昇り降りの日々

学務様が見てる

情熱が冷める時期

僕は自称アイマスPだ。かつてはすデレステべてのイベントを走り最低4桁入賞をし、取れる報酬はなるだけかっさらってきた。
モバマスも重課金とは行かずともそこそこガチャ回して大爆死なんてことをしていた。

担当は一ノ瀬志希宮本フレデリカだ。別にユニット推しというわけではなく、たまたま好きになった二人が仲良しだった。
この二人はよくセットで扱われ、ユニット曲・イベントを渇望されていた。僕もその中の一人だった。
そこまで大きく期待しているわけではなかったが、「まああったらうれしいよなぁ」くらいの気持ちで構えていた。

そしてちょうど一週間前、来るべき時が来た。一ノ瀬志希宮本フレデリカのユニット、『レイジー・レイジー』のユニットイベントの告知だ。
正直焦った。嬉しさもあったが、困惑、焦り、何かしらの理不尽に対する怒り、など、色々あった。
なぜそんな気持ちになったのか。その告知があったのは院試の4日前だった。イベント開始は院試の前日である。
走りたいという気持ちが正直全くわかなかった。よくわからないけどやる気が起きなかった。
そんな気持ちも院試が終わればなくなるのだろう、と思ったけど院試が終わって3日、ゲームを一切開いていない。
ニコニコで新曲のレコメンドが出てきても一切開かない。どんな曲なのか全く知らない、雰囲気さえ知らない。
仮にもオタクを名乗る人間が、この体たらくである。

ここ最近コンテンツを積極的に貪ろうという体力が無い。
モバマスもまともにログインしてない。CDも買ってない、ライブもチケットは取ったけど行く気が全く起きない。
なんとなく、余裕が無いんだろうなぁとは思う。金銭の余裕とか、何かを楽しんでお金を使っている最中に罪悪感が湧く。
もしくは、何か時間を浪費しているのではないかという恐怖に駆られる。 あるいは、ずっと我慢し続けてきたからここでそれを破るのはどうなんだ、と思ってしまう。

足を洗う時期なのだろうか。あらゆるものが面倒になってきた。趣味が楽しいと思えない時はやばい時。

この先何をしていればいいのか

院試の筆記が終わり、一応一段落した。
一応面接が残っているけど、まだ筆記の合否がわからない。多分ダメな気がするけど。

院試に落ちたらどうするのだろう、と考える。
就職をするのか、大学院の冬入試を探すのか、このまま腐ってニートになるのか。
一応僕も社会的な目は気にするのでニートは避ける気がする。
でもそうした場合僕は何を生業にするのだろう。仮に選べるとして何を選ぶんだろう。
文化に関わる仕事、エンジニア、ノマドワーカー。
何でもいいよ、好きなのを選んだら、それをちゃんと叶えてあげる、と言われたら僕は何を選ぶんだろう。

正直に言うと、僕は働く人をずっと見下してきた。
朝の6時に家を出て総武線にすし詰めにされ、夜にくたびれて帰ってきて、更に土日も会社用の携帯でずっと電話をしている、そんな父を見てきた。
そういったものが「ありきたりな生活」であることを知った時、とてつもない衝撃を感じた。
世の「サラリーマン」と呼ばれる人がほとんどみんな同じような生活をしている。僕はそんな「ありきたり」になりたくないと思った。
あるいは、自分が「ありきたりではない」、そんな特別な人間であると信じていた。
大学進学で理学部を選んだのもそれが理由だ。
「自分は変えがいくらでもいるような社会の歯車なんかにはなりたくない」という思いがあったから研究者を目指した。物理へのあこがれはあとからついて来た。
それが今ではどうだろう、崖の一歩手前どころか崖から飛び降りて空中に浮いている。
運良く枝をつかめるか。それとも僕が心の底から嫌いな世界の染みの一部になるか。
仮に枝が掴めたとしても腕が疲れてすぐに手放してしまうかもしれない。

なんでみんなが当たり前のように「働く」ことを受け入れられるのかわからない。
自分の生活がそういった人たちに支えられているのをよく知っている。知っているけど気持ちが全く理解できない。
大半の人たちはそんなことは考えていないかもしれない。
働くのが当たり前、家族がいるから、生きるのにお金が必要だから。
それ以上でもそれ以下でもないのだと思う。

なんて話をすると「それが当たり前なんだ」「黙って働け」「親に申し訳ないと思わないのか」なんて言われる。
僕の思想は怠け者だろうか。
それでも「必要最低限の生活」を人質に取られて弱っていく人たちを見ていて「働きたい」なんて思うのか。
わからん、わからん、何もわからん。

ブログを健全なものにするか悩んでいる

今のブログが健全かどうかという話は別として、今僕は文字を発信する媒体を複数持っている。Twitterの複数のアカウント、このブログ、note、Qiitaなど。
しかしこうもバラバラだと管理がだるいし、どう使い分けたらいいものかわからない。
一応自分の中で『こういう内容はここに書く』という基準があることにはあるが、かなりあいまいである。

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与えられた環境の中で生きる

自分は今特に大きな失敗や挫折をすることなくそれなりのところまで来ている。ただこれは自分で『勝ち取った』ものではなく『与えてもらった』ものなのではないかと思い始めた。

 

例えば、今所属している大学は結構すごいところだと思っている。そこに所属している人達も、当たり前のように接しているがとてつもない戦争の中を勝ち抜いてきた人たちだ。ただ自分はそこに似つかない人間だと感じる。
僕は大学に一般ではなくAO入試で入学した。試験はあるものの、専門にかなり特化した試験なので一般に比べれば求められるレベルは専門外に話を限れば低くなる。僕はたまたま専門が出来たからよかったものの、化学や数学は本当に普通の成績だったので一般で受かってたかどうかはわからない。

例えば、僕は4年で大学を卒業できた。
けれどこれは、僕の所属する学科が他には存在しないかなり特殊な単位認定をしていること、そして研究室のボスの手や友人の手を借りられるだけ借りて成しえたことである。本当に運がよかったと思う。

例えば、僕は大学院に合格できた。英語のスコアが消失したのでそれなりに努力はしたものの、やはりボスの加護が多少あった*1

 

僕が今「大変」だとか「辛い」と感じるのは、自分の能力で勝ち取れるものを勝ち取ったのではなく、与えられた環境の中で生きているからだと思う。自分の能力に見合わない場所に特別に住まわせてもらっている、たぶんこれが正しい認識だと思う。
うまくやっていけるように人並以上の努力はしたつもりではいるものの、追いつけているのかはわからない。

自分自身で勝ち取れるかどうかを試されるときが遅かれ早かれやってくる。それまでに、今いる環境をできるだけ生かして、自分を作り替えなきゃいけない。

*1:裏口入学という意味ではない。一応正当に入学した証拠はある

文化と生産者と僕

文化と僕

我が家には文化がなかった。もしくは僕には文化に触れる機会が与えられていなかった。

部屋には漫画も小説もなかった。少なくとも両親は僕の前で読むことは無かった。

テレビも厳しく制限されていた。21時以降のテレビは見てはいけなかった。教育に悪いという理由でギャグアニメやグロテスク、性的な表現が少しでもあるものは見せてもらえなかった。クレヨンしんちゃんやワンピースでさえも見ていなかった。

映画を見に行く文化もなかった。新しいCDを買うこともなかった。みんなで歌を歌ったり楽器を弾いたりすることも少なかった。

ゲームは1日30分、持ち出し禁止、新しいソフトは買わない。

など、あげればきりがないくらいある*1

 

*1:親の名誉を守るために言っておくが、一応中学生くらいからはテレビが自由に見れるようになった。いかにも教育によさそうなキャンプや科学未来館にはよく連れて行ってもらった。

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帰省してた時の話

バイトが一週間ほど休みになったので、親に現状報告するのも兼ねて南の島へ帰省していた。
こちらに戻って来てわかったことだが、圧倒的に南の島のほうが涼しかった。南の島は風が涼しいので日陰にいればそこまで暑くないが、こちらは吹く風すら熱い。昼間に外に出ようという気が全く起きない。

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