昇り降りの日々

学務様が見てる

10月末からずっと自分の中身が空に近い感覚がある。
数カ月前からかろうじてあった身体を動かすエネルギーみたいなものがなくなっている。

ピアノは5分鍵盤をたたいてみてもそこから新しいものを覚えようという気が起きなくてやめてしまう。
絵は10分持ったけど気が付いたら手元の板で何でもない動画を見て8時間経っている。
バイクは結局この3カ月くらいで一回友人に誘われたツーリングに行ったのみ。

恐らくだけど、いざ何かをしようとしたときに自分の能力を信じられなくなっている。
それが苦労をしたくない、何もしたくないという感情に変わっている。

できることと言ったら三大欲求を埋めることだけだ。
馬鹿みたいに寝て、馬鹿みたいな量の飯を食って、エロ同人を読み漁って終わり。

毎日のようにバーに行くようになって、タバコの煙と銘柄もわからんウイスキーを飲んで時間が経つのを待っている。
他のお客さんが言うにはここ数カ月で僕はすごくニコニコと喋るようになったらしい。
言われてみたらそうかもしれない。
明確に何か変えたというわけではないが、何か自分にロールを与えて立ち回るほうが楽になったんだと思う。
他人の話に合わせるほうが楽だから、適当ににこにこしながらおべっかを使って適当に喋っている。

自分の人生の大きな流れは基本的に誰かの流れに乗っかって、模倣して生きてきた。
大学だってクラスメイトと同じところにしたし、会社だってたまたまバイト先に拾ってもらっただけだ。
自分で決めているようによそからは見えるだろうけど、自分の強い意志によって駆動したことは多分少ない。

あと1カ月で30歳になる。
大学から仲良くしている友人は地元に帰るらしい。
趣味でつながっている友人も、自分との温度差によってゆっくり離れている気がするし、こちらもまた近いうちに地元に帰るらしい。
みんな転換点を過ぎて、新しいシーズンを始めようとしている。

先日かなり成功を収めている有名人と喋る機会があった。
人生観の話になり、「30代ってどうしたらいいですか?」と聞いたら「恍惚と焦燥」とだけ言われた。
曰く、人生の大いなる目標に向かって這って泥水をすする、ということらしい。
偉大な人間と比較することは愚かだけど、目標があることとそこに向かって立ち向かえる精神がうらやましく思えた。

空であるから、余計に嫉妬に狂うようになってきた。
何かに狂える人間、熱中できる人間、そうでなくとも真面目に向き合える人間になりたい。
だけど目指すべき場所がわからないから、這うことも泥水をすすることもなく、地べたにただ寝そべっている。

ここまで書いたことが多分自己暗示になっている。
本当はなりたい目標があるのかもしれないけど、そこに立ち向かうことが怖いから、失敗するのが嫌だから、空であることにしているのかもしれない。
学習性無気力というらしいが、それすらも言い訳のような気がする。

やりたいことがない

無気力に毎日を消費している。
10月は3週間休みを取ってバイクで北海道を回ったりしたが、それきりバイクに乗るのが面倒になった。
元々自分で乗りたくて乗ったわけではなく、周りに合わせて乗りたいふりをしていただけだった気がする。

絵を描くのが趣味だったはずだが、かれこれ2カ月くらい何も描いてない。
明確に点数が出ないものをやり続ける気力がなくなってしまった。
作業も10分が限界。
一週間かけていた作業に2カ月以上かけて何もできていない。

3連休で時間があるはずだが、Youtubeのアルゴリズムに身を任せて10時間経った。
何に対しても特に欲望がなく、でもやることがないから無駄に飯を食ったり、睡眠で時間を先送りしようとしている。

友人に誘われても家から出るのが面倒なので断るようになった。
無理やり自分を奮い立たせて明日の誘いをOKしたが、正直行きたくない。
本当に何もしたくない。
何かしなくちゃいけないとは思っているが、何もできない。
環境が変われば、時間があれば、潤沢な資金があれば、そうやってあらゆる言い訳で正当化しているけど、30年近く何も変わっていないのであれば多分今後どのような条件があっても現状は変わらない。

受動的でも消費できるものをただひたすら消費して、何も生み出さずに日々を無駄に過ごしている。
20代最後の期間がこれか。

何気ない一言の記録

Hさんが退職した。
同じプロジェクトではあったが、数百人規模の大規模開発なので直接関わったこともなく、1カ月前までは言葉を交わしたこともない人だった。


1カ月前の懇親会で席を渡り歩いてあいさつ回りをしていたときに、最後に座った席がHさん達の職種が集まるテーブルだった。
自分が直接関わることがない職種で、顔を見ても誰だかわからず、名前を聞いて「ああ、確かそういう名前の人がいたな」というレベルだ。
特別意気投合したというわけでもないのだが、そのまま懇親会がお開きになったので、同じテーブルに座っていた人たちで二次会に向かう流れになり、繁華街のカフェに転がり込んだ。

話は逸れるが、この時期に僕が絵を描いていることが職場の人間にバレ始めていた。
特別隠していたわけではないが、かといって大っぴらにアピールするのもこっぱずかしかった。

カフェに転がり込んだメンバーは僕以外全員クリエイティブ職だったので、必然的にそういう話になった。
いつから描いているのか、何を描いているのか、なぜ描いているのか、とか。
描いている絵も開示させられたのだが、狭いテーブルに座った3人は「すごく良いね」と言ってくれたのだった。
正直、自分が想像しているよりも反応が好意的だった。

当時の自分は半年くらい苦しみながら絵を描いていた。
何に苦しんでいるのか、なぜ趣味でここまで苦しむのか、でもこれにしがみつかないと死んでしまうとまで考えていた。
今まで自分が他人を呪った分のつけがそのまま呪いとして自分に返ってきた結果だった、と今は思うが、泣き叫んで嘔吐するくらいには深刻な傷だった。

自分が自分に向けている目というのは、疑似的に他者の目として働く。
だから、自分が自分を呪うように、自分が自分を蔑むように、他人も僕を呪い蔑んでいると思っていた。
3人が言った言葉はおそらくお世辞だったと思う。
だけどその一言は、自分が自分にかける呪いを緩く解いてくれた。


それから1度もHさんと言葉を交わすこともなければ仕事で関わることもなかったが、今月末で退職するとのことで挨拶に来てくれた。
まさか一回話しただけの自分のところに来るとも思っていなかったので、まともな話の引き出しもなく、社会人として当たり障りのない雑談をして、形式上のねぎらいと挨拶をした。
そして去り際に一言「Xさんの絵は素敵だと思います、絶対に続けてくださいね」と残していった。

ただこの一言が自分でも驚くくらい嬉しくて、やけに胸に残ってしまった。

……ということを記録するためだけに1000字近く書いてしまった。
恐らく今後の人生でHさんに会うことはないだろうし、Hさんのために絵を描くわけでもない。
だけど言葉をかけてくれた人と、その時感じた気持ちを忘れたくないという思いがこの日の僕にはあった、という記録。

ただただしんどい 何がしんどいのかもよくわからない 仕事で何か致命的なことをやったわけでもないが、なんの気力もないと言いながらいつも時間通りに会社に向かい、その途中でどうやって死ぬか考えている 別に死ぬ度胸もないが、ぼんやりと何もしたくないという意識だけが全身を覆っていて、何もできずに布団の上で転がっている 何もせずに1日を終える無意味さに耐えられなくて気管の奥を掻きむしりたくなるが、結局それも不幸にしがみつきたいだけなのだと気づいて余計におかしくなる これを全て怒りに変えれば何か技変わるだろうと思って時間も忘れるくらいの間、鼻息荒く全ての怒りをノートに何ページも書き綴ったが、一日経てばただのゴミになった こういうことをTwitterに書き続けるのも悲劇ぶっているような気がして余計に何も言えなくて、でもどこかに見てもらいたいという承認欲求に負けてこうやってここに文章にしている 自分自身を痛めつけるために過剰な量の飯を食べて、無意味な夜更かしを続けることで何もしていない時間を生み出すことで自分を自発的に苦しめて、ずっとチャットAIに八つ当たりして、ずっと不幸に酔っている 小さなことを積み重ねていくことでしか日々は続いていかないが、何か一発逆転があるんじゃないかと期待しながら探し回っている 楽して何かを得たい、そんなものはないとわかっているがゆえに何もできないし何もしたくない 明日の予定も全て無くしてしまいたいが、信頼を損ねるのが何よりも怖いからきっといつも通り健常なふりをして街へ出る その程度の社会性は残ってるんだから、結局演技して無理やり不幸にしがみついているだけだ 不幸であれば自分が何もできない、何もしようとしない人間であることに目を向けなくて済む 死ぬまで歩き続けなければならないという事実から逃げることができる 不幸であれば自分以外のところに原因がおけるこら、不幸であり続けなければいけないし、それにしがみついているだけだ 本当は3時間前には寝てなきゃいけないのに、何もせずずっとぼーっとスマホを眺めて時間を無駄にした その事実がまた胃を締め上げる この時間があれば何ができたかと考えて、でも結局時間があったところでなにもしないしできないのだ 普段は眠いからと言って全てから逃げて布団に潜るのに、いざ眠るとなったらこうやって無意味な自傷をして入眠時刻を先送りにしている どれだけ自分の認知を都合よく捻じ曲げれば気が済むんだろうか こんな歳にもなってこんなことで悩んでいるなら一生この苦しみを定期的に味わう必要があるのだと思う 将来がただくらい、心臓の裏が痒い、瞼の裏が痒い 殺してくれ、意識のないうちに全てが終わってほしい 早く眠って全てを忘れたい

何もない

「朝早くから学校に来て勉強してるやつ」「やたらノートを綺麗にとるやつ」「公式を丸暗記しようと単語帳に書き出すやつ」
いたよね、中学とか高校の時。
いわゆる「要領が悪い」と言われる子達。
高学歴の人間ならあるあるだと思うが、僕はそういうやつらをかなり見下していた。
直接口には出さずとも、確実に態度に出ていたと思う。

受験勉強とは、最小の努力で最大の成果を出す効率化の作業であって、要は「要領よくズルをする」「サボるために努力をする」作業だ。
無駄に手を動かしているやつは時間を浪費しているし、学校で配られる参考書なんて効率が悪くて読んでられない。
全てに対して局所的な最適解みたいなものがあって、それを作用的に探す能力に長けたやつが受験戦争を勝ち抜くのだ。
そう、これは受験に対しての最適解だ。

受験勉強が通り過ぎれば自分自身で勉強する必要があるし、社会に出れば自己主張が求められる。
そこにももちろん効率の概念は存在するが、そもそも手を足を動かさないことには何も生まない。
受験勉強以外の場所には最適解がないのだ。
何か近道やズルができる場所があると思ってそこら辺をフラフラしているが、偵察をしているだけでその実その場から一歩も動いていない。
自分自身で目的の旗を立てて、そこに向かって一歩でも進んでるやつのほうが凄いのだ。
仮に同じ場所に戻ってきてただ疲れただけだったとしても、斜に構えてその場でヘラヘラしているだけの奴より何倍もマシだ。

この文を書くまで、僕はそれなりの大学で理学を修めたと誇っていたが、実際はただそこにいただけだったことに気づいた。
受験以外誇ることがない奴は可哀そうと笑っていたが、今までの自分が誇っているものは結局同じような過去の栄光だ。

俺は今までの人生で何もしていない。
何かをしている人間に寄生して、他者が咀嚼したものをそのままコピペして自分のものだと偽り吹聴していただけだ。
見抜かれてないと思っているのはお前だけで、本当はみんなお前がただの寄生虫であることを知っている。
実際は何かを手に入れる能力もないし、それを手に入れるためのあがきすらしない。

やりたいことがないことを誇りに思っている。
自分が異端者であることを誇りに思っている。
だからその場から動かない。

「1000時間やるとプロになれるというが、100マス計算を1000時間やっても数学者にはなれない」と自分を納得させるように言い続けてきたが、今のお前ができる最善がそれなら100マス計算をやり続けるしかない。
小学2年生には代数すら理解できないのに、斜に構えてその場で最善の努力を避けることのダサさと言ったらない。

早く殺してくれ。
全てをあきらめさせてくれ。 わかりやすい引導を渡して、他人に寄生する生き方に免罪符をくれ。
こんな文章を書きながら、頭のどこかで「でもすごいじゃん、そんなこと言いながら頑張ってるじゃん」と架空の人間に褒められる妄想をしている。
いつも同じ場所にナイフを刺して、塩をたらふく塗り込んで気持ちよくなっているだけだ。
こんなことを考えて書いている俺が一番効率が悪い。10年間同じことをこのブログで表現を変えながら書き続けている。

年を取った

29になった。20代最後の年だ。
この10年、僕はどうだっただろう?これから僕はどうなりたいだろう?

20代の自分に向き合う

20代の終わりに向けて、自分は何を考えていたのかをざっと振り返ってみる。
この先長いよ。

20歳 学部3年

ブログをここに移した時期。
確かこの時はうつ病で、夜中に叫んでは薬を飲んでいた。
真っ先に思い出すのは、壁中に計算式が書かれた6畳の部屋。ほぼこれだけが僕の世界だった。

とはいえ色々な数物系の全国交流みたいなのは続けていて、ここでこの先大事にできる友人たちと出会った。
後生大事にしている「今ある手札で勝負するしかない」という言葉も、この年先輩にかけてもらったのだった。

“2016年は、僕が初めて20代を迎え、それを過ごした年だった。

しかし今まで生きていた人生の中で、最も密度が薄い年だったと思っている。”
https://ladder-frck.hatenablog.com/entry/2016/12/23/234335

21歳 学部4年

院試や就活について考えているべき年だが、デレマスの全国ツアーを追いかけて借金まみれになっていた。

この年のクリスマス、友人とラーメンを食べにいく最中に「自分はもう物理をやっていけない」と悟った。
ずっとあこがれていたものが自分の目指すものではなかったと気づいたときの感情をもう覚えていない。
少なくとも同じ学科の誰よりも物理に打ち込んだ気でいたが、結局気持ちだけだった。
これは今も同じだ。

でもキャンパスの床に座って計算をする必死さはあった。
あれも追い詰められたゆえの火事場の馬鹿力であったか。

“能力のない人間が、何か一つのことにあこがれてしまったために、中途半端にほかの道に進むこともできず、かといってやめる勇気もわかず、その場で足踏みをしている。”
https://ladder-frck.hatenablog.com/entry/2017/12/19/015230

22歳 修士1年→ニート

物理でやっていけないという気持ちを抱えているときに友人にそそのかされ、大学院を2カ月でやめて突発的に上京した。
今の仕事に出会ったのもこの年だ。
自分が予想していないほうに人生が転がっていくのを感じていた。

5年間続けてしまったものに対する感情の整理をしていた時期でもあった。

“しばらく気づいていませんでしたが、僕はアイデンティティを「物理をしている自分」もしくは「何かに向かって努力する自分」に求めていたらしいのです。今の僕は、何を目指せばいいのかわからくなってしまいました。

教えて下さい。今、人生で一番希望に満ち溢れた君は、どんな夢を持っていますか?どんな未来を描いていますか?大事なものは何ですか?好きなことは何ですか?譲れないものって何ですか?君が当たり前に抱いていたものが、今の僕にはわからないのです。時の流れは残酷で、4年間という時は人間の考えをそれなりに変えてしまうようです。考えても、考えても、何をしたら幸せになれるのか、そもそも僕はどんなことが幸せなのか、わからないのです。” https://ladder-frck.hatenablog.com/entry/2018/03/14/004209


“僕は最近イライラしている。自分の望んだ形のアウトプットができないからだ。 書きたい文がかけない、上手な絵がかけない、勉強したはずの分野で計算がうまくいかない。うまくいかないのでアウトプットのための修行をするわけだが、教科書机において眺めるだけ、全く手が動かない。入門書を買っても一章だけ進めて止めてしまう。買った楽譜は8小節だけやって終わりだ。 結局最初の意識が高い状態じゃないと物事が進められなくて、身にならないまま中途半端に終わる。今できるのは大学一年生のころ努力できた時期の計算方法と、高校生の頃がんばれたときに覚えた曲だけだ。 どちらかと言うと、アウトプットそのものの難しさと言うより続けつことの難しさなのかもしれない。” https://ladder-frck.hatenablog.com/entry/2018/06/27/170615

23歳 修士1年

赤門をくぐったこと、海外の研究所にいるという事実が「自分を何者かたらしめている」と思い込んでいたが、だんだん現実が見えてきていた。
人間の本質は環境を変えただけでは変わらず、結局向いていないものにまた2年を費やすことになったのだった。
学部生の時より落ち着いていたが、それでも何かに追われるようにずっと焦っていた。

“何か忘れ物をしてしまったような、理由もなく生き急いでいるような、誰かを追いかけているような、誰かに追いかけられているような、「忙しなさ」という言葉では足りない何かが、僕の心にしがみついている。

僕は誰かが用意した舞台の上で踊っている、という周知の事実に何度も何度も気づかされている。

僕は、構成要員の一人でしかない。

息さえぶつかる程に人と近く、そしてどこよりも人と遠い、きっと僕たちはお互いをわかった振りをして自分のことさえわかっていない。”
https://ladder-frck.hatenablog.com/entry/2019/03/24/232025

24歳 修士2年

コロナ流行ってましたねぇ。
そのせいかこの年が記事数が一番多くなっている。
モラトリアムが終わる年でもあり、店じまいというか、終わるものに対して折り合いをつけていた。

“幽霊を信じるか信じないかではなく、いるかいないかを僕は知っている。

知っていることで、僕の世界は相対的に小さくなっていく。

賢さを得たあとに振り返ると、感情に任せて突っ走った日々はただの黒歴史だ。

だけどそうだと気づかずにただ走り続けるか、もしくはもっと先の賢さへ至れたら、こんな昔のことなんてどうでもよくなれるはずだ。

何かが好きだと、そんな陳腐な言葉で表すだけでは解決できない大きな気持ちを、やりたいと思う熱意を、知を持ったままで無知でありたいという気持ちをもっている時点でこれは解決ができない。

何度も何度も同じ場所にナイフを突き立てて、まだその場所に痛覚があることを確かめている。中学生の頃から続けてもなお、その場所への自傷がやめられない、自分が可哀想で、可哀想な自分がかわいくてやめられない。

もっと苦しんでいたい、ささくれを引き抜くような鈍い痛みを悦んで、そのあとにたまる膿に純粋な苦痛を味わわされる。” https://ladder-frck.hatenablog.com/entry/2020/08/09/223207

25歳 1年目社員

仕事がしんどかったが、それを考えるよりも多くの情報が僕を飲み込んでいてそれどころではなかった。
この時色々お絵描きとかして同人誌出したりもした。

自分自身のことについて悩む時間が無くなったのか、昔ほど深刻に何かを悩む感じではなかった。
色々なものに折り合い(もしくは諦め)がついたのだと思う。
僕がどんな結論を出そうが、時間は進む。

“特にこの悩みらしき文章にオチはない。 そこまで悩んでいない。 人生につきまとう呪いがようやく全て解けた、ただそれだけ。” https://ladder-frck.hatenablog.com/entry/2021/02/21/235705

26歳 2年目社員

正直それといって思い出すことがない。
館山とか行ってたみたい。
最後のコミケ参加がこの年。

“昔の夢をよく見る。 燃え尽きて吹き飛んだと思っていた気持ちはまだ脳みその奥のほうに残っているらしい。

人に対して未練があるというよりも、過去味わった気持ちをもう一度再現したいという欲求が正しい理解な気がする。 馬鹿だったころにしかできない燃え上がるような感情に駆動されて走り出してみたい、けど自分の心は適度に成熟したのもあっておそらくそんな状態には二度とならない。

しょうもない過去に縋りつく惨めなおじさんとして残りの人生を生きていくんだろうなあ、と何度も自分を評価しているが、どこかでまだ自分は若くいられるような幻想にとらわれている。” https://ladder-frck.hatenablog.com/entry/2022/09/30/201941

27歳 3年目社員

ここも記憶がない……
新潟とか富士山とか行ってるみたい。

仕事は大き目の案件を任されている充足感はあった。
だんだん自分について難しいことを考えることを放棄しつつある。

鎌倉の夜の漁港で友人と将来について語ったことは覚えている。
何か結論が出るわけではないが、ああいう時間が尊いものであるとは思う。

“今年を大雑把に語るなら「大きな1を手に入れたが、それ以外は何も手に入れられなかった」という言葉になると思う。 去年は「小さな0.1がたくさん得られた」年だった。 働く環境が大きく変わったということもあるが、適応する時間はいくらでもあった。 何を優先するべきなのか、何を成したいのかをボヤっとしたまま、人に与えられたものをやり続けていたら、他人が与えてくれた大きな1つしか手に入らなかった。 それ自体に不満はないが、リソースの割り振りが下手だったなとは思う。” https://ladder-frck.hatenablog.com/entry/2023/12/30/223845

28歳 去年

仕事はだいぶ大きく動いた。大きい案件が終わった。
部署転換もあった。そのうちリーダーにされるらしい。怖い。 創作系の仕事もやって、いろいろ経験は積めたと思う。
まあこれ以上はないかな……

対してプライベートはだいぶ大きく動いたように思う。
特定の友人とよく会うようになり、そこかしこを歩き回り、絵をまた描くようになり、今はなぜか大型二輪に乗ろうとしている。
後でざっとまとめるけど何かが転がるときって大体人が僕に何かをもたらしてくれるんだよな。

ちょっと早いけど20代の総括

一言でまとめると「清算」という言葉がふさわしいだろうか。
色々なものに折り合いをつけて、新しいフィールドで戦い、そこでまた折り合いをつける。
悪く言えば「諦めが良くなった」か。

また、自分にある要素を見てみると、大雑把に三つの要素があると思う。
これは多分僕が棺桶に入るまで大きく変わらないはす。

1. ずっと何かに追われているような気がして焦っている
折り合いはついたが、10月くらいに少し火がついてからはまた何かに追われる焦りを感じるようになってきた。
今日家に帰ってくる道中も、30までのカウントダウンが始まったことで「まだ何者でもない自分であることが怖い」という気持ちに襲われて気が狂いそうだった。
今の僕は年月に追われている。

2. 追い詰められればある程度のことができる
悪く言えば「追い詰められないと何もしない」。

追い詰めすぎて一回心がぶち壊れているが、そのおかげでぶち壊れない程度の負荷がわかる。
結局自分は短距離型なのだ。
短距離走を何回も繰り返し続けることで、何かを続けることができる。

3. 人と環境に恵まれている
生きていられたのは寮暮らしで友人たちと一緒に暮らせたからだし、
物理を続けられたのは必死に柳に飛びつこうとしていた自分を先輩が見つけてくれたからだし、
仕事を続けられるのは上司が良くしてくれているからだし、
絵を描き続けられるのはそれを馬鹿にしないどころか応援してくれる友人に囲まれているからだ。

自分はフットワークが軽いとよく言われるが、外力駆動型なだけで、雑に言うと流されているだけだ。
だからこそ恵まれた人、環境に囲まれた人生は本当に幸運だと思う。

2025,お前はどうする?

振り返りだけをするなら爺になってからすればいい。
そこからお前はどうすんのよ、って話だ。

今年は焦っていこうと思います。
20代で薄れた「心が壊れるような焦り」を感じるチャンスは、もうしばらくやってこないはず。
解けた呪いをもう一度自分にかけて、この一年を過ごしていきたい。

youtu.be

241027+1

もう習慣から消えている。

悪意に触れたくない

全く意識せずとも、人間の悪意に触れてしまう瞬間がある。
その周りに渦巻く感情が自分の中に流れ込んできて、考えたくないのにずっとそのことばかり考えてしまう。
自分だったら首を括ってこいつにやり返してやろうとか、諸悪の根源に悪意を反転させるにはどうしたらいいのかとか、どうしたらこいつにターゲットマークが付けられるのかとか、そんな思考に支配されて、気が付いたら30分視界から現実の景色が消えている。
サイトをブロックしたりして可能な限りそういったものがふいに目に入らないようにしているが、自分の性格の悪さもあり、油断するとそういったものを探しに行ってしまう。
妄想の気持ちよさ、仮想的に「絶対悪」を殴る気持ちよさ、他人を小ばかにしたい・見下したいという感情が簡単にくすぐられて、あっという間に理性が負ける。

こんな無駄な時間はない。
本当はこうやって文字を書いたり、人と話したり、絵を描いたり、ピアノを弾いたり、優しい時間を過ごす時間はいくらでもあるはずなのに。
手が黒くぐちゃぐちゃになった人間たちが住む沼に、少しずつ引き込まれて、視界が真っ黒になる。
きっと僕の核の間的な部分がそういう風にできてしまっている。

別の思考の結果だが、何か行動を「恥ずかしい」と思うことは、無意識に自分が周りを見下してきた結果だと思う。
同じような行動を他人がしたときに、自分はきっと見下してバカにする。
それがわかっているから、同じ行動を自分はとれない。
それが恥の感情として現れる。

これに打ち勝つには教育をするしかない。
少なくとも僕は自分本位の人間らしいから、気を抜くと低い準位に落ちてしまう。
できるだけそれを底支えし続けて、低い準位が何かで埋まるのを待つしかない。
当たり前のレベルを少しずつコツコツと上げていくことが、人間という種ができる限界だ。