耐えられなくなってTwitterを復活させたが、やっぱり僕は全てのものに皮肉を言わないとやっていられないようで、流れてくる全てに噛みついて時間を浪費していた。
もうダメだ。こうやって自分のそばに無いものにさえ噛みついて怒って、何もいいことがない。
かといって泡の中に閉じ籠っていては自分の片寄った思想が強化されていく一方だ。
でもオープンに世界の思想の流れを受け止めといたら気が狂う。
Twitterで得られるインプットなんて何もない。
酒に酔った時のことを思い出す。
いつもいつも僕は『覚えてない』ふりをするけれど、指摘されたことは全て覚えていて、『ここでふざけたら面白いだろうな』というつまらない打算で倒れたりトイレにこもって吐くふりをしたりする(本当に吐くときもある)。
こんなところでさえ自分は大したことない考えで自分を動かしていることに気づいてイライラする。
くだらない、くだらない、自分をずっと片づけている。
人差し指の皮がまた一枚、また一枚薄くなっていく。
こういう曖昧な痛みが僕にとってちょうどいい。
毎日xxxへのテロリズムを考えては、『きっと実行できないだろうなぁ』と落ち込んで眠りにつく。
だって僕は結局僕が一番好きだから。