昇り降りの日々

学務様が見てる

この先何をしていればいいのか

院試の筆記が終わり、一応一段落した。
一応面接が残っているけど、まだ筆記の合否がわからない。多分ダメな気がするけど。

院試に落ちたらどうするのだろう、と考える。
就職をするのか、大学院の冬入試を探すのか、このまま腐ってニートになるのか。
一応僕も社会的な目は気にするのでニートは避ける気がする。
でもそうした場合僕は何を生業にするのだろう。仮に選べるとして何を選ぶんだろう。
文化に関わる仕事、エンジニア、ノマドワーカー。
何でもいいよ、好きなのを選んだら、それをちゃんと叶えてあげる、と言われたら僕は何を選ぶんだろう。

正直に言うと、僕は働く人をずっと見下してきた。
朝の6時に家を出て総武線にすし詰めにされ、夜にくたびれて帰ってきて、更に土日も会社用の携帯でずっと電話をしている、そんな父を見てきた。
そういったものが「ありきたりな生活」であることを知った時、とてつもない衝撃を感じた。
世の「サラリーマン」と呼ばれる人がほとんどみんな同じような生活をしている。僕はそんな「ありきたり」になりたくないと思った。
あるいは、自分が「ありきたりではない」、そんな特別な人間であると信じていた。
大学進学で理学部を選んだのもそれが理由だ。
「自分は変えがいくらでもいるような社会の歯車なんかにはなりたくない」という思いがあったから研究者を目指した。物理へのあこがれはあとからついて来た。
それが今ではどうだろう、崖の一歩手前どころか崖から飛び降りて空中に浮いている。
運良く枝をつかめるか。それとも僕が心の底から嫌いな世界の染みの一部になるか。
仮に枝が掴めたとしても腕が疲れてすぐに手放してしまうかもしれない。

なんでみんなが当たり前のように「働く」ことを受け入れられるのかわからない。
自分の生活がそういった人たちに支えられているのをよく知っている。知っているけど気持ちが全く理解できない。
大半の人たちはそんなことは考えていないかもしれない。
働くのが当たり前、家族がいるから、生きるのにお金が必要だから。
それ以上でもそれ以下でもないのだと思う。

なんて話をすると「それが当たり前なんだ」「黙って働け」「親に申し訳ないと思わないのか」なんて言われる。
僕の思想は怠け者だろうか。
それでも「必要最低限の生活」を人質に取られて弱っていく人たちを見ていて「働きたい」なんて思うのか。
わからん、わからん、何もわからん。