昇り降りの日々

学務様が見てる

君と食べるごはん

ここ数ヵ月、ちゃんと味わって食べるものがなかった気がする。

取り敢えず今後のためにたくさん食べて噛まずに飲み込んで、それでいいや、って思っていた。

今日、それをゆっくり味わってみたら、想像以上に美味しかった。

それは昔好きだった味を作ったひとのレシピで、もう僕には通用しないんじゃないかと思っていたけど、その予想を裏切って僕の心に、脳にぶっ刺さった。

 

そうやって沸き上がる気持ちを表現しようと思ったら文字になる。

僕の中で暴れているのは『外に出たい』と昂る気持ちではなくて、『外に出したい』という外圧だ。

ただぼんやりと『xxをしたい』という気持ちを飼っているけれど、それを上手く走り回らせる能力が著しく低下していってる気がする。

『どうせ完成しない』『どうせ誰かが読んでくれるわけでもない』言い訳の方が先に立つ。

舞台に立つ、そんな大袈裟なことではないけど、『今の』僕はその気持ちがある。

でも今襲ってくる眠気が、今の僕を殺しに来る。

揮発性の心は、一度眠りについてしまうと今日の味を忘れて、明日の僕は目の前の日常に影響されて生きていく。

僕の心に湧く泉を、澱みの中からそれをさがす自分を、少しずつ殺している。

 

愛、もっと病んで自分に酔っていたい、こんな健全な生活をしていいわけがない。

ギリギリと首を締め付ける、その指の間から漏れでる一滴を、僕は大事に大事に集めて世に放ちたい。

 

they call it XX

早起きしてゆっくり準備して、いつも通りに髪を乾かして、いつも通りに家を出ると、下り坂の向こうに風船が飛んでいた。

朝の8時半なんて時間に似つかわしくないそれは、僕のことなんか気に留めずにふわふわと宙に上っていく。

何日かぶりに帰ってきた寒気の中で、それを立ち止まったままぼうっと眺めていた。

今思うと『なんでこの時間に?』『誰が飛ばした?』『どこから飛んできた?』なんてことを考えるけど、今朝の僕はそんなことも、次の電車の時間さえも頭の中からすっぽ抜けていた。

やがてそれが見えなくなるくらい高く上がった頃、首の痛みで我に返った。

だらしなくスマホを握ったままぶら下がる右手は感覚が消えるくらいに冷え切っていて、急いでポケットに避難させる。

その間ずっと暖を取っていた左手の時計を確認したら、いつも遅刻ギリギリで坂を下っている時間だった。

あれだけ時間に余裕をもって家を出たのに、結局いつも通りの余裕のない出勤になって、全力疾走で坂を下る。

いつもは無理やり回す感覚の足だけど、今日は少し宙に浮いているかのように軽い。

下り坂が終わるのが惜しいと感じるくらい、走ることに喜びを覚えていた。

でも横断歩道を渡ったところで今日は終わり。僕の乗る電車は地下に潜り、谷の底を目指す。

あの風船に名残惜しさがあったわけではないけれど、垂直に開いていく距離に若干の寂しさはあった。

 

 

視界

ものもらいが出来てしまったので、会社を休んで病院に行った。

死ぬほど時間がかかると聞いていたが、秒で終わってしまったので会社をやすんだ意味が全くなくなってしまった。

帰って特になりかするわけでもなくぼーっとして、寝て、起きたらメールが来てたのでちょっとだけ作業して、プリコネやってこの時間。

やっぱり外に出てた方が励起できるなぁ、と当たり前のことに毎回気づく。

 

夕方に起きて暇だったので、なんとなく外に出たら外が恐ろしく綺麗で気が狂いそうだった。

時々目にはいる全ての風景がバカみたいに美しく見える日がある。

オレンジに染まる空に、街の輪郭が映えて『あー向かい側にも丘があるんだなー』ってあんまり意識したことないことに気づく。

ちょっとピントをずらすと、小枝を切り落とされた銀杏が連なってる風景が少し怖くて、でもめちゃくちゃにきれいに見えて、感性がぐるぐるにまぜこぜにされる。

冷たい空気が美味しくて、また煙と混ぜて味わう。

 

みんな私が大好き

最近ちょっと心も体も調子良くないなぁーと思う。

心なしか部屋の空気も淀んでいる。

攻撃的になる要素は極力生活から取り除いた。

なぜか僕は理性を失って感情的に包丁を振り回している現場に野次馬しに行くことがおおくて、多分そこが良くなかった。

きっと『世界はこれだけバカだ』という安心感や『もう世界はダメ』という負の感情に酔いたかったのだと思う。

情報を絶つ以外に、自分から流れ出る悪を止めることも必要だが、それに関しては『水族館の写真をはる』『顔のいい女についての感想を述べる』で大体解決することがわかった。

ちょろ~い。

最寄り駅から、下りか上りか、早く到着した方に乗ろうと決めて家を出た。

下りなら藤沢まで行って、稲村ヶ崎で夕日でも見る予定だった。

若干下りが早くくることを期待していたけど、残念ながら上りが先に来た。

目的地は特にないけど、上り電車に乗る。

どこへ行こう、本を50ページくらい読んだところで飽きて、スマホをいじっている。

半蔵門線で一本で行けるところがいい。

大手町まで行って、丸の内で新しい時計のベルトを買うのもいいかもしれないし、三越前から歩いてて秋葉原に行くのもいいかも。

久しぶりに神保町でふらつくのもいいかもしれない。

結局何をするか思い付かないまま三越前で降りて、あきはばらへむかう。

ぺったんこの靴で2knくらい歩いて、友達から『飯を食おう』と連絡があったので適当に時間を潰してから合流して、神保町まで歩いてカツ丼(?)を食べて、大手町まで歩いて、電車のって帰った。

人間と喋るとメンタルが一般人のそれに戻った感覚があって変な浮遊感がある。

みんなこれくらいが普通なんだろうなぁ。

ネオテニー

耐えられなくなってTwitterを復活させたが、やっぱり僕は全てのものに皮肉を言わないとやっていられないようで、流れてくる全てに噛みついて時間を浪費していた。

もうダメだ。こうやって自分のそばに無いものにさえ噛みついて怒って、何もいいことがない。

かといって泡の中に閉じ籠っていては自分の片寄った思想が強化されていく一方だ。 

でもオープンに世界の思想の流れを受け止めといたら気が狂う。

Twitterで得られるインプットなんて何もない。

 

酒に酔った時のことを思い出す。

いつもいつも僕は『覚えてない』ふりをするけれど、指摘されたことは全て覚えていて、『ここでふざけたら面白いだろうな』というつまらない打算で倒れたりトイレにこもって吐くふりをしたりする(本当に吐くときもある)。

こんなところでさえ自分は大したことない考えで自分を動かしていることに気づいてイライラする。

くだらない、くだらない、自分をずっと片づけている。

 

人差し指の皮がまた一枚、また一枚薄くなっていく。

こういう曖昧な痛みが僕にとってちょうどいい。

毎日xxxへのテロリズムを考えては、『きっと実行できないだろうなぁ』と落ち込んで眠りにつく。

だって僕は結局僕が一番好きだから。

倒れている

この土日、本当は水族館に行きたかったのに体調がなおらないまま布団に引き込もっている。

ひたすら寝て、起きたら本を読んだりやが君を見たりしていた。

そもそも鼻水が止まらなくて呼吸がうまくできない。

せっかくの休みがこうやって潰れていくの、しんどいなぁ。

 

本当はやりたいことってのがいっぱいあって、特に文字かいたり線引いたりしたい。

一月は結局ちゃんと書いたものはなかった気がする。

 

暇ついでに会社のチャットを遡っていたら、僕が入社したくない理由No1の内容を見つけてしんどくなってしまった。

先輩に『やりたくないなら入らなくてもいいんだよ』と言われたのだけど、特にやりたいこともないのと、就活がしんどいので多分このままはいる。

この前もしんどいことがあって『なんでこんなことしようとしてるんだろうなぁ』と考えている。

僕がやろうとしていることはコミュニケーション能力が物を言うやべー仕事だ。

コミュ強しかいない世界で、人と関わるのがだるい(もしくは「怖い」の方が正しいかもしれない)と考えてる僕がうまくやれるはずないんですよね。

尊敬できる人が数名いるのが救いだけど、僕みたいな人間が「この人にはついていきたい」と思ってるんだから大多数の人間も同じようにそう思っている。

僕に安地はないのだ。

逃げる先を探さなきゃいけないが、今後は逃げ先にも『社会的責任』が負えるところじゃないといけない。

逃げたい、逃げたい、逃げたい、藤沢か尾道に住みたい、海が見えない街で暮らしたくない。