昇り降りの日々

学務様が見てる

ドキドキしたい / ザワザワしたい

僕はずっとドキドキ出来るものを探していた。
それはいつか自分の中の見栄と混ざって「ドキドキさせたい」という気持ちに変わっていた。
そしてそのドキドキを完全に表現した何かを作りたいと思っている。
今のところこのブログがその役割をになっている。
 

作る

 飛び立つ光の鳥も、透明な女の子も、シートを作るボタンも、どれも平等に愛さなきゃいけない。
目の前に生まれ落ちたものを、誰が産んだものであろうと、どんな形で生まれたものであろうと、たとえ歩き出すのに時間がかかっても、永遠に手をついたまま歩いたとしても、自分の全身全霊を捧げて独り立ちを支えなければならない。
僕の名前も顔も世には出ないし、それに対する称賛が自分に向けられたものだとは考えてはいけない。
その覚悟と顕示欲のコントロールがまだうまくできない。
 

まだ狂える

僕のメンタルはまだ壊せる。恥じらいの気持ち、誰かを気にする心がある時点で僕はまだ弱い。
B2, 3の時にある部分は徹底的に壊せたと思う。
当時は本気でその場から脱しようとして死ぬ気のもがきをしたからこそ本来とは別構造の強度が出るようになったと思う。
  だけど仕事の部分ではまだ再起不能なほど壊れたことはない。
一度壊すチャンスが修士の時にあったけれど、結局逃げてしまった。
普通の人間はもっと壊れている。
もう二度と立ち上がれないと言われるくらいの心身の激しい不調の先にある過剰な活動と修復の繰り返しを何度も何度も行っている。
僕はまだ弱い、まだ死ねる、まだ狂える、まだ苦しめる、もっと壊れないといけない、だけど痛いのは嫌だ。
苦しみを喜ぶ心を持ってはいるけど、それよりも上位のレイヤに「人が怖い」という恐怖が過剰反応するところがある。
もっといろんなものに鈍感になれたら、もっとディープな自傷もできるのになぁ、なんて考えている。

 

地下鉄を抜けると雨が降っていた。   どうせしばらく雨は降らないとたかを括っていたせいで、折り畳み傘は持ち歩いていなかった。   ホームを降りて中央出口から外を見ると、さっきよりもひどい土砂降りだった。
待っていてもしょうがないので、カバンを抱えて駅前の道を全力で走ったけどその20秒後には体力が続かなくて立ち止まってしまった。
あっという間に頭から下着まで一瞬でビシャビシャになって、だけどすごく楽しいという気持ちが不意に湧いた。
ゆっくり歩いて、遠回りして、誰もいない、誰も見ていないという喜びの中で精一杯にその時に感じた感情を噛み締めた。
苦悩に涙を流して雨空を見上げる歌は数あれど、それを喜べる大人の歌は中々ない。
自分の中で成長しきれずに残った部分が雄叫びを上げて暴れ回る。
たまにはそれを放し飼いにしてあげた方がいいのかもしれない。

その他

ここに書いた文字は消した。
過激な内容は自分用の非公開スペースで記録することにした。
よくよく考えたら、日記を全世界に後悔することなんてないし、ましてや自分の傷を抉っているところを見て欲しいわけでもない。
布団の中の自慰も自傷も、誰かに見られることはないまま終わる。 でもそれが正しいあり方だし、自分もそうあらなければいけないと思っている。 それともそういうものでさえも曝け出す覚悟があった方がいいんだろうか。
必要以上に酔いそうだから、しばらくは自分が向き合うだけでいい。

自分は醜くなって、年老いて、着実に一歩ずつ理想の世界から遠退いて、世界が求めているものからも離れていく。
怖いね。
自分の望みと世界の望みが重なる時は来るのだろうか。
自分を広くして行くしかない。
世界の声はまだ聞こえない。
今日は酔いすぎた。

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