他人に指図をするのは気持ちいいものだ。ましてその他人が間違っていたとしたら、義憤に駆られ、己の正義をも満たすことができる。
人間はきっと、感情で行動するときにある種の快感を覚えるのだと思う。その感情に酔い、状況に酔い、自分の欲望だけを満足させるのだ。
感情の貸借と他人への押し売りも、いずれその報いを受ける。それは実質的な生産ではなく、上面だけで完成した砂上の楼閣の綻びを、永遠に直し続けるようなものなのだ。
正しい街に帰ってきたはずなのに、全てが間違っているように見える。ただひたすらに思考が暴れて、心が内蔵全てを破壊して回っている。
羨ましい、という言葉が正しくて、でもそれがほんの少しだけでも近づくと「いらない」と思ってしまう。僕はいったいなにが欲しいんだろう。愛されたいならそう言えばいいのに。
もうすぐ梅雨がやって来る。止まない雨は無いけれど、そのタイムスケールにも思いを馳せられるままの僕でいたい。