昇り降りの日々

学務様が見てる

200729

正直でいること

知らないということ、ダメなことをダメだということ、自分を曝け出すこと、ずっとそういう気持ちと向き合っている。
虚栄心がそのまま実態を持って歩いているような感覚、ドロドロの外壁の中に理性のある自分が小さく閉じ込められていて、こっちが本当の自分なんだって暴れている。
1、あの人混みの中でひとりぼっちでいたこと、トイレのドアを眺め続けた時間、一人でみた東京タワーのこと
2、雨の中で橋を駆け上がって全力で叫んだこと、全てを隠して一人で掴んだ幸せのこと、見栄を張った自分が本物だと信じていた5年間
3、全部が怖くて昼間のカーテンを締め切ったこと、無理やり掴んだ友人の背中、誰も助けてくれなかった狭い部屋
23歳で跳ね返って、少しずつ7年程度の時間を巻き戻している。
このまま30過ぎにはクエンチを起こして潰れてしまうかもしれない。

自分が尊敬している人、好きでいられる人全てになろうとしている。
なりたかった物、なれなかった物、この年になって後者が少しずつ増えていって、混ざっていって、鈍化した僕をいろんな人間が追い越していっている。
一瞬だけ何者かになっている気がして、高くなった鼻をすかさず本物がへし折ってくる。
騙されるバカも悪いと思うが、そのバカをつかって自分の汚い心を満たそうとしている自分はもっとバカだと思う。

一瞬向きになってしまう自分が嫌いだけど、そのトリガーはもう僕の届かない奥底に沈んでしまっている。
だから僕は発火したそれをどう消すかしか考えられない。
朝起きてからこの文を投稿して意識を失うまでの間何度も唱える言葉が、地獄の底で何回も響いて聞こえる。

自分をバカだと笑えるようになりたい、心の底で認められない形だけの自虐が思いの外脳の奥に刺さる。
ちょっとだけ黒くなった目の周りと、ボロボロになった指先と、自分が今後生きていかなければいけない時間を考えている。
見栄を張って乗り込んだレールに最適化された自分のプライドと教養が、欲望を夢と言い換えてまた他人を騙そうとしている。

反省

僕は正解以外の選択肢を選びたくない。
少しずつ試し撃ちをして、絶対に正しい方を選ぶ。
想定外が起きてはいけない、だから人間とちゃんと向き合えない、正直でいられずにその時思いついたストーリーがぺらぺらと口からでてくる。
整合性を取ろうとするほどほつれるし、きいている人間は最初からそれにきづいている。
ご機嫌を伺った言葉がまた誰かを遠ざける、恒久的なものはないと知っていてもそれは今であって欲しくない。
博打を打つのではなく、自分の中のスタンダードを貫く選択をしたい。
全てにビビっている僕は一生できないけど。

最初に海に飛び込む一羽に僕はなれない。
飛び込む誰かを探して、その横から一緒にこっそりと飛ぶのだ。

あるもので勝負するしかないらしい、萎んでいくこの脳味噌と心をどれだけ長生きさせられるだろう。
僕の意思と反して、体は年老いていく。

事の真相

Q, なぜこのような文を書いたのですか
A,
- バイトでちょっとだけ空回りしました
- 昔の先輩が遺した文を読んで辛くなりました
- アマガミを見ました(一番影響が大きい)

00年代後半ラブコメとそれに対する眩しい青春への憧れが僕を形作っている、明日はとらドラでも見ればいいんでしょうか

また何もせずに時間が過ぎていく

生活できてない

今まで7時半に起きる生活をしていて、そろそろレポートをやらないといけないからと言う理由で朝の日課を廃止したのだけど、やることが消えた瞬間二度寝するようになったりして結果的に溶ける時間が増えている。
気軽にできるけど習慣化できる無駄があったほうがいい気がする。

旅行に行きてえ

ladder-frck.hatenadiary.com

このまま長期的な旅行ができないまま社会人になるのかなあと考えて落ち込んでいる。
ユーラシア大陸横断したい。
Youtubeでずっと旅行動画を見ている。

文字を書くことすらできない

1日の間に何も起きていないのでこれ以上書くことがない。

卒業が遠い

単位がやばい

やばい、レポートを書いているが、あっている自信が全くない。
同じ授業を受けている知り合いもいないし、そもそも授業が全然わかってない。
英語で授業しないで。

もう今更言ってもしょうがないのでレポート終わるまでは文字とか絵とかをいったん置いておいて、レポートと研究を最優先で回すしかない。
やばい、やばいしか言ってない、頑張ります。
一日1つ片付ければ終わるはず……

バイトも始まる、研究もやばい

何するかよくわかってないけど、勤務が再開になる。
内容によっては休職しようかなと思っている。
あと半年で修論書かなきゃいけないのって冷静に考えるととてもやばい。
今の研究を真面目にやり始めて半年ほどたったが、正直ハリボテなので全くと言っていいほど成果がない。
学会までにとりあえずハリボテを脱して実データ解析に回さなきゃいけない。
今週はバグとって、単体実データ解析用のプログラム作って、余裕があったらモジュール 含めてきれいな形に焼き直す。
マルチファイルのTuple作成は来週に回します。

ストーリーを求めている

感情をグラグラさせたい(?)のであのキス2巻を毎日無限回読んでいます。
こういうオムニバスの作品とかを見ると自分の趣味がよくわかる。
エクレアとかもそうだったけど、自分の知見を広げるためにも一つのテーマに基づいて広く色々載せた本を読んだほうがいいかもしれない。
どうしても自分は偏食で、気に入った一つのものばっかり食べてしまう傾向があるので、意識的にそういうことしないといけない。

公式が僕が一番好きな話を上げていたので読んでください

何もしていない

12時くらいに起きて、パンを食べたような気がする。
そこからろくに記憶がなくて、買い物に行った時以外意識がなかった気がする。

『さみしくない』と言うしかない

今手に握っている板を手放したとして、頭の中で考えることは全部自分のことだ。
自分の今日の行動、自分の今の考え、自分の過去との整合性、自分の未来、自分の汚さ、こう言うことを書こうかなとずっと考えていた。
色々言ってるけど結局自分が求めているのは人なんだろうなあと思っている。

何か変わるかもと思ってやったことは、続けることではなくて、瞬間的に起こる出来事でしかなった。

汚す

たまに自分が浄化されたような感覚に陥ることがあるけれど、そのあとの揺り戻しが辛い。
既に汚れた水に一滴のインクを垂らすのと、澄んだ水にそうするのとではわけが違う。
普段は自分を構成する混ざった色では普段気づかないことがたくさんあって、秩序だった色合いが自分の中に取り込まれる時に混ざって濁っていって、その時に自分の醜さがよくわかる。
洗面台の鏡に写る自分が気持ち悪い造形をしている。
気がつけばただのおじさんになっている。
自分が求めているものとはどんどん遠くなっていて、でも自分の外側も変わらなければ中身も変わる気配はなくて、でも理想と自分が呼んでいるものには具体的な形がなくて、薄い右目とか、うねる髪の毛とか、歪んだ爪とか、傷だらけの体とか、自分のものが全て汚く見える。
僕はこんな体でも中身でも生きたかったわけじゃない、変わり続けることなんてしたくない、きれいなものとしてそこにありたい、なんでこんなに汚いんだろう、僕が想像する世界はあんなにきれいな物でできているのに、僕は何もせずに、寝てしまえばこんな気持ちも忘れて、よくできた脳味噌のシステムだとか決められたスケジュールの中で上手く生きていく。
何が書きたいんだろう、でも汚い自分が嫌いなことは確かだ。
なぜこの体で生まれてきたんだろう。
この性別が嫌いだ。

思考が言語化できない

怠惰であることは重々理解しているが、自分の頭の中にある渦が形にならない。
何が書きたいかはわかっているのに、何を書いているのかわからない。
きれいなものが自分には毒なんだってこと、どうやったって自分の思考は自分の中で閉じてしまうということ、なんか他にもあった気がするんだけどな。

文章を書くということ、その2

今日

昼頃起きてナウシカリズと青い鳥を池袋に新しくできたTOHOでみてきた。
ラーメン食ってたら最初の数分逃したりしたけど、概ね今日はよくやった方だとは思う。
ひまの使い方をもっと上手になって余裕ある生活したい。

また『リズと青い鳥』にあてられた

映画そのものの感想をちゃんと書いたことがないけど、あんまり言語化するのも無粋だなあと思わせるくらいには繊細な映画だと思う。
それ故に出来るだけノイズのない映画館みたいな空間でしかみたくないし、映画で感じた小さな機微そのものをゲインしたくない。

僕の感じた気持ちくらいは書いてもいいんだろう、と思うけど

ladder-frck.hatenablog.com

2年前にリズと青い鳥が公開された時も同じ気持ちになって同じようなことを書いているので、二度も同じことを書く必要はないだろう。

この前友人と話した時も「僕たちは今この瞬間に感じたことをなかったことにしたくないからブログを書いているんだ」という結論に至った。
今自分の中に存在する思考が簡単に忘れ去られてしまうことを知っているので、強迫観念じみた気持ちでTwitterやらブログやらをやっている。

人間の記録システム的に、記憶の解像度が落ちていくことは避けられない。 だからその情報が多いうちにこうやって新鮮なものを記録する。
自分の場合はもう少し取捨選択した方がいい気もするけど。

ところで「あてられる」って僕が想定している使い方とは意味が若干違うっぽいですね。
じゃあ使うなよという話だけど類語が見当たらんのでこのままにしておく。

その他

  • なんでジブリ作品って大衆に受け入れられているんだろうか。
    トトロとかポニョとかが受け入れられるのはまだわかるんだけど、ナウシカはマジで意味がわからない。
    先に弁明しておくとナウシカは面白いと個人的に思っている。
    けどあんなオタクのおじいちゃんの趣味てんこ盛りでキモい造形の虫が大挙して押し寄せてくるシーンが大量にあって特段ビジュアルがいいキャラがいるわけでもなければストーリも結論もなければわかりやすさもないのに、なぜ日本人はこんなに口を揃えて『おもしろい』と言えるんだろうか。
    自然との共存云々みたいな説教くさいテーマが受けてるってなら平成たぬき合戦ぽんぽこももう少し祭り上げられてよくないか?いやあんまり反証になってないな。
    他の人間の知能を僕が低く見積りすぎている(性格の悪い発言)ってのもあると思うけど、明らかにオタク向けの映画だと思うんだよなあ、なんでだ……?今日ずっと考えてたけどよくわからん。

  • 最近筒井康隆の「創作の極意と掟」という本を読んでいるのだけど、読めば読むほど「斜に構えずに書きたいように書けばいいだろ、小説にフォーマットは無え」って意見が自分の中で強化されていく。
    色々気にしてぶん投げた話がいっぱいあるので、別に知っている人間に見せるわけじゃないんだからさっさと書いてどっかにあげようかしら、という気持ちになる、気持ちになるだけ。
    あんまり最近ちゃんと文字を書いていないのでちょうど一年前に書いた梅雨の話を書き直してみようと思う。
    結構気に入っているけど、今読んでみたらびっくりするくらい短かった。

www.pixiv.net

創作の極意と掟 (講談社文庫)

創作の極意と掟 (講談社文庫)

youtu.be

やっぱり日本語歌詞が好きだ。
あのフレーズ(もしくはこの歌そのもの)が映画の最後の1ピースなんだと思っている。

200702 千と千尋の神隠しがめっちゃ面白かった

今日

午前中はご飯食べてお風呂入って洗濯機二回回して昼まで寝た。
授業を適当に受けて大学に行って、博士進学書類を出して、大学内を散歩して、百合展見て、映画見て帰った。
午後3時くらいから活動したのだけど、かなり充実してた気がする。

大学の状況

入構するときに学生証が必要と聞いていたけど、裏門は何も言われなかった。
正門では見せろと言われた。なんか色々雑な気がする。
いろんなところが封鎖されていたり、池がジャングルみたいに草ボウボウになっていたり、図書館が閲覧室使えなくなっていたり、なんかもうすぐこの大学なくなってしまうんじゃないかというくらいの廃墟感があった。
博物館のそばにある紫陽花を見に行ったのだけど、もう既に大半が萎れていた。
大学に通うのは今年度までなのでどうにか最後に見とどけたかったけどダメだった。
来年見にくる余裕はあるだろうか、多分ないだろうな。

百合文芸

百合文芸展(?)を見に行った。

存在を知っていたのだけど結局途中まで書いて放り投げて応募しなかったやつ。
まだ絵の展示分しか見ていないけど、やっぱり表現を上手にできる人はすごいなあと思う。
完成させるだけでもすごいのに、あれだけの情報を詰め込んで、そこから世界にばらまいて、さらに評価まで受ける。
絵なんて動かない一枚の静止画なのに、そこにシチュエーションを理解させるだけの情報が詰め込まれている、本当に感心してしまう。
文芸の方は本を買ったのでチマチマ読もうと思う、積読が増えていく。

千と千尋の神隠しを観た

ガキの頃に一度だけ観た記憶があるけど、正直話の大筋しか覚えていなかった。
改めて見直すと「これこんな風な展開だったのか」と記憶の改竄をされているところがかなりあった。
子供の頃に観て感じたものを記憶していたはずなので、改竄された記憶もまた貴重かもしれないけど。

あと映画館で見ると世界にそのまま引き込まれて帰って来れなくなった。
ノイズのない世界でただその映像を観ているとその世界に取り込まれることはしばしばあるものの、2時間も観ていれば素に戻ってしまう瞬間がある。
けれどこの映画はそういった瞬間が全くと言っていいほどなかった。
正直世界観を文字で説明しても「なんじゃそれ」ってなるくらいには意味わからん世界なのに、ここが面白いとか、ここが起承転結の転なのかな、みたいなことを考える余裕がない。
たった3日の出来事を、千尋の視点で、千尋の意識がある時間の流れのまま体験しているから変な継ぎ接ぎがなく、最後まで滑らかに違和感なく見れるのだろうか。

あと終わりかたもすごい、あれだけのことがあったのに、ハクの「決して振り返ってはいけないよ」との言葉から、千尋もみている人間もあっという間に元の世界に帰されて、いざ最後に振り返ってみてもその世界も姿も見えなくて、その余韻もないままEDに入ってしまうので「今までみたのは全て夢だったんじゃないか」と自分も思ってしまった。
何から何までめちゃくちゃに面白い映画ですね、その面白さもなんかうまく説明できない。
終わった頃には「こんなに面白かったっけ?」とめちゃくちゃにびっくりした。
今日の充実感の大半はこの映画のおかげだと思う。

その他

  • 知らんうちに7月。未曾有の大災害(と僕は思うようにしている)が始まってから既に半年が経って、日本に戻ってきてからも3ヶ月経ってしまったらしい。 書き溜めている災害日記があるのでいい節目だしまとめて出そうかと思う。そのうち。

open.spotify.com

作る

何もしなかった

今日の午前中に大神をやって、午後はYoutube見てたら1日が終わってしまった。
プログラムは二行くらい書いた。

作る

作る人の凄さをずっと感じている。
同じ話を書いた人、同じ表現をした人、その称賛が欲しかったわけではないけれど、やっぱり羨ましいとは思う。
自分の表現力のなさ、出力スピード、量、度胸、その他もろもろがないことを十分に理解している。
自分の歩みを止める理由はないけれど、歩んでいることを誰かに知られたくはない。
知られたくないけど自分の作ったものは知ってもらいたい、あわよくば称賛が欲しい。
自分の心を開くために、自分の皮を開示することに等しいその行動を、勇気一つで突破できるほど僕の経験は深くない。
だからと言って見えないところで歩かなくても良いことにはならない。
無垢にそれを公開できる人間が羨ましい、自分の皮を着飾ってなければ僕は自分を自分ということができない。
かと言って常日頃から着飾る力もない。
無力、無力、無力、ナチュラルにそれをできる人間がいるなら、自分はそれになれるように『努力』をしなければいけないのに、自分は布団の上で惰眠を貪るでもなく、画面の中から与えられる情報を流し込んで脳を動かすフリをしている。
起きている時間の全てを自慰行為に費やすような、そんな虚しさを毎日のように味わって、誰からも見られない締め切った部屋で、ギリギリになって追い詰めてくるタスクに怯えている。
そんな中でやりたいことを、なりたい自分を追い求めることができるはずがない。
動かすしかない、その仕組みを自分の中に作るしかない、自分の望みをかなえるために、自分じゃない自分でいなければいけない。

全てを受け入れるということ

少し前に自分の性格の悪さをカバーするために全てを無批判に受け入れるようなことをしていて気持ちが悪いということを書いた気がするが、最近そうではなく「自分が外部から何かを受け入れて咀嚼するとき、自分の中にある既存の価値観と比較することをやめるべきなんだ」と気づいた。
今はまだ自分の中にインストールされている価値観が時代にある程度促しているからいいものの、偏食の自分がこれからあらゆるものを食べて思考を先鋭化させていくことがわかっているので、そう言った自分を是として『判断』をすること自体が間違っているのだと思う。
咀嚼とは自分のフィルターを通した解釈のことではなくて、要素を分解してその中にある必要量の構造から情報を抜き取る作業だ。

バイブル