパニックになってしまった。

依存症怖いね。

本持ってればよかったね、とかそういう話じゃなくて、なにかをしないって時間が自分にとってあり得ないことなんだなぁと思った。

無の時間、どうしたらいいんだろう。

 

 

rendez-vous

大好きな曲なのでずっと聴いている。

浮遊感の中にリズミカル要素とキラキラがいっぱい詰まっててあって凄く好き。

ピアノでコード弾いてて、サビの裏でライドシンバル鳴ってれば全部好き説はあるけど。

僕はギターの音が嫌いなんだろうか。

現代ポップのリズムは踏みながら、テンポとかはロックによりつつ、それでいて優しい音が好きなのかもしれない。

 

もう少し詳しく考えてみて、メロディに乗らない歌詞と声質による浮遊感、お星さまのキラキラと、自分の中にある宇宙と外にある宇宙、夜明けからの目覚めとそこから一番星まで一気に進んでしまう時間、衝動みたいなものを感じた。

 

多分僕はこの歌から「自分の内側からの熱に浮かされる衝動に近いなにか」を感じるんだけどうまく言語化できない、かなり熱っぽいんだけどそれを直接的に感じることがない、凄く不思議な雰囲気の曲、多分スケールを銀河や星まで広げてるからなのかなぁ。

 

まあもっとシンプルに、恋の熱にうかされるとき溢れる衝動と逢瀬が好きなんだと思う。

 

今日は終わり。

また明日。片付けをきっとする。

咳はまだ治らない。

20190530

眠いけど書く。

 

やりたいことってなに

友人の就活を手伝いながら「僕は何をすることになるのかなぁ」と考える。

一応いきたい企業はあるけど、多分僕は強いコンテンツを作りたいというフワッとした気持ちでいる。

最初から強いコンテンツなんてほとんどないので、自分で育てる覚悟を決めなきゃいけないわけで、ただ情報を食べるだけじゃなくてそれをいずれ生まれてくるであろう僕の『子供』に食べさせられるような餌に加工するすべを身に付けないといけないなぁ、と思う。

あとは人と話す練習、頑張りたい

 

上司とのつきあい方の話

このまえ後輩に「○○さん(僕の上司)って凄くさばさばしてるというか…若干冷たくないですか?」と言われて凄くビックリした。

僕はとても優しくてよくこんな僕を世話してくれるなぁと感謝しきりっぱなしだけど、どうやら物差しの違う他人からみたらそうは見えないらしい。

よくよく聞いてみると「他の人は細かく指示を出している」「あんまりコミュニケーションを取ってるように見えない」という理由からさっきのように見えていたらしい。

 

確かにそれは全て正しいのだけど、多分これは二種類の人間によって見えかたが違う。

一人は、コンスタントに成果を出せる「持久走型」。

一人は、ある時期だけ根詰めてやって休むを繰り返す「短距離走型」。

 

後輩氏は持久走型なので、短いスパンで細かく指示をもらった方がありがたいと感じるが、僕は短距離走型なので、大きめの雑なスケジュールを長めに組んで、最終的に成果を出す方がやりやすい。

よくよく考えてみると、僕が今までうまくやってこれた上司は、大雑把に仕様を投げて最終的に成果をあげればよいって人が多かった

 

どっちがいいか悪いかはわからないけど、ひとつ言えることは「短距離走型」は後回し癖がつくと「夏休み最終日に宿題片付ける型*1」になる。僕はこれ。ダメジャーン。

 

風邪が治らない

咳が止まらないし頭がいたい。

ZAZENBOYSのライブで調子にのってビール飲んでゆらゆらしてたら恐ろしいくらい悪化した。

おとなしく寝ます。

*1:長い。

20190523

かぜをひいた

久々に風邪をひいた。

多分ここ数年で一番体調が悪い。

大学で講義を受けながら、ここをサボったらすべてが終わるという状況で必死に悪寒と戦っていた。

案の定38度の発熱があり、次の日の授業をすべて放棄して寝た。

2hに一回起きるという地獄を体験したものの、トータルで18h寝たおかげで体温は平熱に戻った。

 

よくよく考えてみれば一昨日の時点でリンパ(?)の痛みがあったし、その時点で察してちゃんと睡眠をとるべきだった。

後々一週間を風邪で棒に振るのはわかっていたはずなのに、徹夜をやめなかった僕の自己責任ではあるけど。

 

人事評価があった

僕のバイト先では数ヵ月に一度人事面談があり、そこでプロジェクトからの評価をもらえるのだが、前回同様かなり評価がよかった。

『悪い点は無いです』って言われたんだけど、それって「悪い点が見えるほど仕事での付き合いをしてない」ってことなのかなぁと思って少し悲しくなった。

悪いとこがないなんて、そんなことはないはずなので正直悪いとこはガンガン挙げてほしい。直接言うわけじゃないんだし…

 

まあ、好評価で調子に乗らないように、でも手は抜かないようにしないといけない。

愛と衝動

僕が良く言う「愛になりたい」と言う話。

衝動

中学一年生の頃に読んだあの話を、あの時の衝撃をよく覚えている。

(略)
国道の横断歩道へ踏み出そうとしたとたん、信号が点滅する。そんなことにさえ気がいら立って、少年は小さく足踏みした。
さっきから後ろで、小さい子供たちの声がしている。自分にもあんなころがあった、と半ばうわの空で思いながら、ぼんやり信号の変わるのを待っている少年の耳に、今までたわいもないおしゃべりだった子供たちの声が、急にはっきりした意味をもったさけびになってひびいてきた。
「にじが出てるよ。」
「にじだ、にじだ。」
思わず振り返って、子供たちがまっすぐに指さす空を見上げると、ああ、確かににじだ。赤、黄、緑、太いクレヨンでひと息に引いたような線が、灰色の空を鮮やかにまたいでいる。上端はおぼろに空中に消え、下はビルと森のかげに隠れて、見えているのはほんの一部分だ。
少年は、自分でも思いがけない衝動に駆られて、辺りを見回した。
──高い所がないか、あれが全部見える所が。
あった、すぐ目の前に、国道を横切る歩道橋が。少年はためらわず、そちらへ駆けた。いつもは、階段の上り下りをめんどうがって、ついぞ利用したことのない歩道橋だったが。
(後略)

にじの見える橋 -- 杉みき子

『衝動に駆られる』という言葉をこの時に初めて知り、後にも先にも無いような衝撃を受けた。
心のそこから湧き上がる、自分にさえも邪魔できない、一瞬で燃え上がるような激しい感情。
そんなものがこの世にあるのだとひどく感動した。

自分自身は確かに衝動的に行動することは多かったけど、それは上に書いたような詩的な表現が介入する余地の無い幼稚なものであった。
それからずっと、僕は衝動的になれる何かを、打算的では無いただ純粋な興味や愛で突き動かされる体験を求めて生きている。

愛に突き動かされる人たち

自分自身が詩的表現としての『衝動』に駆られることはなく、自分の中の「好き」をコントロールするようになっていた。
もしくは、他人から借りた知識や感情を自分のものにしたつもりになって気持ちよくなるような人間になった。
「自分の知識が借り物だとバレたく無い」
「本物の人間に自分が偽物であるとバレたく無い」
そういった「外からどう思われるか」を基準に行動してしまっている。
ぱっと見「シャカマオタク*1」である。
ぱっと見じゃなくて実際にそうなんだけど。

でももちろん、世の中にはそうじゃ無い人がいっぱいいる。
人の目も気にしない、誰にどう思われたって構わない。
にわかだと指をさされたって気にしない。
ただ、自分の中の「好き」に突き動かされる人。

そういう人たちが本当に羨ましかった。
難しい言葉を並べてわかったつもりになっている僕とは違う、彼らはただ自分の「好き」と言う感情に突き動かされて生きている。

その人たちが紡ぐ言葉に濁りはなく、ただどこまでも純粋なのだ。
その言葉たちが大好きだった。
だから、そういう人を見つけたら、無理矢理にでもブログをはじめさせて、それを紡いでもらった。
完全に個人的な趣味ではあるけど、いつでもそれを摂取できるような環境が欲しかった。

それでもみんな、自分の言葉を紡いでくれた。
音楽、キャラクター、学問、声優さん、いろんなものへの綺麗な「好き」がそこに詰まっていた。
記事が投稿されるたびに貪るように読み、スターを連打してもう一回読み直す。

そして昨日も、なんとなく「記事を書いてくれ」と友人に頼んだ。
しかし頼んだことを忘れて数分後に寝た。ひどすぎる。

今朝起きてみると、友人はちゃんと記事を書いてくれていた。
そこにあったのは、本当に、それが大好きなのだと伝わってくる、熱っぽいわけでも無いのに滲み出る「好き」が見える記事だった。
久しぶりにクリーンヒットしてしまった。
また僕は「何かを純粋に好きだと叫んでしまう気持ち」に当てられてしまった。
そうだ、僕はこういう感情が見たかった。
混じり気の無い、純粋な気持ち。
案の定、彼を直接知らない人たちにも広く読まれていて、かなり好評だった。

感動する気持ちと同時に、羨ましくなった。
言ってしまえば、僕が「関わりたく無い」と思っていた人たちに評価されている。
なぜ僕が「関わりたく無い」と思ったのか、それは僕が偽物だとバレてしまうからだ。
そこにあるのは「誰か好き」ではなく「自分がかわいい」という感情だけだ。
彼はそれを、ただ純粋な「好き」という感情で飛び越えてしまった。
ただ、美しいな、と思った。

そんなこんなで、僕はこんなお気持ち表明を朝から書いている。
こんな風に感想を書いてしまうのは無粋な気もする。
けど僕はこれを自己満足のために書く。
自分が「衝動に駆られた」証拠を残すために。

*1:斜に構えるオタク