昇り降りの日々

学務様が見てる

歌や詩になれないこの感情と苦悩

僕は目が見える。文字が読める。どの音階が鳴っているのか少しは分かる。
だけど僕は絵がかけない。人の心を打つ文がかけない。心を癒やすような旋律を奏でることができない。

インプットとアウトプットの間には簡単には埋められない溝があって、人はその溝を飛び越えるために、日々色々な努力をしている。それを何度もインプットされる情報と磨り合わせて、少しずつ自分の望む形に変えていく。

アウトプットの難しさ

僕は最近イライラしている。自分の望んだ形のアウトプットができないからだ。
書きたい文がかけない、上手な絵がかけない、勉強したはずの分野で計算がうまくいかない。うまくいかないのでアウトプットのための修行をするわけだが、教科書机において眺めるだけ、全く手が動かない。入門書を買っても一章だけ進めて止めてしまう。買った楽譜は8小節だけやって終わりだ。
結局最初の意識が高い状態じゃないと物事が進められなくて、身にならないまま中途半端に終わる。今できるのは大学一年生のころ努力できた時期の計算方法と、高校生の頃がんばれたときに覚えた曲だけだ。
どちらかと言うと、アウトプットそのものの難しさと言うより続けつことの難しさなのかもしれない。

ここに書いた感情は僕の中から出てくることができた数少ない幸運な言葉たちだ。僕の中にはこの何百倍もの感情や苦しみが渦巻いていて、外に出たいと暴れ、僕の心を少しずつ壊す。
その大半は暴れることに疲れ記憶の底で眠りにつくが、何かの拍子に呼び起こされて、積もり積もったものと一緒にまた暴れだすのだ。 だからこそ、この心のなかで暴れるものを、僕は何かしらの形で外に出してあげなければならない。だからこうやって文字を書くのだ。

…なんてことをミスチルのNOT FOUNDを聞きながら思った。この曲もまた、僕の記憶を呼び覚まし感情を暴れさせた犯人のうちの一人である。

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