昇り降りの日々

学務様が見てる

方向

書き始め、00:18

どこに向かうべきなのか、そんなことをよく考える。
何がしたいのか、そんなぜいたくな悩みをいつも抱えている。
何をすべきなのか、そんなことは悩みたくない。

すでに大学院生活がしんどい

僕は何を思ったのか、次に行く大学院で元々やっていた分野と真逆の分野を選んでしまった。
なぜかそのまま合格してしまい、M0生としてゼミをしているが、一緒にゼミをする人間がずっとその分野を勉強してきた人間なので議論に全くついていけない。
出来るだけ食らいつくようにしていて、その場で解決できるものはそうするように努めてはいる。
ただ今は僕の事情を知っている優しい学生相手だから上手くいっているわけで、このままそれに甘えぜるを得ない状況が続くとM1になって教員の前に立つと死ぬ。
ましてや僕が通う大学はそういう人たちが集まる大学なわけで、中途半端に修士だけとってやろうなんてそんな人はいない。

僕は『甘い』のである。どこの世界に行っても。
考え無しに飛び込み、また考え無しに別のものに飛びつく。
学生である間はそれが許される、そう考えたからこそ今の選択肢をとったのだと思う。
そうやって時間が過ぎるのをずっと待って、許されるのを待っている。

新しく働くことになった職場は非常に環境が良くて、お金ももらえるし家から近いし家賃のいらない家もあるし、何ならもうそこに就職してしまいたいとさえ思ってしまう。
けどそんな感じの理由で前の環境を捨てて今の環境に飛びついたわけで、仮に本当に就職したとしても半年もすれば「辞めたい」といって次の場所を探し始めるのだと思う。
存在しない『お似合いの場所』を一生探している。
そんな一生、短いほうが幸せな気がしないこともない。

”きっと長く助走をつけたほうが高くに届くわ”、そんなことを言われた。
僕は「お前はマラソンでも走っているのか」といわれてもおかしくないくらいに助走をとっている。
きっと踏み切るころには上がりに上がったバーにかすりさえしない弱弱しいジャンプをするのだろう。
いや、ジャンプすればいいほうかもしれない。
バーは上がり続けている。
今飛ぶか、下を潜るか、それとも、マラソンのゴールのその先へ向かうのか。
その決断さえもゴールが見える気配がない。
もう、許してくれ。

書き終わり、00:37