昇り降りの日々

学務様が見てる

消化試合

人生における大体の夢は叶った。
学歴はそれなりのところを手に入れたし、物づくりの過程に関わったし、音楽もピアノで一曲以上引けるようになったし、文字も絵も出来は悪くとも完成させられるようになった。
欲しかった青春は高校時代にあったし、北半球のいろんな場所に行けたし、日本の美味しいものはそれなりに食べたし、好きなだけ寝るニート生活もしたし、セックスもしたし、それなりの地獄とそれなりの幸福のピークからの景色を見た。
自分にとっては中身の伴うものは別に必要なくて、0が1になればなんでもいいのだ。
完成しない何かを99%から99.1%にする作業に気持ちが傾かない。

夢が叶ったというよりは、自分のコンプレックスを刺激するものに対して折り合いがついた、という方が正しいのかもしれない。
もう何かを手に入れたいという強い欲求がなくて、高みを目刺すよりもただ今見える地平をゆったりと歩くか、その場で寝そべっているだけでも満足できる。
今のところ僕のメンタルを地の底に叩きつけるようなマイナスな要素がない。克服したいものがない。
やりたいことではなくやりたくないことを選ばないようにする無難な歩き方でこの先の50年近い寿命を消費するのだと思う。
仮に『あなたは1年以内に死にますよ』と言われても「そうですか」と返事して布団の上でYoutube見ると思う。挨拶回りくらいはするかもしれないけど。

激しく荒ぶって泣き喚く自分の心を慰めるために聞いていた昔のプレイリストは、ただ過去の感情を思い出してノスタルジックになるだけの曲の集まりになった。
誰かに褒められたいとか、認められたいとか、そういう感情は残ってはいるものの、認めさせたいという感情はない。
『空からそれが降ってくるなら甘んじて受け入れましょう』という受動的な姿勢でいつも過ごしている。

旅行したい、美味しいもの食べたい、セックスしたい、寂しい、そういう欲求も自分なりの付き合い方を長い大学生活の中で見つけられた。
昔みたいに薬漬けで、頭から飲み物を被って大路を走る狂人は死んだのか眠っているだけなのかわからないけど、寝て起きれば全て解決する健全な頭にはなった。

悟りなんてたいそれたことは言わないけど、昔視界を覆っていた霞みたいなものはなくなった気がする。
この霞が晴れたところで自分は山の頂あたりにいたことに気づいたけど、別に周りには何もなかった。
あっけなかったなあと思う。

自分が世を知らないということは重々承知している。
でも自分の中にあった世界はもう完成に近いのだ。
0を1にして積み上げた、99%完成した世界もうどうにかしようとも思わない。
自分はコンプレックスなどの負の感情に駆動されていた。
それを爆発させないように、もしくは納得させるだけのものを手に入れるようにしたら、駆動力がなくなってしまった。

楽しいことはある、だからなんだ。
この1ヶ月布団の上で転がるだけの生活に実はそこまで危機感はなかった。
特に負けも挫折もないハッピーな人生だったし、それはすごく恵まれていることだと思う。
恵まれた環境の中でただひたすら自分と対話するだけの時間を7年間くらい経て、残り50年の消化試合だけが残った。

特にこの悩みらしき文章にオチはない。
そこまで悩んでいない。
人生につきまとう呪いがようやく全て解けた、ただそれだけ。