昇り降りの日々

学務様が見てる

a stage to

ぐるぐると回る島の中で焦る気持ちと、肌の上を虫が這うような気持ち悪さにじっと耐えている。

多分僕は人と日常的に触れあってはいけない。

例えば家族だとか、少し踏み込んだ友達とか、常に同じものが接している時間は時間の感覚や心の感覚を麻痺させる。

普段の僕の感覚が正しいのか、麻痺したと感じている状態が正しいのかはわからないけれど、今の僕にとっては出来るだけ麻痺していない状態を維持していたい。

孤立をする気はないが、孤独である方が正しいのかもしれない。

一人で一人の背中をさする姿を笑われても、二人以上のときに発生する居心地の悪さに比べれば何倍もましだ。

耐える、徹底的に自分の頭を洗脳する。

何も作らない、何も作っていない。

そんな生活は本当に心地よくて、ただ流れる時間を共有できる人間と共に身を任せるだけだ。

この大きな流れの一部になりたい。

楽しいを貪り食い、海を背に燃える火の前で乾く顔を擦る。

あのときと同じ匂い、僕の心は油断すると昔の時代へ帰ってしまう。

これを無駄だと思えるほど人間が腐ったりはしていない。

ただ無駄だと思おうとしている自分もいる。

自分のやっていることを高尚だと思い込むために、自分の思い描いた理想のなかに今の自分がいると思い込むために、過去の怠惰を火にくべて燃やす。

その焼却が、今の僕を肯定するわけでもなければ、未来の進展を産むわけでもない。

 

きっと、自分が常に無駄のなかにいるから、本来尊いと思えるものをそう思えないんだろう。

 

あとに回す、周りの目が気になる、そんな下らんことで何もできないでいる。

またメンタルを破壊する月間に入らなければならない。

僕は大丈夫、僕は元気です。

再生・再生産

年が明け、東京事変が復活し、僕も誕生日を迎え、新しい日を浴びる。

年末年始独特のまったりとした雰囲気が嫌いで、今回は出来るだけそれを避けよう何てことを考えていたら風邪でぶっ倒れ寝ながら年を越してしまった。
その副産物として8年ぶりくらいにガキ使で年を越した。副産物???

残念なことに風邪が治り、社会の圧力に負け、一年ぶりに実家に帰省したのはいいものの、やっぱり居心地が悪い。
なんのやる気も起きないし、周りに何もないし、移動する足もなく、誰もいない家の中に丸一日幽閉されている。
複数人で生活している家には、その構成人員が(もしくは支配者が)過ごしやすいルールというものが存在していて、少なくとも今の僕はそのルールからは外れている。
それがどうしようもなく苦痛だ。
もはや「家族だから」という自分から発生する理由ではなく、社会的な構成単位の一部に付して生まれてしまった自分の役割としてこの家で過ごしている。
もしくは、自分を育てた人間に対する多少の同情、こちらの方が大きい気もする。

なんども思うことだが、僕は何かに属することが苦手だ。
固定化されてくるコミュニティの中で生まれるルール、馴れ合い、そこからほんの少しでも自分が逸脱してしまうと途轍もない居心地の悪さを感じてしまう。
かと言って孤独に生きていけるほど僕の心は強くないので、元いたコミュニティからまた別のコミュニティに移住する。

自分を構成するものは最小単位であってほしい。
そう願いつつも、自分は国、企業、大学、家族の構成単位である。
その恩恵を受けている以上この中で生きていくのだ。

年明け一発目から記事が暗いなぁ。
今日で24歳になりました。
年男です、厄年です。
今年もよろしくお願いいたします。
事変のライブ絶対行こうね。

open.spotify.com

トキメキ

胸に発生したトキメキを甘い金平糖に変えて、金魚の泳ぐ和紙で彩られた円筒形の缶に閉じ込める。

軽く振るとカラカラと音がして、こうしてまたトキメキを貯められた、という充足感に浸る。

一粒ずつ口に含んで、転がしてみたり、噛み砕いてみたり、たまにはそのまま飲み込んでみる。

すると、今日の思いがハッキリと再現するわけではないけど、記憶として思い出せるようになる。

欲張って鷲掴みにしてしまうと来年まで持たないので、ちょっとずつ、ちょっとずつ消費していく。

工業的に生成された砂糖は雑じり気無く甘くて美味しい。

やっぱり僕はこの甘さしか受け入れられない。

 

20191223

8時半に目が覚めた。

睡眠不足なのに微塵も眠くない。

いつもならやる気が起きないことも、なんか今日なら出来る気がする。

まず手始めに髪をバッサリ切ってもらった。

またマフラーを巻いて、何となく眼鏡をかけてみて、渋谷をぶらぶらしてみる。

満足度がかなり高い。

そのままのうきうきテンションで中華街へ行った。

キンコウロウという店で食べた麻婆豆腐が美味しくて、またハッピーになった。

今まで食ってきた物のなかで一番うまい。

なんか今日は全体的に楽しい。

 

ライブ

自分の体力の範囲でゆらゆらと揺れるのが楽しくて、冬なのにシャツはびしょ濡れになっていた。

ライブ自体は楽しかったけど、コンテンツに対して今まで感じていたようなトキメキは無かったので、正直潮時かなぁとか思っていた。

けど、最後の一瞬油断した隙に打ち込まれた一撃でまたコロッといってしまった。

素直に尊敬した、こういう細かいところに人間落ちるもんなんだなー。

しばらくはまた緩く通う気がする。

緩くだけど。

 

今日の空はとても綺麗で、一昨日見た空よりもハッキリとオリオン座が見えた。

 

20191222

特になにもしてない

今日は一日中ピアノを弾いておしまい。

散歩に行きたかったけど雨が降っていた。

そろそろ手首が腱鞘炎になってしまいそう。

 

承認

自分がネットの海に投げたものが称賛されるときもちがいいことはもはや自明の理だけども、数字だけじゃなくて言葉で『良い』と言われるのはさらに気持ちがよかった。

大事なのはクオリティよりも世に出すことですね。

やっていきたい。

平らな気持ち

震えたい。街の真ん中で大声で泣き叫んでしまうような、激しい情動に支配されたい。

激しく僕の心を揺さぶる何かを、感情を借りたい。

音楽じゃ足りない、文字じゃ足りない、絵じゃ足りない、もっと自らの心臓を激しくかきむしるような、そんな気持ちに駆られたい。

ここ最近何をしても心が激しく震えない。

それはつまり健康であるということで、そして痛みに慣れたということだ。

もっと孤独であるべきなのか、全てを絶って何もない世界で発狂すればこのモヤモヤはなくなるのか。

もっと揺さぶられたい。そのうち僕は少しずつ脳を締め上げる快楽に身を任せてしまう。目の前が少しクラクラとして、やがて世界が渦を巻く。

ベッドの上で僕にまたがりながら、君は僕の首に手をかける。

少しずつその手にかかる重さに、華奢な体にもしっかりとした重さがあることに気づく。

苦しい、その感覚が気持ちいい。

その先に行こうとすると全てが消えて、世界が真っ直ぐに揃う。

もう一歩、進む勇気があれば僕はもっと激しい感情を得られるはずなのに、理性が社会規範に支配される僕の生活とそれを天秤にかけて、恐怖が前者をかさ増しする。

全てを捨てて無敵になりたい、それも人生が行き詰まったときにとっておくべきなのだろうか。

仮にもう一歩踏み込んだとしても僕の欲しいものは得られなくて、リスクだけがそこに残るかもしれない。

怖い、怖い、でも揺さぶられたい、でも怖い。

自分の体を維持するのに金がかかる。

だから僕はこれ以上のリスクをとれない。