昇り降りの日々

学務様が見てる

1984年

ジョーオーウェルの著書「1984年」を読んだ。ディストピア小説の最高峰として名高く、前々から読みたいと思っていた本だった。オタクライブで静岡まで行く予定があったのでその間に読んだ。読むのに時間がかかるかなぁ、と思っていたが、三章建てのうちの二章から一気に物語が何回も反転し、気が付いたら飲み込まれていた。そんなこんなで静岡につく前に読み切ってしまった。

 

大まかなストーリーは*1、市民が完全に政府に監視された社会で生きる主人公が、ある事件を通して政府への疑いを深めていき、恋人とともに反政府運動に傾倒していくという話である。

最後の一文があまりにも有名なので、実はオチは知っていた。ただ、全部ストーリーを読み切った後に読むその一文はあまりに重くて、本当に救いようのない気持ちになった。

 

感想を書きたかったのだが、これ以上何を書けばいいのかわからない。読書感想文は毎回適当にストーリーを書いて出していたので、感想の書き方がわからない。誰か教えてくれ。

*1:wikipediaのほうが説明がうまい。オチまで書いてあるが、オチを知っててもなおこの作品の面白さや根幹は揺るがない(主観)はずなので多分見ても大丈夫だと思う。https://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

N重思考と流動性

憧れを客観的に見れてるのか?みたいな記事を書いた直後*1、青春への歪んだ憧れを語る記事*2を書いている。

これはいくつか自分に都合のよい思考が並列に存在してるのだろうか、それとも、思考は時間相関が結構早く減衰するんだろうか。

 

まあ何であれ、自分の思考ですらあてにならないということだ。

教えるという傲慢

同じようなことをひかるさんが書いていたけど気にしない。

 

何気なくラジオを聞いていると、「僕たちの子供に教えてあげたい 本当は○○がxxなんだってこと(うろ覚え)」みたいな曲が流れてきた。ほーん、と思って聞いていたが、よくよく考えたら結構ヤバイ歌詞だ。何が真実かなんて時代によってコロコロ変わるし、そもそも何が正しいかなんて教えてもらうものではない。それを教えてやろうなんて上から目線も甚だしい。

 

 

僕は昔、教師になりたいと思っていた。そのために教職課程の単位も教育実習を残して全て揃えた。

いつか恩師がしてくれたみたいに、誰かを教え導きたいという崇高な志を持っていたが、ある日突然「僕は何を教えたいんだ?」と思い始めた。

教師になりたいと思っていた頃は、自分の行動や思想が正しく、社会をきっと豊かにするものだと信じきっていた。そして同じような人間が増えれば、この世はさらに豊かになるとどこかで思ってしまったのかもしれない。もしくは僕がした失敗をさせなければもっと素晴らしい人材が育つはずだと思ったのかもしれない。

こういった自分の思考を省みたとき、とても怖くなった。自分は無意識に思想の統一をしようとしていたのだろうか?

物を教える人はそれが正しいと信じて疑わずに教えてるのではないか?と考えるととても恐ろしく感じた。

もちろんこれは極端な妄想であり、教えることについて自ら批判をしながら何かを教えている人がいるのかもしれない。しかし高校までを振り替えると、そういうことをしながら教えていた人は数えるくらいしかいなかったように思う*1

 

この考えは、「子供が欲しい」という願望にもそのまま適用できると思っている。

僕はごく稀に子供が欲しいと思うことがあるのだが、何でそんなことを思ったんだろう、と考え直すと、やっぱり自分の都合のいい教育をしたいという悪い欲求*2が根底にあるっぽい、ということがわかった。

 

こういうふうに文にすると、自分への戒めになる気がして書いた。

*1:主観。

*2:これも主観

愛し私の青い春

少しだけ自分語りをさせてほしい。

というかこれは僕のブログだから何を書いてもいいはずだ。恥ずかしくなったら消すかもしれない、衝動でかいたから許してほしい。

 

中学生のころ、僕はカーストの最下層でさ迷う人間だった。変な方向で目立つ人間だった気がする、色々やらかして色々やらかされた。何であれあんまり思い出したくない時代だ。

心の支えになっていたのが、小説だった。ラノベや普通の小説やら色々読んでいた。そのうち、そこに描かれた青春とやらに憧れるようになった。

学校での滞在時間を限りなく短くして、部屋に閉じ籠り、できるだけ時間を先送りにして、僕は未来に夢を託していた。きっと僕にも青春が訪れるのだと固く信じていた。今思えば、この時点で既に「青春」にやたら固執して、歪んだ憧れを持っていた*1

 

高校入学と同時に、僕はとある島に引っ越した。

書くのが面倒になってきたので詳細は省くが、これが転機だった。中学のころ自分では想像がつかないくらいの人間に囲まれ過ごすことになった。ステージの上で楽器を掻き鳴らし、全校生徒の前で夢を叫んだ。登り詰めるとこまで登り詰めた感があった。自分が中心に世界が回る、間違いなく僕は主人公で、思い描いた青春がそこにあった。

 

しかし何にも終わりはやってくる。終わりよければ全てよし、と言う。幕引きの仕方で全てが決まる。詳細を話す気がないが、僕はそれに失敗した、もしくは失敗させられた。僕の青春は無かったことになった。

つい最近まで僕はそれに気づいていなかった。無意識のうちに、失った青春を取り戻そうと足掻くゾンビのように生きていた。もう高校生の頃に持っていたような、無責任な自信と夢を持てなくなってしまった。夢を語っていた友人たちは夢から覚め、続々と就職を決めている。昔の友人には怖くて会えない。ティーンエイジの無責任な衝動を歌う青いロックを聞いて涙を流すようになってしまった。僕はもう10代ではなくなってしまった、その事実がとても重い。

あんなに早く時間が過ぎ去ってほしいと願い時間を必死に進めた中学時代、全てを手にいれ全力で駆け抜けた高校時代、必死に時間に抗おうとしている今の大学4年生の僕、何だか滑稽だ。大人にもなれない、青春時代にも戻れない、僕は何者なのだろう。

 

高校時代を思い返すだけで吐き気がする。置いてきた青春を、拾いに行くことは自殺行為に等しい。けど僕は感傷マゾ男だから、傷口を自分で抉って、そこに少し塩をぬってはその痛みを楽しんでいる。何ならコショウまで振ってるかもしれない。あんなものにこの先の人生を支配されるのはまっぴらだ。きっといつかぶっ殺してやろうと思っている。

それを成し遂げてられても、失ったものは返ってこなくて、いつまでもゾンビのように生きるのかもしれない。

 

Time waits for no oneってこの事だったのか*2。気づくのが遅すぎた。

 

*1:9割くらいとらドラのせいな気がする

*2:ハァ( ゚Д゚)?

憧れはどこに

大抵みんな何かに憧れている。僕だって叶うなら嵐の二宮君か堺雅人になりたい。

あの仕事面白そうだなぁなんて思うこともたまにだけどあるし、ここに行ったら楽しいんだろうなぁ、なんて思うこともある。

でもそれはたまたま良い面を観測しただけで、その裏にはきっと数倍の苦労や嫌なことが隠れている。例えば、沖縄に住みたいという脳内お花畑さんが世の中には溢れているが、恐らくその人たちが想像しているのは南国の楽園みたいな面なのだろう、しかし実際はそうではなく、住むには恐ろしく不便な島である(住んでみた感想、主観)。

 

書くのがめんどくさくなってきた。

 

要は「憧れなんて所詮幻想じゃないのか、君は憧れている物をあらゆる面から客観的にみて評価できているのか」ということだ。

終わり。

寂しさの記録

独りで生きていけると信じていた。そうではないことに気づいてしまった。でも僕はそれを全部捨ててしまった。

 

僕はこの小さい世界を抜け出したあと、どうやって生きていくのだろう?僕には今、この一本の糸しか残っていない。きっとそれを手放す時が近いうちに訪れる。とても悲しい気持ちでいる。

大好きな場所もいつかは無くなり、彼らはバラバラの旅に出る。いつかまた会える気がしない。きっと昔一緒にいた人達みたいに、心の姿形が変わってしまう。

寂しさを埋めるための道具としての人間を心のどこかで求めてしまっている。恋人が欲しいと叫ぶ人達も皆こんな気持ちでいるのだろうか。

 

このまま僕は空っぽになってしまう。何も残らない、すがるものが無い。怖い。誰か僕の話を聞いてくれ。何が僕を正常たらしめているのか理解している。だからどうしたらいいかわからない。だから世界は配偶者を作るのか。情愛と性欲を分けてほしい。生を肯定してほしい。愛しさなんて無い、ただ、乾きを満たしてほしいだけだ。

こんな干からびた人間になってしまったことに嫌気が差す、私はとても悲しい。

お金持ちになったらやりたいこと

門司港にある旧三井倶楽部みたいな擬洋風建築の家を建てたい

暖炉のある部屋でゆらゆら揺れる椅子に揺られてビートルズを聴きたい(アーティストにとくに意味はない)、And I love herがいい

たまにレコードとか聴いてみたい、祖母の家にあったものはまだ残っているのだろうか

ピアノとかも弾きたい、たまに誰かに聞いてもらいたい

庭に花とかを植えてみたい、けど手入れをサボってしまうかもしれない

広い庭に小さなバラ園を作って、たまに眺めたりしたい

二階には書斎を作って、自分の好きなものを飾ったり、本をどっさり置いておきたい

綺麗な家には似合わないスポーツカーよりのセダン(もちろんMT)に乗りたい

 

でもきっと叶わないので、寮を出たらそこそこ広い部屋に住んで、洗濯機と乾燥機を買いたい

それだけあればいいかなぁ、乾燥機高そうだけど

でも、ちょっとお金に余裕があったら電動歯ブラシも買ってみたい

 

なんか、最初に書いた理想の家、昔住んでいた祖父母の家とそっくりな気がしている、あそこは楽園だった、きっとばあちゃんにとってもそうだったのだろう

あの家はまだ残っているらしいけど、知らない誰かが住んでいるらしい、あの青い屋根の家

ばあちゃん会いてえなぁ