昇り降りの日々

学務様が見てる

分ける

進捗を追い詰められないと産めない

昔からそうだけど、追い詰められた先からさらに追い詰められた先、3段回くらいもう後に引けないという状況でめちゃくちゃ頭が回る。
2週間かけていたことが数分でできちゃったり、その理解度が高い時間が数時間持続できたりする。
自分で脳に圧力をかけて無理やりに計算を回すような感覚がいつもあって、これがいつでも発動できるようになったらいいのになと思っている。
まあB4の頃から同じようなことを思っているけどなかなか実行できない。
いわゆる過集中ってやつなんだと思うけど。
結局これを自力で発動するってのは多分無理で、追い詰められた時にしか回らない頭をサポートするための準備をするしかないことがわかる。
例えば、なんの役にも立たないような、恐ろしく細かく細分化され簡単化された問題を2日程度で遊ぶとか(例えば今の状況だったら2次元美少女をDCGANで実装するという遊びは確実に今日の役に立ったはず)とか、使うべき書類を片っ端から探すとか、Toymodelのサンプルコードを理解しなくてもいいからとりあえず回せる環境にしておくとか、色々そういう方法はある。
適切に問題を切り刻まないと、僕は動けない。

飲んだもの

缶のレモンチューハイ(話題になってたやつ)の黄色を飲んだ。
最初飲んだ時は甘さがなかったので正直全然飲む気が起きなくて半分残したけど、あとで飲んでみたから意外と行けた。
あとでってのは今なんだけど。
結構量あるし、今半分飲んだだけで顔面真っ赤っかのベロンベロンなので1巻飲むのは今後やめといたほうがいい気がする。
ミスタイプを認識できるくらいにはまだ脳が冴えてるけど。
自分に合った適切な量の酒を飲もう!

タバコ

最近確実に量が増えている。
どんだけ我慢しても結局夜に色々言い訳をつけて吸いに行ってしまう。
目が覚めるから、脳が回るからという理由で吸いに行ってるが、多分タバコを吸うために外に歩いて行って階段を上り下りして、外の空気を吸ってるから目が覚めるんだと思う。
今度から量を各回一本に減らすか、タバコの箱を持っていかないようにして10分外のベンチでボーッとするようにするといいかも知れない。
少なくとも毎日吸うのはやめたい。
ニコチンの奴隷にはなりたくない。

今日の曲

open.spotify.com www.youtube.com

今だからこそ刺さる曲、僕の場合はずっとTwitterに張り付いてるからいつでも刺さる曲なんだけど。
去年も研究所にいる時に狂ったようにNeko hackerを聴いていた気がする。
追い詰められた時にKawaii Future rockを求めているのだろうか。

お風呂に入って100数えて
お気に入りの歌歌おう
めちゃめちゃ頑張ってる
自分を褒めてくれる
そんな場所よ Home Sweet Home

好き 嫌い 好きじゃない

「好きを仕事にしてはいけない」という話をよく聞く。

ただ最近、自分では「好きにムラがあるものを仕事にしようとすると辛くなる」のではないかなぁと思い始めた。

例えば僕が好きなゲームの運営になれたとして、そこには僕にとって『特別に好き』なキャラクターが存在する。

だけどユーザーの手前、それをひいきすることはできない。

特別に好きなものを一番近くでぶら下げられてる状態で、自分はそれ以外のことを仕事として楽しめるだろうか、多分できない。

「好きを仕事にしてはいけない」が指しているのは、『自分が好きといっているものが包括的な概念なのか、それとも部分的なひとつにしか過ぎないのかを認識してないままだと辛い目に遭う』ってことなんだと思う。

 

別に仕事に限らず、趣味でも「◯◯が好きなんだ」という話題に対して、それぞれがそのコンテンツの箱自体を好きなのか、それとも部分的なものが好きなのかは見極めなければいけない。

知識量至上主義のオタク世界のなかで、偉いのは前者の『好き』の在り方であるから、どうしてもそちらにみんな話を合わせていこうとしてしまう。

結果的に、『部分的な好き』の伝聞の集合体を自分のなかに作ることになり、それを作るために権威の『好き』を取り入れることに労力を割くようになってしまう。

自分の身の回りに見える最近の流行りものは大体そんな感じだ。

出来るだけ大きな『身内』の集合体を作るには『包括的な好き』を持つものによって指導され、部分的な好きしか持ち合わせていないながらも大きな集合体に所属したいという人間がその中の共通規範としての包括的な好きを学び、それを経典としてキャッチアップし続ける。

一見多様性をもったように見える集団でも、結局その指導者につき従っているだけだ。

 

好きに真摯であるとはどういうことだろう。

きっとそれは自分の好きを見定めて権威の侵略を許さないことだと今の僕は思う。

 

好きを共感するとはどういうことだろう。

きっとそれは互いの好きが同調するところを探すことよりも、相手が向き合った好きを尊重してその熱意に触れることじゃないかと今の僕は思う。

潜在、顕在

僕たちは一生懸命自分を何かで特徴付けようとしている。

あんなことがあった、こんなことがあった、その言葉の裏にあるのは『共感したい』という思いではなく『僕がこういう人間であることを知ってほしい』という欲求だ。

むき出しになった顕示欲で、到底『他人』には理解されない自分の潜在的な何かを晒そうとしている。

僕たちは真の意味で他人とは共感していない。

学校でならった、教科書にかいてあった、社会にいる人達を真似した『共感の方法』をインストールして、その通りに実行しているだけだ。

他人との共感の仕方を学べなかったがために、他人に自分のことを知ってもらおうと躍起になって、こうやってブログを書く、Twitterにつぶやく。

それは「特別なあなたに共有したい」ものではなくて「ここにいる奴等に自分という人間をわからせたい」という欲求。

自分が優位にたてる人間だけを集めて、自分に構ってくれる人間だけを集めて仰々しい演説をしているのと変わらない。

コミュニケーションではないのだ。

そのなかから「こいつは同等と認めてやってもいいだろう」なんて上から目線の選別で共鳴する相手を選んで、鳴き声のような定型文でコミュニケーションをするふりをする。

僕たちは何もわかりあえない。

鏡相手でもできる、なんだったら壁相手でもできるはずなのに、そこに生身の人間がいるという事実で自分の欲求を満たしている。

 

なぜ僕たちは絶対他人には見えないものを見せたがっているんだろう。

それはきっと、他人に見える外面に何もないからだ。

自信がない、他人から見た僕たちは何者でもない、そう思われるのが怖い、恐怖の裏返しだ。

『僕』はその恐怖をインストールした『理性』でねじ伏せる。

この文を最後まで書ききったということは、『僕』の理性が今日も負けた証拠だ。

先送り、先細り

ミーティングをサボったら教授から叱られのメールが届いた。

全面的に僕が悪いのだけど。

二週間あった休みの間、プログラムを一文字も書かずにずっと絵を描いていた。

嘘、ずっと寝てTwitterを見ていた。

あとまとめサイト

授業の課題もやっていない。

誰かに引っ張られないと能動的に動けない、けれど引っ張られると鬱っぽくなる、なんとも面倒な脳みそだ。

授業もそうだ、いざリモートの授業になったら、確かに授業を受ける心理的なハードルは下がったが、寝ながら授業うけたり、全く聞かずに内職したり、あんまり状況としては好転していない。

自分の管理ができない以上、もうどうしようもない。

 

結局なにもしたくないのだ、だけどやらなければいけない。

やる量はトータルでは変わらない、ならば先送りにすればするほど僕の仕事は辛くなっていく。

なりふり構わず管理をしてもらうしかない、助けてもらうしかない、お叱りを真摯に受け止めるしかない、さもなくば全てを捨てて何もない地獄へ逃げ出すしかない。

やるかやらないかなんてことはわかっている。

どれだけ自己対話を積み重ねようとも、変えられるものはそう多くない。

こうやって酒の原液を流し込んで、この文字を書き終わるまで延々と煙草を吸い続けているのが何よりの証拠だ。

何か記録を残す、自己対話をすることでいずれ何かが解決すると信じている。

 

仕事を切り刻め、小さなステップで歩みを進めるしかない。

頑張れ、頑張れ頑張れ頑張れ、一人でも戦える、そんなことは全く無い、お前は一人では生きられない。

Do or Die、死なないだけマシなんてそんな怖い世界には生きていない。

 

ラジオ

テレビ線を抜いた。

感染症の話題が大事になってからというもの、家に引きこもることが多くなり何となくでテレビを見る時間が増えていた。

不安をあおる、誰かの怒りを流す、そういうことが起きていることは理解していたけれど、また何となくで電源をつけてテレビを見てしまう。

今時やってるものなんてニュースしかないのに。

 

生活リズムが壊れた。

いや、正確には規則正しく生活できているのだけれど、昼夜が逆転している。 

頑張って0時に寝たのに、1時間で目が覚める。

これだけ頑張ったのに自分からこの仕打ちでは泣きたくなってしまう。

適当に色々調べて焚き火の音を聞いたり、ごはん食べてみたり、薬を飲んでみたりしてもダメ。

だから昨日は全てを諦めて本を読んだ。

ラジオを80MHzに合わせて、枕元の小さな明かりだけをつけて、椅子に揺ったりと腰を掛けて微塵もわからない本を読む。

レーニンロシア革命』、何回か読んでいるけど毎回毎回「こんなこと書いてたっけ」と自分の教養の無さと読解力のなさに驚く

(未だにボリシェヴィキナロードニキがわからなくなる)。

眠れなくて3時間ほどゆるゆると読み進めたけど、すごく心地のいい時間だった。

部屋を完全に締め切って、尖った波が耳や目に入ってこないようにした、限られた灯りの中で過ごす時間は、多分キャンプのときに自然の音のなかで空を眺めるあの感覚に似ていた。

夜に聞くラジオの音は本当に心地よい。

一人で近況を語る人、数人で話題のあの人の話をするアイドル(不思議とうるさくない)、深夜の人間にチューニングされた音楽に身を任せて、たまに本を閉じて目を閉じると、睡眠とは違うけれどそれと同等の脱力感が体をゆっくりと宙に持ち上げる感覚に包まれる。

 

今日は久しぶりにスクールオブロックを聞いた。

リスナーとのやり取りのあの絶妙な間があの頃となにも変わらなくてちょっと笑ってしまった。

多分今の僕にはラジオのような、ノイズ混じりの柔らかい音が向いているのだと思う。

暗闇のなかで耳だけを機能させて今日も睡眠代わりの脱力を手に入れる。

 

 

……今気づいたけどアニメ録画できないな。

繋ぎ直しました。

 

好き/好き

今日書いた話

自分の好きに真摯でありたい。 好きを守っていたいい、その中では誰かに迎合して駆け足したり回り道したり寄り道したりせず、ただ一直線にそれを追っていたい、そこだけは誰にも汚されてはいけない。
新しいことを知ることは「好き」を広げる行為であるべきで、知識至上主義の世界で上位に立つための作業ではない、最近の自分はそれを忘れている気がする。

オタクの世界では(自分の身の回りだけかもしれないけど)誰かより優位でありたい、自分か相手より強くありたいという欲求が表に出過ぎている気がする。
類は友を呼ぶと言われたらそれまでだけど、

ナナシスは久しぶりにそういった知識至上主義から切り離された文脈で純粋に曲をたのしめていたけど、他人と何かを共有するたびに「ストーリーを知らないからあいつはダメ」「100%しらないからその感想は浅い」みたいなことを感じたり言われたり、そういう知識マウントの中にいたことに気付いて嫌になってしまう、好きを好きでいたい。

君の葬式

もう生き返らない明確な終わりという一点に感情を集めることで全てを精算してこそ綺麗な葬式ができて大きな墓が建つわけで、そこから生き返られる(もしくは死んだのに歩き続けられる)と興醒めするというか、なんか嫌だ。
少なくとも歩みを続けるなら全く別の文脈で歩まないといけなくて(さっき挙げたバンドはそうしてる)、同じ流れの上に乗せるのはマジで違うと思う、受け手にとって彼女らは生きてるか死んでるかという判断が違うのが問題だけど。
僕の中で彼女らは死んだ、死に伏線はない。
だからこそその終わりをどう飾るか、どう全員ののかに残る感情を爆発させるのかってすごく大事だ。
葬式をしてもらえず亡霊として歩み続けている人たちがたくさんいる。
二度と本物の終わりがこないということはとても悲しいことだ、だからこそ僕たちは彼女らを自分の中でだけでも殺さなきゃいけない。

白染

嫌いな人の話

性格が腐っているので嫌いな人が結構いる。
嫌いな人間はよっぽどじゃない限り関わりを続けることはないので、情報が入ってくることはない。
だけどなぜか、わざわざそういう人間の情報を探しに行ってしまう時がある。
自分でも意味不明だが、何故かそういうことをしてしまうのだ。

そして調べた先に、それなりに輝かしい功績を見た。
率直にいうとムカついた。
なんで馬鹿がそんなことしてるんだ、お前がきていいところじゃない、お前がやっていいことじゃない、そんな感情が湧いてきた。
この文字を書くだけでも酷くイラつく。
惨めだ、惨めだ、ただ僕は評価を別の軸にしただけなのに、まだどこかで勝っていると思っていた。
口で、理性で、謙遜するフリをしてみせて、僕の奥底にいる僕は自分をひけらかしたがっている。

学問では負けないと思っている、わかりやすい頂上に来たから。
情報では負けないと思っている、その内部にいるだけだけど。

どうしてわざわざ嫌いな人間の情報を探しに行くのだろう、答えの一つは今日見つかった。
自分が勝っていることを確認したかったのだ、自分がまだ優位であると信じていたかったのだ。
今までは勝ったままで入れた、だけどいざ『お前の負けだ』とはっきりと見せつけられると気が狂う、憎い、憎い、憎い、お前が嫌いだ、前よりももっと嫌いだ、でもそれ以上に、自分の奥底に潜んでいるものが嫌っている人間よりも醜い。
頭の中で何度も何度もその腹を突き刺して、中身を引きずり出して叩きつけて踏み潰してやる、ハッと我に帰った時にくだらない妄想の中で自分を慰めていることに気づく。

お前は僕の理性がどうしようもなく無意味であることを突きつける。
レベルの違いではない、勝ち負けを気にしている時点で負けなのだ。
相対的にしか自分をはかれない惨めな心は、何で塗りつぶしても消えない。
理性なんて、育ててきた自分には勝てない。
毎日のように餌をやっているのは自分だ。
僕は狭い世界の中で、本物に見つからないようにちょっとした丘の上の大将の気分でいる。

空になった箱

これがなくなったらしばらく追加購入はしないと決めていた箱が空になってしまった。
僕の憎しみは息に混じって灰になり、ほんの少しだけ軽くなった。
次が欲しいなぁ、と思いながらライターをカチカチと弾く。
見上げると、今日はいつもより星がハッキリしているように見えた。
やることがなくて、でも夜風が浴びていたくて、ぽちぽちと嘘のブログを書いている。

そう、今日書いたこの文字はこの一文も含めて全部嘘だ。