昇り降りの日々

学務様が見てる

将来を真面目に考える

たまに今のラボしんどいな、と思うことがある。自分の能力がない、というのも一因だとは思うが、ちょっと研究室の方針が自分にあっていないような気もする*1。これに関してはいずれ書くかもしれないし、書かないかもしれない。

分野としては合っているのだが、なんか空気が合わないなと思うときがある。

というわけで色々あったときのために進路を考えてみた。研究職に固執しないようにしたい。

 

1, 今のラボで博士まで行く

今の意志薄弱の状態だとこれが一番濃厚である。

ただ、僕が5年間のうちで壊れないという保証がある時だけこの選択肢を選ぶようにしたいと思っている(理想)。そしてこれを選んだら「ここは絶対譲らない、というものを明確にする」「辛くなったときの逃避先を持っておく」というこの二点をしっかり押さえておきたい。

 

2, 博士でラボを変える

辛くなったときに持っておきたい選択肢。いつか逃げてやる、と思うだけでも楽になりそう。どうやら同じ大学内の理工学部で同じような研究をしてるラボがあるらしい。来年オープンキャンパスに行こうと思う。学府変えるときって入学料どうなるのかな。どこらへんも調べておきたい。

あとは他の大学の研究室の情報も持っておきたい。うちの研究室の雰囲気は、研究者を目指すに当たって普通なのか、それとも異常なのか、それがわかってない限りはこの選択肢の意味はないと思う。研究者を目指す人たちに聞いていきたい。研究室変えるなら友達がいるところがいいな。来年夏の学校とか参加して友達を増やそう。

 

3, 博士で留学する

奨学金必須である。あと英語力。正直今の英語力じゃ無理だけど、理想ではある。ドイツに行きたい。

正直これはただの願望である。誰か一緒に英語を勉強してくれ。

 

4, 就職

あり得るとしたらMの途中に中退、もしくはD進のタイミングで就職、である。

一般企業だけでなく、KEKの技術職員や、企業の研究職、テクニカルスタッフなどもある。

あとは資格とか取っておくべきだろうか。よく知らないので電検とか簿記くらいしか思いつかない。

とりあえず来年からの就活イベントには顔を出しておこうかなぁと思う。JRECとかにも情報はありそう。KEKの見学会とかそういうのも見ておこう。あとから研修制度使って博士取らせてくれるとこがあったらいいなぁ。

 

 

どの道を選ぶにしろ、今のところかなり困難が多い。たくさんの人と話をして、今自分が置かれている状況が異常なのか普通なのかを見極めて、キャリア選択についてもできる限りいろんな視点からの意見を聞いて行きたい。期限は長くて二年だ。やっていきましょう。

 

*1:人間性や趣味、家族と過ごす時間など全てを研究に捧げてこそすばらしい、みたいな雰囲気がある。

2017

21歳を過ごした2017年を振り返ります。

ちなみに20歳を過ごした2016年は僕が生まれてきた中で最低の1年だったようです。

ladder-frck.hatenablog.com

 

 

1月

結婚式場でアルバイトを始めた。時給が(僕の住んでいる地域では)ドチャクソ高かったのが主な理由だ。去年の11月にシンデレラガールズが全国ツアーをすることを知っていたので、その頃から職探しをし、働き始めるに至った。正直初っ端からめちゃくちゃしんどかった。バイトについての記事はまたいずれ書こう。この頃はまだ欝気味だった。去年よりましだけど。

 

2月

ブログを見るとどうやら精神が回復した月だったっぽい。テストをすべてサボり治験やバイトに勤しみ、数物セミナーに向けて勉強してたら立ち直ったらしい。やはり枷をなくすこと、そして一緒に頑張れる仲のいい友達は大事なんだなぁと思った。

 

3月

数物に参加した。青春18切符で広島まで行って一泊し、その後岡山へサマチャレで知り合った友達と向かった。あと初めて四国に上陸した。うどん美味しかった。それ以外何したか覚えていない。下関と門司に行ったようなきがする…?

 

ちなみにここまでの記録は昔の僕がしていた。

ladder-frck.hatenablog.com

これを見る限り、3月は元気だったみたいだ。

ここからライブの話が多くなるが、詳しいことは別の記事で書くことにする。

 

4月

研究室配属された。あまり記憶がないが比較的健康だったのだと思う。平日もバイトをしていた記憶がある。あとゆらぎの定理の勉強を必死にやってた。

 

5月

院試対策を始めたい気持ちだけあって特に何もしていなかった。待ちに待ったシンデレラガールズのツアーが始まり、宮城公演を福岡のLVで、石川は唐突に取れたチケットで現地参加した。観光とかもしたのでありえんくらい楽しかった。それ以外の日はバイトをしていた気がする。ココらへんでもう辞める覚悟をしていた(早い)。

 

6月

大阪と静岡でライブがあって、どっちも現地参加した。友達がいっぱい増えて楽しかった。大阪も初めて観光して、有名なところいっぱい行った。静岡も初めて上陸して、バイクを借りて色んな場所に行った。YAMAHAの本社も行った、すっげー楽しかった。バイトはやめた。授業は全部サボっていた。

 

7月

現地参加は福岡公演だけだった。前から4番目の席で死ぬほど興奮した。

 小倉駅の花火を見ながら、家に帰りながら、友人と二人でいろんなことを喋った。気がする。内容は何も覚えてないけど、あの時間が何よりも尊かった。価値観が合う友達ってすごく大事なんだなって思った。サマチャレ最高。

ところで院試の手続きをしたら、諸々の理由により英語が0点になった。めっちゃ焦った。でも院試対策はしてなかった。授業は全部サボっていた。

 

8月

待ちに待ったツアーファイナルである。これが終わったら僕は深い虚無に襲われるのではないか、という恐怖があったが、それを上回る物があったので心配は無用のものとなった。久しぶりに友人たちと会い、ご飯食べて花火して最高の時間を過ごした。あの時間が何よりも尊かった。価値観が合う友達ってすごく大事なんだなって思った。サマチャレ最高。やっと院試対策を始めた。正直他の人と500点差あるのに受かるわけない、とか思ってた。でもシンデレラガールズのせいで院試に落ちたと思われてくなかったので、必死で勉強した。眠いときは外を歩き、日差しの中座り込んで本を読み、わからなくても写経しながら手を動かし、要点をまとめたノートは目につくところに貼った。

が、大して伸びなかった。1ヶ月で伸びたらいいけどね、現実は甘くなかった。

院試が終わった後家で絶叫4th上映会をした。

 

9月

院試に受かってた。現実は僕には甘かった。

浮かれたまま高校時代の友人とバイクで九州を一周した。金はめちゃくちゃ飛んだがめっちゃ楽しかった。やっぱ旅をすると僕の心は回復するらしい。あと友人と会うこと。4日でメーターが1200kmくらい回った。

 

10月

何したっけ、記憶にない。心身はある程度健康だった。

卒業単位が圧倒的に足りなかったので必死に単位を取る計画をした。

 

11月

何してたっけ、記憶にない。心は健康だったけど身は結構ボロボロだった。

 

12月

今。顕微鏡を作っています。

 

こう見るとほとんどアイマスか院試か、しかないんだなぁという感じ。

個人的には遠方の友人らに会う機会が多かったのでその点で非常に満足している。マジで精神回復する。

来年はどうなるだろう。M1になる(予定)ので精神が死ぬ気がする、と予言しておくけど、どうかなぁ

理性と集団と自意識とそれは人間性

ある所属組織にて飲み会があったのだが、その組織がやっていること、求めている景色について毎度のこと議論が交わされる。

正直、語られるそれは僕の価値観に全然合わない。なんで休日の過ごし方まで指定されなきゃならんのだ、なにも考えずにだらだらしてますって言ったら絶対に攻めてくるだろ、何かやってる方が偉いってか。ギリギリ攻めて何が悪い、必要最小限の努力で必要な分の成果が得られればそれでいい。やつらの言葉には思い切り生存バイアスがかかってる。

危うく納得させられそうになりそうになったが、アナロジーになってない議論ばっかりだ。

できないことの多い人間を的にして、集団としての意識を高めていることに気づいてしまったので、かなりしんどい気持ちになっている。なんだこいつら。こいつらの言う社会性ってなんだ。家族観ってなんだ。

僕はそれが正しいなんて信じない、僕の信じる理性があるし、きっとそれは僕の心を守ると信じている。

死にたいけど生きなきゃならない、そんな気持ちで生きている僕に、彼らの考えは全く合わなかった、ってだけだと思ってるので彼らにそれを押し付けるつもりはないし、それが間違ってると言うつもりもないけど、代わりに僕にも押し付けないでほしい。

 

まとめると

僕だけは、何があってもこの自分が正しいと信じる理性を持ち続けたいと誓った日だった。

自分用のメモ。

生産されない心、消費される身

生産者になりたい、さもなくば概念になりたい。めっちゃ概念になりたい。やっぱり堺雅人になりたい。

透明人間として生きることには耐えられなくて、でも何者かになるために積む修業は自尊心をもりもり削られる。今日もラボミーティングで軽くけんかを買ってしまった。もう駄目だ、イキってしまった。うーんしんどい。

 

結局うまく騙し騙しで生きてきたつけが回ってきてる。

てかさ、純粋無垢に将来も考えずに生きてきた高校生までの日々がつけに回ってくるってヤバくないですか、何、みんなそんな先のことまで見据えて生きてたの、そのための人間性社会性だったのか。君らすごいな。

僕の方が色々考えてると思ってた、けど僕は行きたい方向一本しか見えていないので結局こだわらずに一歩でも前に進んでる人間のほうが強くて、みんな続々と就職を決め、きらきらとした写真をインスタに上げている。インスタ映えする人生、僕も欲しい。

 

こだわりを持たないってのはどうやら何も考えずに成功するには一番手っ取り早いらしい。その分リターンは少ないかもしれないけど。

能力のない人間が、何か一つのことにあこがれてしまったために、中途半端にほかの道に進むこともできず、かといってやめる勇気もわかず、その場で足踏みをしている。

 

はぁぁぁあぁ僕も努力を美化できる人間になりたかった。何かしたら偉いねってほめてくれる人が欲しかった。結局これも怠惰の裏返しで、存在しているだけで優位でありたいという気持ちの表れなのかもしれない。でもいいじゃん、概念になりたいって人が今日も呼吸して首括らずに生きてるんだし。人の形保つだけでも大変なんですよ僕。もっと褒めてくれていい。

 

結局僕は何をすれば満足するんだろう?お金がいっぱいあったら今持ってる目標は全部捨ててのうのうと生きるだろうか。某省の総合職国家公務員として働ける権利があったら飛び込むだろうか。もういっそ誰か思い切りキラキラできる人に人生をあげてしまいたい。その人が思い切り輝く瞬間を見届けて、一人でひっそりとその瞬間をかみしめながら、穏やかな気持ちで首をくくりたい。妄想ダイナマイト。

 

なんとなく、修士に入ったら休学しそうな予感もしているが、もしかしたらそんな度胸もないかもしれない。

 

以上今日の怪文書。

何者でもなくなる、ということ

僕がなぜそこまで就職を拒むのか、その理由は「何者でもない者」になるのではないか、という不安があるからだ。

この考えは中学生のときから持っていて、自分は自分にしかできないことをして生きるのだ、普通の会社員は透明人間なんだと思っていた。なぜそう思うようになったのかわからない。普通の会社員であった父の姿を見ていたからなのか、それとも尊大な自尊心を飼い慣らせなかったか。多分後者だと思うけど。

なんであれ、自分の中の思想として仕事はその人の人生をもっとも特徴付けるものだと信じている節がある。

じゃあ今の状態はどうなんだって話だけど。

  

続きを書くのがだるくなってきた。

僕は今東京事変の透明人間を聴きながらこの記事を書いている。歌は自分の都合いいように解釈して聴いたほうが気持ちがいい。

化けの皮はつまらない嘘でできている

化けの皮が剥がれるときの痛みというものは、他に比べようのないものだ。生身の自分の弱さや醜さを自覚しているがため、それを世に晒さないためにまとったその衣を無慈悲に剥がされるのである。

 自分の弱さというものを自覚しているのであればそれを変えればいいのだが、自覚していても治らないものがいくつもあるのだ。治らないなら隠すしかない。

世の中には偉大な人がいて、どんなものでも直せるし改善できる人がいるそうだ。彼いわく僕は甘えているらしい。あなたの怠惰ですか、ハイそうです。という決まりきった会話を投げあっている。常に走り続けられる人間がいるものか。それは怠惰なのか。

結局それを形だけ取り繕うしかなくて、剥がれたところに嘘を少しずつ重ねて自分の身を守っている。でも”本物”にはわかるのだ、それが偽物であることが。偽物は本物がいる村から離れて、さも自分のそれが本物であるかのように振る舞い、自分のための王国を作ることを諦めないのだ。きっとこの王国の未来は長くない。

負け惜しみならば

何がしんどいのかわかんなくてしんどい、という気持ちになる季節がやってこようとしている。

毎日毎日僕は負け惜しみを吐いては環境のせいにしてぐうたらに三連休を浪費した。

院試の面接のときに言われた「言い訳ばかりだね。」という言葉が脳裏から剥がれない。

一昨日先輩に言われた「君は周りのせいにしがちだよね」という言葉が刺さったままだ。

それでも僕は今の環境が憎い。

恵まれている?比のとり方を変えればいくらでも変わる。理学を学んだことがないのか。

それでも僕は悪くない。僕は頑張っている。僕は辛いことが嫌だ。僕は悪くない。

みんな嫌いだ。でも僕は嫌いな人にも満面の笑みで受け答えをする。僕たちは仲良しだ。僕はいい子だ。

なんで僕が正常になるための矯正を受けなきゃいけないんだ、おかしいのはお前らだ。

またコートを着て、マフラーを巻き、度の入っていないメガネをかけて、大学とは反対の道を歩いている。このまま冷たい海に落ちたら、なんて考えるけど、きっと寒くて耐えられない。