昇り降りの日々

学務様が見てる

怒られるのが本当に怖い

これは「言い訳」である。

 

タイトルの通りだ。怒られるのが本当に怖い。怒られること自体もそうなのだが、怒られるのではないか、という実際に起きてないことに対する恐怖もかなりある。

叱られることじゃなくても、ちょっと指導をされたり、大きめの声で名前を呼ばれるだけでも心が思い切り握りつぶされるような気持になる。

僕の大学の教員に、激しいアカハラを受けて心が壊れてしまった先生がいて、その先生の口癖が「怒られたらどうしよう…」なのだ。作業中の学生が集まった、静まり返った実験室にそのひとりごとがただひたすら響く。みんなそれをバカにしていたけど、正直僕は笑えなかった。みんな同じような感情を持ってると思ってたけど、どうやら違うらしい。

 

最近はないが、僕も精神が擦り切れてるときは虚空に向かって「ごめんなさい」とひたすら連呼してしまうことがある。突然心臓の下の方がぎりぎりと締め上げられるような感覚に襲われて、見えない恐怖にただひたすら許しを請うしかなくなってしまう。ドアを開け閉めする音も、足音でさえも僕を追い詰める。それを唱えたって心が楽になるわけじゃなくて、むしろどんどん追い詰められていってしまったしまいに叫びだしてしまう。

なんでこうなってしまったのかわからない。幼いころの指導なのか、中学生くらいの悪しき歴史のせいか。

小学生の頃にもすでに「怒られたらどうしよう」という感情があった。虚空に許しを請うのではなく、その形の恐怖が襲ってきたとき、ただひたすら泣き続けていた。多分あの頃の僕は学校で一番泣き虫だったかもしれない。

でも、成長するにつれ、泣くことが許されなくなって、代わりに逃げ出すことを覚えたけど、大学の終わりが近づいてきて、みんなが言う「社会人」は逃げることが許されないことをなんとなく悟り始めた。

大学時代のトラブルは、ほとんど逃げることで解決してきた。怒られないために、考えないようにするために、すべてを放り投げて逃げ出していたけどこの先どうすればいいのだろう。明確な解決策を見出して、身につけないと、少なくともこの研究室ではやっていけない。

 

これを人に相談すると、「怒られないようにすればいいじゃないか」といわれる。でも、君はすべてを想定できるか?どうやったって人間には隙があって、忘れてしまうことがあって、怒られてしまう。怒られてしまうと、見えない魔物がまた一匹心に巣くって、僕の心臓を締め上げる。

 

こうやってつらつら書き連ねたことは、他人から見るときっと「言い訳」で、実際それは正しいのだけど、僕の心の中の問題が何も解決しない。

これが理由なんです、というかなり根本的な原因に心当たりがあるのだけど、それは「社会」では「言い訳」になってしまうらしい。僕自身もその原因に逃げてしまうことが多々あるので、人には絶対に言わない。その原因は無いように振舞って生きていくしかない。

 

誰かが「切り替え」ができるとよい、と言っていたので頑張ってみてるけど、寝ることでしか切り替えができない。その場でバチっと切り替えができる人は健常な精神状態の時でも心の中に人間が複数あるのだろうか。

 

今の僕だって、本当は誰かに泣き叫びながら抱き着いて許しを請いたい。でも成長するうちに、そんな姿は誰にも見せたくない、というプライドが芽生えてしまった。この問題は、自分で何とかしなきゃいけない。