昇り降りの日々

学務様が見てる

どこか

僕がぶつかるものは大抵「僕が子供だ」ということで説明がつく。

あれもしたい、これもしたい、だけどあれに伴うことはしたくない、美味しいところだけ食べたい。

理想化だけが得意になって、綺麗な上澄みだけを何不自由なく好きなだけ接種して生きてきた。

誰かの加護を受け続けて生きてる、強くそれを自覚しているのにそこから脱して自由になりたいと思っている。

そうやっていろんな環境を転々として、都合のいい港を見つけて、怖くなったらまた放浪して、物が足りなくなって、また誰かの加護の元で生きる。

今は可愛がってもらえる歳だと思う。

まだ初めたばかりだから、まだ学生だから、僕の代わりに責任を負ってくれる人がいる。

それが当たり前に存在し続けると思っている。

『自由になりたい』という言葉は、この用意された庭のなかで自由になりたいという意味だ。

けれどこれからそれは許されない。

自由になるということは、全て無くなることだ。

何かを叶えるということは、何かを差し出すことだ。

サイコロの目を操れたら、何にも侵されない場所に行けたら、空気がなければもっと早く空を飛べるのに。

駆動装置を燃やして、そこまで冷えた胸の底に火をくべる。

もう、このまま自ら燃え上がることはないくらいには、『上手くいかない世界』を知っている。