昇り降りの日々

学務様が見てる

諦めと悲しみ

荷物を新居に移して、引越しの最終段階になった。
ワンボックスのレンタカーにパンパンに荷物を詰めて、重い段ボールを持ちながら階段を登って、部屋を少しだけレイアウトした。

空っぽになったレンタカーで今の家に帰る道で、そういえばこの店気になってたけど行かなかったな、とか、こんなところにこんな建物があったんだ、とか、悲しい気持ちが湧いてきた。
そしてそれを抑えるように『まあこの世にあるもの全て見ることは不可能なんだから、こんなことでいちいち悲しんでもしょうがないか』諦めの気持ちがやってくる。
ちょっと前の記事で書いた通り、最近になっていろんな感情に折り合いをつけることが上手になって、仮に今日みたいに突発的に発生するパルスは感情を激しく揺らす前に減衰するようになった。
けどこれは自分から湧いてくる感情が変わったわけじゃなくて、ただ上からねじ伏せる技術が上がっただけなのかもしれない。
これが行きすぎたら何も感じられなくなるのではないかと怖くなった。

確かにこの前のような感情の処理の方法は感情の激しい揺れ動きを制限することはできるけど、心が不感症になっていくのは本意ではない。
まだ悲しいという感情が湧いてきたらそれをねじ伏せているという状況だからいいかもしれないが、感情が沸かなくなってきたらいよいよ終わりだ。
もう少し人生にワクワクしていたいし、まだ物足りない、もっといろんなところを見てみたかったという悔しさが新しいものを見つけるための原動力であると信じている。
極端に全てを抑えるのをやめて、感情に振り回される覚悟を決めよう。