昇り降りの日々

学務様が見てる

誰かのふりをするのが上手い、と思う。
ここで言う「誰か」は特定の人間を指す言葉ではなく、自分が想像しうる「こう言う特性を持つ人間はかくあるべき」という空想上の要素を持ち合わせた人間のことだ。
でもこれは本物が見れば一瞬でバレる。
だから僕は常に本物に怯えながら生きている。

空っぽであることは自分がここにいる必要がないということ。
役割のない人間を誰も気にかけてはくれない。
だから僕は期待される役割を、自分のできる範囲で演じる。
やればやるほど本物にエンカウントする確率は上がっていくはずなのに、その中で少しずつ「自分」が認められていく快感に勝てない。
そしていずれ「本物」を期待されるようになると、また僕はその組織を去るのだ。
そうやって色々なところから逃げてきた。
人間、土地、大学、会社、誰にも僕の中身を見られたくなかった。

自身がない僕にある唯一の救いは音楽だ。
空っぽな人間が言語化できない、もしくは味わったことのない感情をインスタントに与えてくれる。
イヤホンをしている間は、僕は僕ではない姿で僕の世界で生きられる。
僕を僕足らしめるのは、僕ではない誰かなのだ。
僕は内から溢れる何かの内圧ではなく、外界の作用によってその形を維持している。

期待を持って彼らが開けるのは空の箱。
叩けば高く軽い音がなる、ハリボテのような身体は、今まさに社会の波の中でボロボロに崩れ去りそうになっている。