昇り降りの日々

学務様が見てる

晴れた空から雨が降るように

「東京」という言葉が特別な意味を持つようになったのはいつからなのだろう。

少なくとも世間一般では明治の改革によって江戸に天皇がやって来たその時からだろう。

では僕という人間にとっては?

僕の住む家からすぐに行ける場所にあった街、僕が都会の人間であることを保証するための言葉、そのときに僕は「東京」と口にした。

でもそこに特別な響きは無かった。

もちろん今でもこの街が何か特別であるとは思っていない。

 

でも、

一つは、担任が「透明人間」と口にしたあの日。

もう一つは「故郷」を意識したあの日。

少し意味合いが変わったと思う。

 

一つのそれで、僕は今椎名林檎の歌声で世界を埋めつくしながら丸ノ内を歩いている。

もう一つのそれは、遥か西の島にいる彼らを思い出させる。

 

「東京」と口にするとき、その音がたまに特別に頭に響く。

僕は、衝動でこの街に来てしまった。

「透明」になった僕を誰が見つけてくれるだろうか。

何か忘れ物をしてしまったような、理由もなく生き急いでいるような、誰かを追いかけているような、誰かに追いかけられているような、「忙しなさ」という言葉では足りない何かが、僕の心にしがみついている。

 

昼、たくさんの高いビルに囲まれた少し広い公園に桜が咲きはじめていた。

そこにはたくさんの子供たちが走り回っていて、それを父母が見守っている。

灰色の街がパッと明るくなるような、沢山の色彩があって、少しずつ僕の心が暖かく色付いていくのを感じた。

多分これは「幸せ」なんだと思う。

 

夜、たくさんの高いビルに囲まれた僕はすごくちっぽけだった。

友達と別れ、一人で歩く丸ノ内の空は少し明るくて、くすんでいた。

どこまでも伸びていそうなビルの頂点には赤い光が点滅していて、立ち止まってそれを何となく見つめていた。

知っている会社の看板、走っていくタクシーの光とひどい音を立てて走る軽トラックの対比に、この街のアンバランスを感じた。

 

僕は誰かが用意した舞台の上で踊っている、という周知の事実に何度も何度も気づかされている。

僕は、構成要員の一人でしかない。

 

息さえぶつかる程に人と近く、そしてどこよりも人と遠い、きっと僕たちはお互いをわかった振りをして自分のことさえわかっていない。

 

もう一度見上げた空はやっぱりくすんでいて、晴れているように見えて雨雲がかかっているようだった。

傘をさしても濡れる頬の救いようのなさ、僕の心はなにと戦っているのだろう。

将来に対する唯ぼんやりとした不安、なんて気取りすぎな気もする。