昇り降りの日々

学務様が見てる

何もしていない

12時くらいに起きて、パンを食べたような気がする。
そこからろくに記憶がなくて、買い物に行った時以外意識がなかった気がする。

『さみしくない』と言うしかない

今手に握っている板を手放したとして、頭の中で考えることは全部自分のことだ。
自分の今日の行動、自分の今の考え、自分の過去との整合性、自分の未来、自分の汚さ、こう言うことを書こうかなとずっと考えていた。
色々言ってるけど結局自分が求めているのは人なんだろうなあと思っている。

何か変わるかもと思ってやったことは、続けることではなくて、瞬間的に起こる出来事でしかなった。

汚す

たまに自分が浄化されたような感覚に陥ることがあるけれど、そのあとの揺り戻しが辛い。
既に汚れた水に一滴のインクを垂らすのと、澄んだ水にそうするのとではわけが違う。
普段は自分を構成する混ざった色では普段気づかないことがたくさんあって、秩序だった色合いが自分の中に取り込まれる時に混ざって濁っていって、その時に自分の醜さがよくわかる。
洗面台の鏡に写る自分が気持ち悪い造形をしている。
気がつけばただのおじさんになっている。
自分が求めているものとはどんどん遠くなっていて、でも自分の外側も変わらなければ中身も変わる気配はなくて、でも理想と自分が呼んでいるものには具体的な形がなくて、薄い右目とか、うねる髪の毛とか、歪んだ爪とか、傷だらけの体とか、自分のものが全て汚く見える。
僕はこんな体でも中身でも生きたかったわけじゃない、変わり続けることなんてしたくない、きれいなものとしてそこにありたい、なんでこんなに汚いんだろう、僕が想像する世界はあんなにきれいな物でできているのに、僕は何もせずに、寝てしまえばこんな気持ちも忘れて、よくできた脳味噌のシステムだとか決められたスケジュールの中で上手く生きていく。
何が書きたいんだろう、でも汚い自分が嫌いなことは確かだ。
なぜこの体で生まれてきたんだろう。
この性別が嫌いだ。

思考が言語化できない

怠惰であることは重々理解しているが、自分の頭の中にある渦が形にならない。
何が書きたいかはわかっているのに、何を書いているのかわからない。
きれいなものが自分には毒なんだってこと、どうやったって自分の思考は自分の中で閉じてしまうということ、なんか他にもあった気がするんだけどな。