「東京タワーに行きたい」
なぜかそう思った。大学で5限の授業を受けていた。でも、東京タワーに行きたい。行きたい。行きたい、行きたい、行きたい!僕は耐えられなくなった。目の前にある過去の学問よりも、その衝動に身を委ねた。
用事を思い出した振りをして席を立つ。教室中から浴びる注目は、もうどうでもよかった。
幸い、大学の最寄りから赤羽橋(東京タワーの最寄り駅)までは乗り換えなしで行けるようだった。
10年ぶりにくる東京タワーはどこか懐かしくて、少し背が縮んだように見えた。
きっと僕が成長したことと、スカイツリーを一度見てしまったことが原因だと思う。
それでも、暗い空を背景に淡く光る東京タワーはどこか妖艶な雰囲気を纏っていた。
東京タワーに向かって登る坂で、何枚か写真を撮る。
幸いにも人はいなくて、その風景を僕だけで独り占めできた。
また近づいて下から覗き込んだり、ぐるっと回り込んでみたり、どこから見てもうっとりするくらいに綺麗に見えた。
道をたどって裏の方から回り込んでみた。
少し桜が咲いていて、その花弁越しに光る東京タワーがとても綺麗で、少し近づいた。
交差点に差し掛かると、人の話し声が聞こえた。
そこには、いかにも幸せそうなカップルが、桜越しの東京タワーを嬉しそうに撮っていた。
そのとき、僕の心はなんだか怖いような、絶望のような、真っ黒な色に変わった。
踏みしめていたはずの地面が突然抜けて、心の中に何も見えなくなった。
何だかまた、借り物の感情を抱えている感じがして、またイヤホンで耳をふさいだ。
たった二分の間に鋭く立つ衝動を歌ったこの曲は、僕がそれを欲するのをわかっていたかのように、ほしかった感情を余すことなく与えてくれた。
そしてその後の余白の一分間、脳内でその命を燃やして躍り続ける人間が見えた。
それは僕ではなくて、みたこともない女だった。
脳内でさえ、僕は主役ではなかった。
外界から流れ込んできた感情を借りているから仕方の無いことかもしれないけど、それでも、もうどこにも逃げ場が無い気がして、その場を駆け出してしまった。
余白の一分間はまだ続いている。大通りに出て、それでもまだ走った。
走って、走って、目の前に突然信号が見えて、それと同時に余白はベースの音と共に終わった。
息が荒い。冷たい空気に曝され続けた指先が、体温との差でじんじんとしている。
もう季節は春なのに、四月なのに息が白い。
春の息が白いのは、気温のせいなのだろうか、それとも僕の体温のせいなのだろうか。
後者だといいなぁ、とふと思った。
僕の体の熱が、目に見える形となって口から溢れてくる。
その事実が気持ちよかった。
何かに勝てた気がして、そのまますぐ側の芝生に倒れ込んだ。
さっきまで降っていた雨で地面は緩んでいて、当然のようにコートが汚れた。
激しく上下する胸が白い息を僕の体から外に向かって押し出している。
その少し曇った空気越しに、オレンジの光が見えた。