昇り降りの日々

学務様が見てる

柚子の花のような

”汚れちまった悲しみに、なすところもなく日は暮れる”
そんなことを言った人がいるらしい。
なすところもなく日も暮れたあとのこの時間、虚無をするのが嫌で本を読んだり、ゼミの予習をしてみたりする。
それでもやっぱり悲しみ、あるいは虚しさが消えなくて、ぼんやりとした不安が僕の心を更に暗くする。

続きを読む

亡霊

あなたは幽霊を見たことがあるだろうか。
僕は、ある。一人だけ。

僕はずっとその存在を信じていなかった。
ただ周りの人間や世の中にあふれる書籍はみんなその存在を肯定していて、僕の知らないところで闊歩しているようだった。
必死で探してみた。でも結局、義務教育を終えてもその姿を目にすることはなかった。

続きを読む

黒、透明

「色が失われていく」、という表現がある。
この世に絶望したとき、何かへの関心を急速に失っていくとき、そんな時あなたの心には暗い雲が立ち込め、視界からは色が失われていく。
鮮やかに色づいていたあなたの世界は暗くよどみ、まるで真っ黒の世界に閉じ込められたかのような……え、黒なの?

黒ってあらゆる色が混ざってできた色なはずだ。
もしあなたの視界に真っ黒な世界が映っているのなら、それはきっといろんなものに巻き込まれてごちゃ混ぜになってしまっているのかもしれない。
色が失われる、というよりも色が混ざるという言葉のほうが正しいのかもしれない。

あるいは、世界が白黒であったとしてもそれはそれで乙なものである。
あらゆる無駄を排し必要な起伏だけを切り取った景色は、きっとあなたにとって大事なものが何かを教えてくれる。

そんな君はどうなの、という話だが僕の世界は透明である。そして僕自身もまた透明である。
まだ誰からも関心を向けられず、また僕からも関心を向けることはない、色が失われた状態の最上級。
この世の誰の瞳にも映らない透明人間だ。
でももし、あなたの”色のない世界”に僕の姿が見えるなら、今の僕の顔をきっと覚えていてほしい。

「”透明人間”という曲があるのを知ってる?」、そう言ったあなたの顔が思い出せない。
あのときのあなたもまた、色を失った透明人間だったのだろうか。

短編集

初めてバーとやらに行った

引っ越しも近いので先輩に「旨い酒を飲ませろ」と丁寧なお願いをしたらバーに連れて行って貰った。
開店の時間から閉店の時間まで6時間ほど美味しい酒を飲み、先輩と友人と喋りまくった。
もう少し早く知れていれば通ったのになぁ、と思ったけどこればっかりはしょうがない。
関東に引っ越した暁にはいろんな店を開拓して、いろんな酒を飲んでみたい。
今回はウイスキーに挑戦したのだが、かなり美味しかった。シングルモルト、という種類が好きらしい。

後ろを振り返ってばかりのお前の人生

最近自分の生まれ故郷を巡ったり、過去の友人を訪ねたり、幼いころの記憶にある場所を巡ったりしている。
片付けをしながら中学校や高校の頃の写真を眺めたり、昔の自分が書いた文を読んだりもしている。
時期が時期だからということもあるが、どうしても後ろを振り返り過ぎな気がする。
なんでこんなことばっかりしているのだろう、と思ったけど、多分今積み重ねる思い出が無いから過去のきれいな記憶にすがってしまっているのだと思う。

…ということをすでに過去の僕が書いていた。

ladder-frck.hatenablog.com

引っ越しまであと4日。

百道浜と室見川が見える丘

僕は出身を聞かれたときはいつも「沖縄」と答えるようにしている。
ウケが良いというのもあるし、自分の血のルーツが沖縄だというのもある。
ただ本当に心のそこから沖縄を『故郷』として慕っているかと聞かれればおそらく「ノー」である。
親が転勤族だったのもあり、どこか特定の土地を故郷と思ったことはないが、土地への愛着だけで言えば福岡が一番好きな気がする。

幼少期

物心ついたとき、僕は福岡にいた。セミのたくさんいる神社、ボロい滑り台、少し遠いところにある幼稚園、ダイエーの前にあった大きなスクランブル交差点。
ピアノ教室の傍にあったミスドや、向かいにあった蜂楽饅頭のお店は頑張ったときにご褒美に買ってもらえる贅沢品だった。 福岡という街は僕にとって住んでいる世界そのもので、ここ以外にどんな街があるかなんて考えたこともなかった。

自宅や幼稚園以外で一番最初にある記憶は愛宕神社に行った記憶だ。
幼稚園の遠足で行くはずだった愛宕神社は風邪にかかっていけなくなり、恐ろしいほどに泣きわめいた(らしい、それは覚えてない)。
両親は僕のわがままを叶えてくれて、休みの日に弟も一緒に愛宕神社に連れて行ってくれた。
その時の写真がまだ残っていて、そこに映る風景は今と何一つ変わっていない。

通っていた小学校のすぐ隣には室見川が流れていて、飛んでいる鳥に餌をあげたりその側をよく走り回った。
本当は川に浸かって遊んでみたかったけど、一度それをやろうとして親にこっぴどく叱られたので二度とやることはなかった。
小学校から少し上流に行ったところ*1は桜が綺麗で、そこでお花見をしたりした。
今でも辛くなったときは夕方の室見駅から、福岡タワーを背にして散歩したりする。
室見川の側にあった友達が住んでいたマンションは今でも残っていている。部屋番号は覚えていない。

百道浜の記憶はそこまで多くはないけど、ホークスの試合を見たいとごねた僕を両親が福岡ドームまで連れて行ってくれたことは覚えている。
自転車でドームに行ったものの試合が終わる前に眠くなってしまい、結局最後まで見ずに帰った。
ドームに試合を見に行ったのはそれっきりだ。

僕の幼少期はほとんど福岡の中にあって、今でもそれをよく覚えている。

大学期

高校時代沖縄にいた僕は、『九州大学』という大学が福岡にあるらしい、そこそこのレベルで頑張れば受からないこともないらしい、ということを知った。
親のすすめで大学を見学した帰り、なんとなく懐かしくなったので住んでいたアパートを訪ねた。
セミがたくさん鳴いていた神社は変わらずそこにあり、アパートの中のボロいすべり台はまだ残っていた。
その足で愛宕神社にも行った。引いたおみくじは大吉で、なんとなく「僕はこの土地に帰ってくる」という予感がした。

受験を終えて沖縄に帰るときも制服に革靴のまま愛宕神社まで登り*2、またそこから百道浜室見川を眺めた。
そこで引いたおみくじはまたも大吉で、「僕はこの土地に帰ってくる」という予感を通り越し、確信に変わった。

愛宕の神の加護があったのかどうかは定かではないが、僕は大学に受かり、再び福岡での暮らしを始めた。
大学はど田舎にあったものの、バイクで30分走れば愛宕神社に行けるし、電車一本で室見川まで行けた。
僕の心を支えたのは幼少時代の記憶にあった場所で、今でも辛くなったときは愛宕神社に行っておみくじを引く。
大吉連続記録は大学二年生のときに途切れ、それから大吉は出ていない。
この大学時代も含めると、僕が一番長く住んだ土地は福岡になった。

これから

僕は再びこの土地を去ろうとしている。
今日、百道浜室見川が見える街の風景を覚えておくために愛宕神社に向かった。
引いたおみくじは中吉で、あの頃みたいに大吉を引かせて背中を押すわけでもなく、ちょっと中途半端な餞別に少しだけ笑ってしまった。
これは神様の『去るもの追わず』のメッセージなのか、旅立つ僕へ伸びしろがあることを伝えてくれたものなのか、なんて都合のいい解釈をした。
いつもは結んで帰るおみくじを財布にしまって、この文を書いている。

百道浜室見川がある、思い出の詰まったこの街が好きだ。
僕にキスをしてくれる”君”はいないけど、僕を好きでいてくれる人たちがこの街にはいる。

なんとなく、またこの街に帰ってくるような予感がしている。そしてこういった僕の予感は大抵当たる。
もしかしたらすぐ帰ってくるかもしれないし、10年、20年、もしくは骨になったあとかもしれない。
その時、この街は今と変わらずにあるだろうか。もしくは、形を変えても僕を受け入れてくれるだろうか。
いつか帰ってくる日を楽しみにして、今日はさようなら。

*1:記憶が定かではない

*2:愛宕神社は山の上にある

NOと断定できない事象とそれに伴う苦しみ

生きていると「こんなこと起こりっこないけど、でも可能性はゼロじゃない」という事案にぶつかることがある。それが危険回避の文脈で使われるのなら健全だと思う。
けれど「こんなことが起きて欲しいけど起こる確率はほぼゼロに近い、でもゼロじゃない」という場合はどうだろうか。
例えば芸能人に恋をしたとして、きっとその人とお付き合い出来る可能性はほぼゼロだろう。何なら一生のうち会う可能性ですらゼロに近いだろう。
しかしゼロではないのだ。

人間は「こうなってほしい」と強く望むとき、どれだけ実現確率が低くてもそこに少しでも望みがあればそこに賭けてしまう。
大抵はその実現確率を少しでも上げるために必死で努力をするので、何かしら得られるものはあるが、そこに伴う苦しみは半端なものではないと思う。

何が書きたいのかわからなくなってきた。
要は僕は「まだ物理でやっていけるのではないか」と思ってしまっている。
まるで愛想をつかされる直前のカップルが必死で相手のいいところを探して褒めたり、旅行に誘うような滑稽さがある。
もう釣り合わないことには気づいていて、それでもいざ別れるとなるとどうしようもなく惜しいのだ。

僕が初めて真面目に抱いた夢だった。少しずつそのステップを踏み、勉強もして、僕はきっとそれをつかむんだと思っていた。
往生際が悪い。僕には向いていなかった。それを明日の結果で客観的に突きつけられる。もうやることはやったけど、これがラストチャンスだ。
願わくば彼女と、最後の思い出を作ってからお別れをしたいと思っている。女々しすぎる。

なんかしらんけど意識が高い

なんかしらんけど意識が高い。というか焦っている。 おそらくこのまま社会に放り出されるだろうという恐怖がそうさせているのだと思う。
息抜きのゲームでさえ集中できない。

焦って色んな物に手を出して中途半端になっている。
プログラム、物理の復習、など。

とりあえず今日はお散歩をした。9kmくらい歩いてた。トライアスロンのランと同じくらいの距離、と書くと短く感じる。

新しいブログを作った

健全なブログを作った。
メインブログ設定もそちらに移したので、よっぽどじゃない限りこっちのブログには来ないと思う。
このブログは今noteに書いているような日々の感情を各場所にしようと思っている。

何をすべきか

を書こうと思ったけど明日の筆記試験の結果発表次第、余命宣告。
今日は支離滅裂だけどこれでおしまい。