昇り降りの日々

学務様が見てる

嫌われる勇気

という本があるらしい。書店で見かけたがダイヤモンド社の本はなんとなく買う気にならなかった(強い偏見)。一応ダイヤモンド社が出している本を全く読まないわけではない。流行りに乗ってドラッガーとかは遠い昔に読んだ覚えがある。内容は覚えていない。

 

人間、割と嫌われるのが怖いものであるらしい。僕も割とその傾向が強く、幼いころから怒られてばっかりで、気が付いたら人の顔色を伺いながら生きるようになっていた。僕の行動の理由づけの8割くらいは「嫌われたくないor 失望されたくない」というものである。なんと生きづらい。

 

様々な媒体の出現により人間の感情が見えやすくなっている今の社会に身をさらしていると、無意識に人間の顔色を伺ってしまう僕は本当に苦しい。すべての人間が大太刀を振り回し、その切っ先を僕に向けているように感じてしまう。別に人間一人に嫌われたところで僕の知ったところではない。それはわかっている。でもやはり、心の奥底から湧き上がる恐怖に耐えられない。

 

幼いころからこのある種病的な恐怖に苦しめられているが、いまだに自分の中で有効な対処法は見つかっていない。恥じるべき歴史だが、他人を見下すことで自分を保っていた時期もあった。しかしこれは現代社会の理性ある人間がすることではない。

あの本を読めばどうにかなるのだろうか、どうにもならなさそうだ。

 

今世にはびこるのは強い主張をする人間と強く感情をむき出しにする人間ばかりである。言ったもん勝ちの空気が世間に流れ、声を荒げ他人を批判ではなく否定する。しかしこの世相感すらも思い込みの激しい僕の妄想かもしれない。強い肯定感が欲しい。しかしこれも結局恐怖の裏返しだ。天井に小さく「Yes」と書いてあるのを見て感銘を受けたミュージシャンがいるそうだ。そんな感じなのかもしれない*1

 

やっぱり僕は海辺で一人本を読みながら暮らしたほうがいいのだ、とこうやってまた自分をよくわからずに正当化して生きている。いつまで持つだろう。

 

 

最近暗いことばっかり書いてるから暗くなるのだ。次は普通の内容を書く、と縛ることにする。

 

 

*1:これは防衛機制だ。大物と自分を重ねて気持ち良くなるなよな