昇り降りの日々

学務様が見てる

呪い、飽き、実在性

昨日

ロリガ展に行って、夜は大学同期とZoom飲み会をした。
健全な方のブログに書いた。

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今日

早起きしたけど、眠すぎて二度寝して12時に起きて、さらに17時までTwitterとかYoutubeとかまとめとかニュースとか見て17時まで布団から出なかった。
最悪な気分だったので、風呂に入って買い物をして、麻婆豆腐を自分で作った。
今日も特に何もしていない。

実在

ドラマティックな世界は、遠い煌びやかな雲の上の目に見えないどこかにあるような気がしている。 目に見える世界以外にも、僕と同じように一人一人意識を持った人間が生活をしていることをいつも忘れてしまう。
だからどこかに旅に出るたびに、いつも「ここには人が住んでいて、僕の想像の中にしかない世界もきっと存在するんだ」と簡単な事実に感動する。
でも考えてみたらそれは当たり前で、僕たちの住んでいた小さな島の端っこの、学校のベランダや廊下の日常にもドラマがあったように、人間が相互作用する場所には必ずそれが存在する。

港町の背の低い建物、煤けたコンクリート、不相応なガラス張りのタワー、ネコバスのように林を通り抜ける電車、作られたみたいな街の中にいるのは観光客だけで、だけど確かに街の息は聞こえる。
草むらに、木陰に、石の裏に隠れた生き物たちが這う振動やうねりがその土地の生を作っているように、この街もここで確かに生活をしている人たちの静かな蠢きが感じられる。
きっと僕の想像するドラマよりももっと激しかったり、悲しかったりすることがここにはあるのだと思う。

あき

どんなものにも飽きはくる。食べ物でも、好きな子でも、趣味でも。
それは変化の乏しいものを全て食べ尽くしてしまったことで起きるもので、暴食しがちな僕には割と早い段階で飽きがやってくる。

少しずつ変化するものは自分がそれに対する信頼を保ち続ける限り好きでいられる。
今土地に抱いているワクワクは「ここにはまだ何かがある」という気持ちと、いつかくる冬への期待だと思う。
だけどそれを達成してしまったら多分すぐに飽きる。

生きている街は少しずつ変化をしている、僕は今のこの街が好きだ。
だけど何に期待をしているのか見出せずにいる。
この核を見つけることは、僕の中の『好き』のエッセンスを見つける鍵になると信じている。

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