昇り降りの日々

学務様が見てる

無加工のキモチ

自分の心の底から湧き上がる感情を外部に吐き出す時、普通はそれを適切な形に加工して吐き出す。

適切な形というのは例えば他人への配慮、打算、損得勘定、その他諸々を考慮した形だ。

でもたまに、そういった加工ができない人間がいる。

その中でも「負の感情」を加工なしで撒き散らす人間はよく見るのだが、本当にごく稀に「正の感情」を加工なしで吐き出せる人間がいる。

なんでだろう、彼ら、彼女らには「人にみられている」という意識が働かないだろうか。
「発言の効果を最大化したい」という打算はないのだろうか。

僕は人生で2人だけそういう「加工が下手くそな善人」にあったことがある。
はっきりいってしまえば「バカ」だと思う。
奴らはなんの悪びれもなく、己が心に湧き出す愛を無加工無添加のまま吐き出す。
でもそれが痛いのだ。
自分に向いているものではないけど、それが存在していて他人に届いている、その事実が僕を苦しめる。

人の目が怖いよ、効率よく生きたいよ、人によく思われたいよ、一度でさえも失敗したくないよ、誰にも嫌われたくないよ、そんな気持ちが僕の心と口の間でたくさんのフィルターとして存在していて、最後に口から吐き出される頃にはなんの個性もない、中身の伴わない「言葉のふりをした音」となって出てくる。

本物の言葉を吐けるのはごく限られた人間だけだ。
いつか僕も、そんな単純バカになりたいけど、一生人に怯えながら生きていくような気もする。