昇り降りの日々

学務様が見てる

読書録をつけよう

2017年ももうすでに10日以上過ぎている。なんということだろう、もうすでに無為な時間を一週間以上も過ぎている。

何をしていたかと言えば、帰省して、下宿に戻ってきてTwitterを再開し、ひたすら寝るだけだった。また大学に行っていない。

 

今日でまたTwitterから少し離れることにして、その分をもう少し読書の時間に費やすことにした。無為な時間を過ごすよりましかもしれない。最近は週に1時間も読書をしていなかった。なのに1日に3時間以上はTwitterに張り付いている。立派な中毒である。結構時間を無駄にしている。

とりあえずタブレットで一冊、紙の本を三冊並行して読んでいて、そろそろ脳みそが整理できなくなってきたので、何かしらを読み切ったほうがいいかもしれない。

 

とりあえず今日読み終わった本について明日気が向いたら書くつもりでいる。今日書かない時点でいろいろお察しだが。

今年

2016年は、僕が初めて20代を迎え、それを過ごした年だった。

しかし今まで生きていた人生の中で、最も密度が薄い年だったと思っている。

 

最初の3か月は暗い月だった。大学には期末考査以外行かなかった。

3月には初めて数物セミナー合宿に参加した。いろいろな出会いがあった。

それから8月まで、また何もなかった。何かをした記憶がない。また大学には行かなった。外出もほとんどしなかった。

8月〜9月ははサマーチャレンジ、生物物理若手の会、数物セミナーの合宿に参加した。ここでもいろんな出会いがあった。

10月、夏休みが明け、僕の価値観を破壊する出来事が何度も起きた月だった。あらゆるショックのせいでまた大学に行かなくなってしまった。メンタルが弱すぎた。

 

もう12月。10月から何かした記憶がない。

 

大きな行事の数はおおけれども、その間を埋めている日々の生活に中身がほとんどない。

 

勉強もしていなかった、外出もしなかった、楽器にも触らなかった、大学のキャンパスからもほとんど出なかった*1。何かに打ち込むことがなかった。

ただ毎日、死んだように12時間以上眠り、起きてから3時間近く天井を眺めスマホを眺め、寮の談話室でぼーっとして、コンビニで簡単な食事を買って、またぼーっとし、眠れない苦しみをひとしきり味わった後、また死んだように眠る。

 

僕はこんな抜け殻みたいな生活を続けて、大学院まで行けるのだろうか。そもそも自力で生きていけるのか。娯楽に使う金もないのに、毎日意味もない生活を送る自分にお金をかけるのがアホらしくなってきた。生きるのに金がかかりすぎる。

 

来年はどうなるのだろう。これからの人生は、今まで積み立ててきたものを少しずつ削っては薄めて消費するような味気ない生活を送りそうな予感がうっすらしている。逃げ場はない。四方を現実に囲まれている。

*1:僕は寮住まいだから家がキャンパスの中にある

大学へ行こう

最近何をしたらいいのかわからない。今まで自分がどんな生活をしていたのか思い出せない。何故か講義に出ようとしても体が動かない。

勉強用の万年筆を握ったのは何ヵ月前なのだろう。大学の講義室へ行ったのはいつが最後なのだろう。

 

自分が無意味にとんでもない何かを消費しているような、そんな不安感が眠りを遠ざけている。何か恐ろしいものが、僕に襲いかかってくるような気がする。気がするだけで、その姿は見えない。

 

きっと今日も、日が登りエネルギー切れになるまで眠ることはできない。

アイドルと世の中

暗い世の中に流行るものの代表として(女性)アイドルのではないだろうか。将来を悲観したとき、誰かを養うとか、そうでなくとも、彼女を作ってお金をかけてあげることができない、もしくはそんなことしたくないと考える人間が多くなるだろう。でもそんな状況で自分に優しく微笑んでくれて、自分にない勇気をくれる、しかもCDを買ったりするだけでその子の応援になる、そんな女性がいるとしたらどうだろう。惚れてしまったり、応援したくなる人間が多く出てきても不思議じゃない気がする。

 

彼女たちはつらいことを乗り越えながら応援によって成功していき、時折奇跡(応援する人間の主観)を起こし、いつか暗い世のたくさんの人間に幸せや笑顔を振りまくアイドルになる、というのがよくあるサクセスストーリーで、それを通して応援する側はそんな大きなものを育てることができたという達成感みたいなものも得られる。

 

また彼女たちはそんなファンの見てくれ、性格がどんなものでも優しく微笑んでくれる。どんな自分でも認めてくれる。それは、自分にお金をかけて魅力的にしなくてもよくなるということにもなるのではないだろうか。そして気に入らなかったら簡単に乗り換えられる。現実で恋人を作るよりもお金も手間もかからずに経済的だし、何より精神的に楽だ。

 

 

何だってこんなことを書き始めたのかというと、僕も結局アイドル沼に片足を突っ込んでしまい、なんでこんなことになってしまったのか、とぼんやり銭湯で考えていたからだ。いつも以上に文章構成も考えてない上に特に深い考察とかはしてないので論理のほつれがあっても殴らないでください。というかそもそも世の中の明るさとの関係あんまり書いてないからタイトル詐欺っぽい。

ときめき

子供の時に感じたときめきというのは、意外に忘れていることが多い。誰しも心の奥底に、そんなときめきが残っているはずだ。そして昨日、それを思い出すような出来事が起きた。

 

中間テストもひと段落し、留年の危機を一時的に回避したので、気晴らしに開発の進んでいないキャンパスの東側を散歩していた。建物も建ってないので、古墳や城の跡などが残っていて、遺構が好きな僕としてはとても楽しめた。一通り楽しんだので、その場所をあとにしようとすると、近くにゴミが捨ててあるのが目についた。よくもまあこんなところに捨てるものだ、と思って近づいて見た瞬間、体中に衝撃が走った。それはエッチなDVDだった。鳥肌が立った。レンタルビデオ屋で見るようなあれとは違う、「草むらに落ちているエッチな本(の類)」を僕は10年ぶりくらいに見た。

 

近所の公園で、友人たちとエッチな本を漁った記憶、そしてそれをみんなで読むときの背徳感と羞恥心と好奇心、あらゆる記憶が蘇ってきた。そんな無垢な時代が僕にもあった。今となっては何だ、パソコンを叩けばありとあらゆるものがたくさん出てくる。僕は文明に甘え、そして子供のころの純粋な気持ちを忘れていた。

 

DVDを捨てた人はきっと、そんな現代の人間たちのあり方に一石を投じるために、法を犯してまで不法投棄をしたのだ。そうに違いない。彼はきっと今も、それを訴えるために、今日もエッチな本の類をいろいろな場所に捨てているのだろう。そんなことに思いを馳せていると、胸が熱くなった。

 

今日からはこの無垢な気持ちを忘れずに生きていこうと心に固く誓った。ありがとうエッチなDVD*1

*1:持って帰ろうと思ったけど中身がなかったので置いて帰った。先客がいたらしい

眼鏡を買った

タイトルの通りだ、眼鏡を買った。だが僕の視力はとてもいい。裸眼で1.0以上ある。高校時代は2.0あったが衰えを感じるので大体それくらいだろう。

 

要は、僕が買ったのは伊達眼鏡である。但し、ただのガラスを入れるのも癪だったので最近流行りのブルーライトなんちゃらというやつを入れた*1

正直どんなものを買ってもよかったのだが、店員さんが結構乗せてくる人だったので、こちらも負けじと30分ほど眼鏡を試着してやり、すべてに感想を言わせ、やっとこさ選んだ。

 

ちなみに眼鏡をかけた姿は20代くらいのサラリーマンぽくなった。なんだこれ。

 

そもそもなぜ眼鏡を買ったのかということだが、外を歩くときに自分を認知してもらわないようにするためである。普段僕の身の回りにいる人間は眼鏡をかけていない僕を見ているはずなので、眼鏡をかけてれば僕だとばれない。

おかげで往来を歩きやすくなった。

 

眼鏡をかけて何かしら変わるかなあとか思ったが特に生活に変わりはなかった。ただ少し、賢くなったような気がする(しない)。

 

 

それはそうとこんな空中リプが飛んできていた

 

 

眼鏡に頼る前に本当に生活を変えたほうがよい気がしてきた。もはやボスはカウンセラーである。

 

 

 

*1:正直根拠がわからないので今のところ水素水と同じような類だと思っている。まあ追加料金はかからなかったし別にいいだろう、UVカットもついているらしいし