昇り降りの日々

学務様が見てる

2分49秒だけの気持ち

コートの隙間から、冷たい空気が流れ込む季節になってきた。
万世橋から日本橋まで歩く道は、思わず空を見上げながら歩いてしまう。
曽祖父の形見のコートを着て、イヤホンで耳をふさぎ、流れてくる音で心を埋める。
三越の上に輝く月を見て、いつもよりちょっと綺麗だな、なんてことを思った。
今感じた気持ちを、透明なガラス瓶に取っておければいいのに、と考えてしまう。
僕の世界を音楽が支配している間は、その曲が持っている感情が僕の心を作ってくれる。

足りない気持ちを埋めるように、ずっと同じ曲を聴き続けている。
しかし何度も何度も聴いても、イヤホンを外してしまえば僕の心からするすると零れ落ちていく。
僕の心を満たしていたこの綺麗な感情は借り物にすぎない。
雨に降られた君との日々も、君を見つめていたいこの気持ちも、すべて僕のものではない。
欲しい。
何かにときめく心、雨の日々を美しいと思う気持ち、そしてそんな他愛もない話を笑いながら聞いてくれる『君』。
君と降られた日々を、晴れ間がのぞくその瞬間を、そのとき君が見せたその顔を、ずっとずっと覚えていたい。
なぜ僕にはその気持ちがないのだろう。

耳をふさげば、僕の心はほとんど空っぽになってしまう。
苦しい、苦しい、空になって内圧を失った心は外界からやってくる圧力に耐えられずに今にも潰れてしまいそうになる。
キラキラした人の心を少し削って、それを集めて作った飴玉があったのならどんな味がするのだろう?
知らないわけじゃない。甘いだけの飴玉はこの世にないのだ。

ああ、今気づいた。
今感じている気持ちは、ただ『さみしい』という言葉に集約されてしまうのだと。
イヤホンを外して、「さみしい」と呟いてみた。
驚くほどに、僕の心は何の反応も示さなかった。