昇り降りの日々

学務様が見てる

アタシ、再生産

別にレヴュースタァライトの話はしない。
ところで僕は大場ななちゃんが好きです。高身長も可愛い。

同じ場所を回り続けている

自分が空っぽであることに何度も気づいている、けどそれだけだ。
空っぽなのに、痛覚だけは人よりも強くあって、誰かに傷つけられないように借り物の何かでそれを埋めている。
借り物なはずなのに、いつの間にかそれになったつもりでいて、でもそれは自分のものじゃないから実行する方法もわからない。

人と関わるのが怖すぎる。
何にも嫌われたくない。
だから何かになりたい。

僕を強く動機付けするものを与えてくれるものを求めている。
自分の中に駆動力がないから。
唯一あるとすれば、恐ろしく肥大化してねじ曲がった自己承認だ。

自分の中以外では存在しない「架空の感情」が「架空の敵」を攻撃し続けている。
自分の中からスルスルと言葉が出てくれば素晴らしいのに。

誰かの詩からしか言葉を紡げない。

僕は君になりたい。本物になりたい。
けどそれは、僕という人間が消えることを意味しているよなぁ、とも思う。  

結局、僕という人間を破壊して再生産するために、僕は僕を殴り続けるしかないのだ。
メンタルを殴り続けて破壊をしているだけで、創造はしていないから再生産にはならないけど。

生産、しよう。

調子がいい日と悪い日と

大学の授業には出れませんでした。ごめんなさい。

でも大学までは行った、偉い。

とりあえず図書館に引き込もってC++の勉強して(全く集中できてなかったけど)、アキバに行って学部の頃の先輩たちと飲みに行った。

 

プランナーやってるのすごいね、って言われてちょっと嬉しくなったし、誇りを持てたので多分僕は他人に誉められることがしたいんだなぁ、と思った。

僕は、「育てる」覚悟を持たなきゃいけないんだな、とふと気づいた。

君になれたら、そんなことを毎日考える。

君が笑うように、僕も笑いたい。

君が曝すように、僕も曝したい。

君が学ぶように、僕も学びたい。

君が愛を振り撒くように、僕も愛を振り撒きたい。

でも、

君が自分を嫌うように、僕は自分を嫌うけど、君が君を嫌うように、僕は君を嫌わない。

その時だけは、君じゃなくてよかったなぁ、と思うんだ。

 

たまには空を見上げて

今日は普通の日記です。

 

2限をサボった

いや、早すぎる。

まあ先週の時点でも何個かサボったりしてたけど。

出席直前でレポート提出があることを思い出して、更にそれをやってないことを思い出して踵を返して図書館で時間を潰した。

図書館ではメールの整理をしたり、本を読んだりした。

読んでたのはこの本。

 

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

 

 

別に小説の書き方がわかるようになるわけではなくて、そういうタイトルの小説だ(と僕は思っている)。

ちょうどレッスン5(半分くらい)まで読み進めたところに「いつもと違う景色をみてみよう(うろ覚え)」的な文章があって、それがものすごく印象に残った。

そこで出てきた「いつもと違う景色」は「床に寝そべる行為」だった。

 

4限もサボった

いやいやいやいや、まてまてまてまて。

よくない、本当によくない。

一応3限は出たけど、105分も座ってられなくて話を全く覚えていない。

長ければいいってものじゃなくないですか???

まあここで文句言ってもしゃーないのだけれど。

別になにかしたかったわけでもなくて、適当に三四郎池を一周してみたり、図書館の前の噴水の飛沫を浴びてみたりした。

なんかしっくり来なかったので、つぎは広場のベンチの上で寝そべってみた。

これだ。

めっちゃしっくりきた。

ぼーっと空を見上げて、雲がないなぁとか、飛行機が結構高いところに飛んでるなぁとか、木の枝ってこんな感じで生えてるのかあ、とか、よくわかんないことを色々考えた気がする。

そのまま本を読んでみて、腕が疲れたら目を瞑ってみて、また目を開いてみたら世界が白っぽく見えて、何となくそれが面白かった。

気配を感じで横をみたら鳩が少しずつ近づいてきてたけど、突然強風が吹いて風下に流されていった。耐久力あんまりないんだな。

そんなことをしてたら30分以上過ぎていたので、また図書館に引き込もって本を読んだり、自己満足小説を書いたり、「楽しいなぁー」と思えることだけやってたら予約していたジムの講習会の時間が過ぎていたので帰途についている。

もうすぐ晩御飯。

食べ終わったらお風呂に入って、小説の続きを書いて、ピアノを弾いて寝ます。

一分の余白

「東京タワーに行きたい」

なぜかそう思った。大学で5限の授業を受けていた。でも、東京タワーに行きたい。行きたい。行きたい、行きたい、行きたい!僕は耐えられなくなった。目の前にある過去の学問よりも、その衝動に身を委ねた。

用事を思い出した振りをして席を立つ。教室中から浴びる注目は、もうどうでもよかった。

幸い、大学の最寄りから赤羽橋(東京タワーの最寄り駅)までは乗り換えなしで行けるようだった。

 

10年ぶりにくる東京タワーはどこか懐かしくて、少し背が縮んだように見えた。

きっと僕が成長したことと、スカイツリーを一度見てしまったことが原因だと思う。

それでも、暗い空を背景に淡く光る東京タワーはどこか妖艶な雰囲気を纏っていた。

東京タワーに向かって登る坂で、何枚か写真を撮る。

幸いにも人はいなくて、その風景を僕だけで独り占めできた。

また近づいて下から覗き込んだり、ぐるっと回り込んでみたり、どこから見てもうっとりするくらいに綺麗に見えた。

道をたどって裏の方から回り込んでみた。

少し桜が咲いていて、その花弁越しに光る東京タワーがとても綺麗で、少し近づいた。

交差点に差し掛かると、人の話し声が聞こえた。

そこには、いかにも幸せそうなカップルが、桜越しの東京タワーを嬉しそうに撮っていた。

そのとき、僕の心はなんだか怖いような、絶望のような、真っ黒な色に変わった。

踏みしめていたはずの地面が突然抜けて、心の中に何も見えなくなった。

 

何だかまた、借り物の感情を抱えている感じがして、またイヤホンで耳をふさいだ。

たった二分の間に鋭く立つ衝動を歌ったこの曲は、僕がそれを欲するのをわかっていたかのように、ほしかった感情を余すことなく与えてくれた。

そしてその後の余白の一分間、脳内でその命を燃やして躍り続ける人間が見えた。

それは僕ではなくて、みたこともない女だった。

脳内でさえ、僕は主役ではなかった。

外界から流れ込んできた感情を借りているから仕方の無いことかもしれないけど、それでも、もうどこにも逃げ場が無い気がして、その場を駆け出してしまった。

余白の一分間はまだ続いている。大通りに出て、それでもまだ走った。

走って、走って、目の前に突然信号が見えて、それと同時に余白はベースの音と共に終わった。

 

息が荒い。冷たい空気に曝され続けた指先が、体温との差でじんじんとしている。

もう季節は春なのに、四月なのに息が白い。

春の息が白いのは、気温のせいなのだろうか、それとも僕の体温のせいなのだろうか。

後者だといいなぁ、とふと思った。

僕の体の熱が、目に見える形となって口から溢れてくる。

その事実が気持ちよかった。

何かに勝てた気がして、そのまますぐ側の芝生に倒れ込んだ。

さっきまで降っていた雨で地面は緩んでいて、当然のようにコートが汚れた。

激しく上下する胸が白い息を僕の体から外に向かって押し出している。

その少し曇った空気越しに、オレンジの光が見えた。

 

アスファルトを泳ぐ魚

1

逃げ場がない、はっきりとそう感じた。

右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見ても、なんなら上を見たって何かが僕の道を塞いでいる。 

 どこまでいっても道があって、人がいて、空には何も写ってなくて、人はレールに沿って進むだけ。

どこまでも行けるというのは本当かもしれないけれど、誰かが作った道の上を歩くなら、その先には必ず他の誰かがいる。

 

2

ある場所のやり取りで少し嫌な思いをした。

本当に大したことはない、些細なやり取りだ。

でも僕の心はとても弱くて、その「大したことはない」やり取りで心をやられてしまった。

きっと僕は間違ってない、と思う。

けれど、この小さなダメージが、死ぬまで僕に付きまとうとしたら、ゾッとして、考えるのをやめてしまった。

 

 

3

なんとなく、家に帰りたくなかった。

いつもとは違って、渋谷駅から改札の外へ出てみた。

人、人、人、人、全てが自分の意思を持って歩く人。

少し怖くなって、なんだか胃の下が痛くなって、目についた店に入って普段では食べられない量のご飯を食べた。

それでも足りなくて、コーヒーを流し込んだり、ポカリを流し込んでみたり、動くのが苦しくなるまで入れた。

それでもダメだったので、喫茶店で少し休憩して、代々木公園まで歩いた。

流れる人に逆らって歩く細い歩道は、なんとなく僕だけが行き先を間違えているようで気持ち悪かった。と同時によくわからない優越感もあった。

 

代々木公園では、男女が愛を深め、集団が親睦を深め、それに託つけた人々の叫びが響いていた。

なんとなく桜を見る気がしなくて、下を向いて歩いていた。

でも自分は、この咲き誇った桜に吸い寄せられてやってきた人間のうちの一人であることに気づいて、また悲しい気持ちになってしまった。

何かに囃し立てられ、イナゴのように群がり、路傍の花にも目もくれずそれに食らいつく、自分は特別だと思っていても結局は有象無象の一人でしかない。

 

4

帰りの坂を登る途中、きっと子供が折ったであろう折り紙の魚が道の上で干からびていた。

なんとなくいたたまれなくなって拾おうとしたけれど、拾った後でどうするんだ、近くにそれを置く場所もない、持ち帰るわけにもいかない。

その場で10秒ほど立ち尽くして、結局触らずに帰ってきてしまった。

 

そういえば、アスファルトは時間スケールを適当に取れば流体らしい。

僕がそれを急いているだけで、あの魚は泳いでいたのだろうか。

そんなことはなさそう。

 

5

4つの怖いことに対して、今日という1日はまあ楽しかったと思う。

きっと僕は、寂しいのが怖いだけだ。

 

終わり

一本道での別れ

別れとはなんだろうか。

多くの場合は価値観の相違、もしくは選択の相違によりそれぞれ別の道に進むときに発生するものだ。

それを指して「人生の分岐点」なんて言われたりもする。

今まで歩んできてきた道も、これから行く道も無数の「わかれ道」があって、たくさんに別れて繋がって、人生は絡み合っている。

 

でももし、真っ直ぐの一本道で一緒に歩いてきた私と彼女なら。

「わかれ道」の無い道で別れなんて発生しないはずだった。

 

 

物心がついたときには、彼女はそこにいた。

同じアパートに住み、同じ保育園で泥だらけになって、同じ学校で義務教育を受けて、そして同じ夢を持っていた。

その夢は私達だけが共有する秘密のもので、でも誰に誓わずとも絶対に叶うものだと無邪気に信じていた。

 

---

「私は、あなたを理解できない」

私と彼女は同じ道の上にいる。

わかれ道なんてどこにもない。

ただ、私が歩みを止めたのだ。