昇り降りの日々

学務様が見てる

200924

今日

睡眠

0030-0650
割とスッキリ起きた。

活動

寒い。
今日の気温は高くても22度らしく、お風呂から上がるのもちょっとしんどいくらいの寒さになってきた。
服は長袖をきた。

台風が来ると聞いていたが、昨日の時点で予報に曇りが混じっていたのでどうせ影響がないだろうと踏んで映画の予約をしておいた。
9時開始の分を予約してしまったのでかなり駆け足で準備をして電車に乗り込んだが、あんまり汗をかかなかった。

見た映画はヴァイオレットエヴァーガーデン
テレビ版の時から大好きな作品だったので、この劇場版をずっと楽しみにしていた。
ネタバレをしたくないので感想は個人的にまとめるにとどめるが、とてもいい物語とその終わりを見れたと思う。

映画を見た後はスタバで研究を進めて帰った。
スタバラテのおかわりを恒久化して欲しい。一生飲める。

定期がある間はお金が減る感覚があんまりなくて手元にお金がだぶついていたから逆に節約してたけど、今はかなりカツカツで1週間の限度額を一度超えるといくら使ったかわからなくなる。
固定で払う金は予め予算に入れておいて、それ以外の金を余裕を持ってやりくりするようにしないと、脳味噌を使う疲労を理由にしてまた散財してしまう。
電車賃って結構馬鹿にならない。

来週からもう少し徹底して同じ金額で過ごせるようにしないと引越し費用が消える。
授業料も。

明日はもっとよくならない

今日はあまりやる気が出ないけど明日なら。
明日ならもっといいアイディアが出る。
残念だけどその明日は永遠にやってこない。
人類の歴史の中で何回も言われてきたであろうし、きっとみんな耳にタコができるほど聞いてきたことだと思う。
けどそれがわかってて尚行動を改められないのが人間で、家に篭っているとまた何もせずに布団の上で24時間を過ごしてしまう。

ところで、その明日は永遠にやってこないという言葉は物事を始めることに対してずっと使ってきていたけど、終わらせることにも適用できるらしい。
"Done is better than perfect"とも言うが、じゃあなんでDoneできないのかと言うと明日にはもっといいもの(そしてそれは『新しく作るもの』を念頭に置いている)ができることを期待しているからだ。
言葉だけ教訓として知っていても人間は怠惰なのでそれだけでは向上できない。
踏み込んで考えてみれば、僕の怠惰は明日への期待を言い訳にしている。
だから自分に最適化した言葉は『明日はもっとよくならない』。

200922, 23

22

映画をみました。
難しい話をしているようで、ストーリーそのものは分岐せず一本のルートで出来ていて、かつそれを逆向きに回すから伏線改修をする際に視聴者が過去の出来事を思い返す必要がないのはかなり画期的だなあと思いました。
コナンと同じで、どんだけ難しいトリック使ってても最後ドンパチしてればオールOKな感じがある。

あとパンケーキも食べました。
金がないのにコーヒーを頼むべきではなかった。
感動するほど美味しいってわけではなかったけど、体験そのものにあの額を払ったならまあ妥当な金額なのかな、とも思った。
僕のような人間は野良飲みが一番向いてるなあと思い直した。
結局最後野良飲みして帰ったし。

6000円くらい使った。

23

家で勉強できないし、図書館も研究室も使えないので、羽田空港で研究を進めてみた。
思いの外快適で、机もあるし、コンセントもあるし、Wifi(ただし激弱)もあるし、場所変えすると気分転換になるし、月一くらいで利用してもいいかもしれない。
全てのターミナルを見て回ったのだけど、やっぱり活気がない。
国際線ターミナルは顕著で、出発のボードはぱっと見アメリカ中国を中心にかなりの本数があるように見えたけど、備考欄を見たら全て欠航にになっていてゾッとした。
出発ロビーの上にあるお店通りもほぼ全てしまっていた。
展望デッキからも景色を見たけど、明らかに離発着する飛行機の数が少ないし、使わなくなったと思しき飛行機が端の方に寄せられていてなんか悲しくなった。
飛行機を見れば乗りたい欲求が収まるかなと思ったけど高まっていく一方だった。

お勉強はだいぶ進んで、コードを書く所はかなりきれいにかけたと思う。
forが遅すぎるので内包表記とかでもどうにもならないような気がする。
どうしよう。明日先輩に聞いてみよう。

話す

話すのがどんどん下手くそになっている気がする。
自分から人間と話す機会を作らないと、脳味噌から単語を取り出す能力が衰えていく。
こんなふうにブログだけかけてもしょうがない……

気温

だいぶ肌寒かったので毛布で寝た。
外に出てみるともうそろそろ半袖だときつくなるかもなあ、というくらいの気温だった。
天気予報を見てみると、来週の晴れの日の気温が雨の降っている今日と同じくらいの気温と同じくらいだったので、10月以降天気がぐずついたら長袖に変えるタイミングなのかもしれない。
引越しに備えて夏服は全部ケースにしまおう。

楽しいと思えるものを書いた方が良い。
なんか最近義務感があったので、下手くそでもいいから出来るだけリスポーン地点を先に先に進める作業をしていきたい。
同じものにずっと向き合い続ける3ヶ月方法はちょっと無理かもしれない。

呪い、飽き、実在性

昨日

ロリガ展に行って、夜は大学同期とZoom飲み会をした。
健全な方のブログに書いた。

ladder-frck.hatenadiary.com

今日

早起きしたけど、眠すぎて二度寝して12時に起きて、さらに17時までTwitterとかYoutubeとかまとめとかニュースとか見て17時まで布団から出なかった。
最悪な気分だったので、風呂に入って買い物をして、麻婆豆腐を自分で作った。
今日も特に何もしていない。

実在

ドラマティックな世界は、遠い煌びやかな雲の上の目に見えないどこかにあるような気がしている。 目に見える世界以外にも、僕と同じように一人一人意識を持った人間が生活をしていることをいつも忘れてしまう。
だからどこかに旅に出るたびに、いつも「ここには人が住んでいて、僕の想像の中にしかない世界もきっと存在するんだ」と簡単な事実に感動する。
でも考えてみたらそれは当たり前で、僕たちの住んでいた小さな島の端っこの、学校のベランダや廊下の日常にもドラマがあったように、人間が相互作用する場所には必ずそれが存在する。

港町の背の低い建物、煤けたコンクリート、不相応なガラス張りのタワー、ネコバスのように林を通り抜ける電車、作られたみたいな街の中にいるのは観光客だけで、だけど確かに街の息は聞こえる。
草むらに、木陰に、石の裏に隠れた生き物たちが這う振動やうねりがその土地の生を作っているように、この街もここで確かに生活をしている人たちの静かな蠢きが感じられる。
きっと僕の想像するドラマよりももっと激しかったり、悲しかったりすることがここにはあるのだと思う。

あき

どんなものにも飽きはくる。食べ物でも、好きな子でも、趣味でも。
それは変化の乏しいものを全て食べ尽くしてしまったことで起きるもので、暴食しがちな僕には割と早い段階で飽きがやってくる。

少しずつ変化するものは自分がそれに対する信頼を保ち続ける限り好きでいられる。
今土地に抱いているワクワクは「ここにはまだ何かがある」という気持ちと、いつかくる冬への期待だと思う。
だけどそれを達成してしまったら多分すぐに飽きる。

生きている街は少しずつ変化をしている、僕は今のこの街が好きだ。
だけど何に期待をしているのか見出せずにいる。
この核を見つけることは、僕の中の『好き』のエッセンスを見つける鍵になると信じている。

open.spotify.com

文頭に『多分』って文字を使いがち

『気がする』もよく使う。

昨日

一人になるために、一人しかいない部屋からバイクに乗って旅に出た。
適当に決めた行き先の展望台は空いてなくて、結局いつもの場所に来てしまった。
こんな夜中なのにいつもよりもたくさん人がいてアウェー感を感じた。

川の水に足を浸して、ボケーっとしてタバコを吸って、それ以外は何もせずに帰った。
別にノスタルジーだとか寂しさだとか、そういう感情はあんまりわかなかった。

今日

早起きしてちゃんと朝ご飯食べたのに、眠すぎて二度寝したら12時過ぎに起きてしまった。
結局16時くらいまで何してたか覚えてない。
そのあとは10時くらいまでずっとゲームしてた。

恥の感情を無くしたい。
もっと簡単にいうなら、見栄をはるのをやめたい。
僕が毎分発狂しているのは恥の感情を想起させられるからで、そして思い返されるシーンが少ないのはその絶対量が少ないからだ。
自分をそのままで出さないことは、相手への信頼がないことを意味していて、自分からの信頼がないのなら基本的に相手からは信頼されない。
僕の周りにいてくれる人(もしくは僕が切らずにいる人)は自分から信頼してコミュニケーションを取ってくれる人だ。
それに甘えている現状を直視しないと、このままどんどん小さく折り畳まれていってしまうように思う。

あるとわかっているもの

最近夜に散歩していると楽しそうな親子を見かける。
背伸びしながらベビーカーを押す4歳くらいの女の子、建物の影に隠れて母親を驚かせようとする2年生くらいの男の子、子供も親もどちらも楽しそうでなんだかこちらも幸せな気分になる。
ずっと自分にはそういうものが得られないという悲しみに苦しんでいたけれど、最近はその存在を知っているだけでいいんじゃないかと思い始めた。
僕が欲しいと思っていたものは一度はこの手にあったもので、それでも尚こんな感情を抱え続けている以上は仮にもう一度それを手に入れられたとしてもきっと何も問題は解決しない。

満足はしてないけど納得はしてる*1というフレーズがしっくりくるようになった。
多分もうこの気持ちに関してはこれ以上考えるだけ無駄だと思う。

憧れの整理

『やりたいこと』と『憧れ』は別物なんだなと散歩しながら気づいた。
憧れは一貫性がありつつもかなり範囲が広くて、よくそれを感じるのは『なんでもできる人』『他人の心を動かすものを作った人』『それによって称賛を受ける人』に対してで、じゃあその人たちがやっていることを自分もやりたいかと言われると答えはNoだ。
僕はその人たちが得ている結果が欲しいだけで、それをやりたいわけじゃない。
昔から僕が言っている生産者になりたいという気持ちは多分その『憧れ』からきていて、具体的に僕がやりたいことではない。

そういう雑な感情からもう少し解像度を上げていくと、本当に僕が憧れている人は数名しかいなくて、しかもその人たちの人間性に憧れているだけでやっていることには一切憧れがないことがわかった。
その人間性というのは『人から好かれたい』であって、それはもはや憧れなんて皮を被ったものではなく単純な僕の孤独と臆病の塊だ。
ぼんやりとした憧れの感情への根本的な解決は、憧れた人と同じ結果を得ることではなく、多分そこを何かしらで解決する方法を見つけることだ。

憧れが自分の何かをしたいというある程度独立していることがわかったので、そこから切り離してやりたいことを考えてみる。
生産、という言葉をもう少し分解してみると自分の分野では『キャラクター』『数字』『言葉』でできていることがわかる。
ということは『生産者になりたい』というのは多分このどれかに当てはまる。
そうなると答えは明白で、僕は言葉が作りたいんだと思う。

僕の心は『人に好かれたい』『言葉が作りたい』のに要素で全部解決できる。
わかってみると本当に単純な人間だなあと思う。
単純な割に解決は難しいけど、残りの時間でどうそれを満たすのかを考えないといけない。

考え事

最近散歩の時間とタバコの時間は情報を頭に入れないことにしている。
基本的にはスマホを持ち歩かずに、何か思い浮かぶならそれについて分解しながら考えてこうやってまとめて、何も思いつかないならその穏やかな感情を出来るだけ維持できるように努める。
もう少し緩く脳味噌が外に開いている状態をできるだけ長くしたい。
スマホがなくなればいいけど、ここまで生活に入り込んでいるとなかなか難しい。
今日はうまくいきすぎている。

youtu.be

*1:おやすみプンプンに出てきたセリフ

下がる、沈む

3日間

発表が終わってからずっとぼけっとしている。
寝て起きてを繰り返しているので1週間くらい前のような気がしているけど、実は2日しかたってない。
だんだんと生活が崩壊し始めていて、飯を食いたくない、風呂に入りたくない、外に出たくない、の悪いループが始まりつつある。
多分このままいくと冬季鬱まっしぐらなので、この半年は無理やりにでも規則正しい生活を続けて精神を保たなきゃいけない。
とりあえず明日からまた目覚ましをちゃんと適切な位置でかけて、生活を取り戻したい。

やりたい/為したい

毎度毎度思うことではあるけど、結果が欲しいだけの人間と、過程を楽しみたい人間は根本から違う。
その間が繋がってるならまだいいけど、僕はただ結果が欲しいだけらしい。
腱鞘炎にもならないし、ペンだこもできない、妄想だけは誰にでもできるけど具体化は限られた人間にしかできない。
ずっと誰かの助けによって能力が授けられるようなきがしていて、いつかその環境が発生するのを待っている。

考えてみれば今まで自分で何かを掴んだことってあんまりなくて、何もかもが他人の後ろについてドラフティングして、また次の人に乗り換えるようなことをしている。
実態が伴わないまま、口先だけで言い続けていた環境にいざぶちこまれたら何もできずに縮こまっている。
結局批評に逃げるしかなくて、こうやって自分自身を分析してまた何かを進展させた気になっている。
自分の目の前にあることをまず為さないことにはそんなことをいってる時間はなくて、何もしないのに反省だけしている。

称賛が欲しい、少しずつそのハードルが下がりつつあるのは感じているけど、でもやっぱり自分自身にそれが降ってくることをずっと夢見ている。
プラスだけもらえるなんてことは絶対になくて、でもマイナスを受け入れる覚悟がないから勝馬に乗るしかない。
僕が早く次に行くためには1の成功のために99の失敗を積むしかない。
だけどその行動すらめんどくさすぎて、才能に言い訳して今日もまたこのまま眠ろうとしている。

今日のことを振り返りながらフラフラと歩いている時、自分はこの酸欠で視界が消えていく感覚が好きなことを自覚した。
それを書くことさえ2日かかった。

200911-13

金曜

発表練習。まあうまくやったんじゃないだろうか。
安心してその後のFB対応を放置してるけど。
これ終わったらやろう。
お風呂掃除をした。

土曜

たっぷり寝た。
流しの掃除もした。
旅行の計画を立てた。

好きな絵柄の人の絵を模写し始めた。
結構集中して書いて、疲れたーと思って時計見たら1時間も経ってなかったりする。
いいんだか悪いんだか分からないけど、そこで休憩を挟んでまとめとかYoutubeとかみ始めると絵を描いた時間の倍の時間を消費してしまうのがよくない。
多分もっとちゃんと絵に時間を費やせばこの日のうちに線画終われたんだろうなあ。

日曜

またたっぷり寝た。
配達のチャイムで起きた。

13時くらいまでボーッとして、また絵を書いて、ネットを見るループを繰り返していた。
インターネットやめたい。

今日のタバコ時間にスマホを持っていかなかったらかなり脳みそが楽だった。
PCで大体のことができるし、しばらく電源切っていてもいいかもしれない。
ラジオ生活も再開しようかな。

そういえば鼻水が止まらない。
風邪ひいたかな。

その他

  • セミが鳴かなくなった。エアコンがいらなくなった。知らんうちに九月も半分終わろうとしている。

200910

眠いので書きなぐり

 

青春18きっぷの最後の一回分が残っていたので、朝方に沼津行くか水戸に行くか悩み、まあ用事がない限り行かないであろう水戸を選んだ。

行く途中に調べてたら、水戸の次の駅がひたちなか海浜公園の最寄りだったのでそっちに行くことにした。

13時頃に着いたけど、ついた瞬間に雨が降り始めてしまったのですぐに引き返して水戸に戻った。

駅前の昭和なラーメンやさんでラーメン食べて、一時間以上歩いて偕楽園に向かった。

何個かこういうxx園には行ったけど、兼六園見たときと同じくらいには感動があった。

そもそも広すぎる。歩ききるのに1.5hくらいかかったし、めっちゃ道に迷った。

茶室がめちゃくちゃ古風でよかった、過去に天皇も休んだことがあると書いてあったのでやっぱりそれくらいに美しい建物なのだろう。

外からみると滅茶苦茶小さな建物に見えたけど、入ってみると想像の50倍くらい広かった。

こんな豪華な公園を無料で出入りできる茨城県民は本当に恵まれている。

斉昭の建設理念に基づいているんだろう。大変素晴らしいことだ。

 

水戸のどこをみても光國か斉昭の業績のもので、本当に偉大な人なんだなと感じる。

大日本史の編纂とか本当にイカれてる。

 

偕楽園から水戸駅はもう3km歩く元気がなかったのでバスで帰った。

 

帰りは土浦で霞ヶ浦を見たけど角度が悪かったのか大きさは実感できなかった。

もう少し良い場所からみてみたい。

 

帰りはアキバまででてシンデレラコラボみて、10時過ぎまで二時間くらい学会スライド作った。

 

行きも帰りもずっとスライド作ってたので、なかなかに完成度は上がったんじゃないだろうか。

明日の練習でパニクらないようにしよう。

作業はやっぱり大学か電車内に限る。