昇り降りの日々

学務様が見てる

将来に対する唯ぼんやりとした不安が体に緩くまとわりついている。

済んだ空気に浮く湖を見た土曜日、その時だけはなんとなくの幸せを感じていたけど、次の日東京に向かう電車の中で、街がまとう空気が少しずつ重くなっていくのを感じた。

自分は本当にいい職業についている。
東京の過密な情報におぼれていてもなおそれがわかる。
だけどふと中身が空洞化していく自分に気づいたとき、周りの情報の圧に押しつぶされて崩れそうになる。
少しずつ自分の中から自分を構成するものが消えて、内圧が下がっていく。
何かを見たときに湧き上がるやる気だったり、創作意欲だったり、そういったものが日に日に薄くなっていく。
きっとこのままだと、ただ薄っぺらい「感動」に成り下がるのだと思う。

こうやって紡ぐ言葉も段々と薄くなってきて、何か自分の中にある不安感すらも形にできなくなっている。
例えマイナスであれプラスであれ自分の中にある激情のようなもので記事を書いていたけど、それすらもできなくなると考えると怖い。

底のない穴が自分の中にある。
小さな穴だけど、少しずつ自分の中のものを深い底に奪っていく。

今の気持ちをうまく言葉にできた自信がない。
唯ぼんやりとした不安、それが一番適切だからと使った言葉もかつての文豪から盗んだ言葉だ。

ただ僕の周りの人間が幸せであってほしい、それに対して僕は何か寄与するようなことをしないけど、唯一自分の中で言語化されている。
友人皆が僕を置いて行った時が、真のその時なんだと思う。

巷でバズっているエッセイがとても面白くて、一気に読んでしまった。

若い頃の著者が、少し曲者な祖母とロンドン旅行をした話。

 

https://sutekibungei.com/novels/8fb67ecd-d05f-4d7f-a3e2-cdbd287b179a/f1eed0e3-e6da-4001-8ec7-049d18a0e5e8

 

自分に自信を持つこと、人と繋がること、そこを自分は強く感じ取った。

愛になりたいと改めて強く思う。

独りで生きていると希薄になりそうな諸々が、少しだけ回復したような気がする。

 

緩やかに

考える余裕がある、どこまでも深く起きていられる土曜日の夜に希死念慮が顔を出す。

思考の隙間に入り込んできて、確定していない未来を「唯ぼんやりとした不安」に変える。

今すぐ死ぬことはきっとしないけど、今自分を支えているものが消えた瞬間何もできなくなる気がする。

今抱えている仕事をそのままにして死ぬと迷惑だろうな、とか、その程度のことだけど、一種の苦しみを糧にしないと自分の人生に意味が見いだせない。

自分自身の人生のピークや他人の人生に基準を持っているから、僕は一生何も見つけられないまま死んでいく。

 

どうして俺は愛じゃないんだ。

教育で手に入れた理性が、自分の根底の醜さを見ては激しい嫌悪感を示す。

こんなに汚い人間として生きるくらいならいっそ消えたほうが世界の浄化に貢献できるのでは、とさえ思う。

まして誰かを養っているわけでもないから、多少他の人の精神に害を与えることはあれど、金銭的な実害は一切与えないはずだ。

 

わかりきっているトリガーに触ってしまうのも本当に良くない。

一生僕には手に入らない「都合のいい安息」に思いを馳せたところで何にもならない。

独り身を誰も救わないことは確かだが、同様に独り身でない人間だって誰にも救われない。

自分で自分のご機嫌を取れないやつから死んでいく。

 

結局自分は、自分自身に対しても世界に対しても理想を持ちすぎているだけなのだ。

世界は僕の友人たちのように美しくないし、もしかしたら友人たちも僕の見えないところでは醜いのかもしれない。

 

書いてたら落ち着いてきた。

どうせ寝て起きたら忘れている。

 

愛になりたい、ただそれだけ。

藤井風の昔の動画を見ながら「彼は音楽の神に愛されているんだ」と感じた。
ピアノ教室で習うような細かい技術があるわけではないが、誰が聴いても彼自身も彼が奏でる音楽も楽しんでいることがわかる。
自分よりも遅く生まれた人間の、何年も前の動画に見える才能に嫉妬した。
こんな才能をもって生まれれば自分も……と、テンプレートのような感情にかき乱される。
自分にはこの曲が弾けなかった、と思い返した時、彼は僕以上にピアノに向き合った時間が圧倒的に長い、という当たり前のことに気づいた。
技術的な面じゃない、才能の面でもない、ただ自分よりも音楽に向き合った時間が長い、まずその時点で僕と彼は違うのだ。

僕は何の才能に愛されなかったが、同様に僕も時間をかけて何かに向き合ったり愛することはなかった。
何かしらの才能に育つものを愛してこなかったから、自分は今何にも愛されていないのだ。
彼は音楽を愛したから、何よりも長く向き合ったから、音楽に愛された、ただそれだけだ。

才能に愛されたいから、と才能と信じる何かを今から愛するのは違う。
そんな心のない浅はかな感情は愛ではない。
「愛してる」は見返りを求めるものではないから、眠っているときに相手に囁くのだと星野源のANNで言っていた(何かしらの引用だった気がする)。

お前はいつもそうだ。
このピアノはお前の人生そのものだ。お前はいつも失敗ばかりだ。
お前はいらんなことに手を付けるが、一つだってやり遂げられない。
誰もお前を愛さない。

お前が何も愛さないように。

もう9月も終わるらしい(振り返り)

自分用の半期振り返りだよーん

社会

1年半働いて、ある程度の仕事はできるようになっていると思う。
優秀な後輩が入ってきたのもあって徐々に自分の仕事とその信頼がなくなりつつあるのを感じるが、まあ許される範囲の中で働こうと思う。

近況1

昔の夢をよく見る。
燃え尽きて吹き飛んだと思っていた気持ちはまだ脳みその奥のほうに残っているらしい。

人に対して未練があるというよりも、過去味わった気持ちをもう一度再現したいという欲求が正しい理解な気がする。
馬鹿だったころにしかできない燃え上がるような感情に駆動されて走り出してみたい、けど自分の心は適度に成熟したのもあっておそらくそんな状態には二度とならない。

しょうもない過去に縋りつく惨めなおじさんとして残りの人生を生きていくんだろうなあ、と何度も自分を評価しているが、どこかでまだ自分は若くいられるような幻想にとらわれている。

近況2

何もしたくないが何かを成したい気持ちはある。
現状の仕事では特に何かあるわけではないが……
ボケっと「何かしらになりてぇ」という思いだけで日々を適当に生きている。
もうすぐ27歳なんだって。
30、35になるまでに社会人以外の肩書というか、こういう人なんですという人に見せて恥ずかしくない証を持っていたいよなあと思う。

ボケっと考えているやりたいことなど

  • 趣味をもう少しうまくやりたい。
    有象無象でいるのが耐えられないわけではないが自分が存在していることに意味はあってほしい。
    どうやっても弱小の壁を越えられてない感じから脱したいので、技量はあるけど上手くいってない人を分析しては同じ轍を踏まないようにしたりしているが、そもそも技量が私にない。
    どうしたらいいんだ
  • 仕事をもう少しうまくやりたい。
    結果的に病むことになるので、病まない程度に(つまり怒られない程度に)根回しを徹底するとか、あくまでも仕事をやる社会人として最低レベルを引き上げておきたい。
  • 生活の無駄を消し去りたい。
    一つは時間の無駄。Youtube見て時間をドブに捨てたり、スマホいじって夜更かしすると病むので、最近はKindleを握るようにしている。メモとか取らなくていいから、教材動画を見たり聞いたりするだけでもいいかも。
    もう一つは空間の無駄。断捨離は性に合わないが、いらんもんを買ったり貯めこんだりするのはそろそろやめたほうがよさそう。

でかめのことだと

  • 世界を転々としながら生きたい
  • 今より広い家に住みたい

とかふわっとした感じ。

仮にこれが全て達成されたとして、自分が満たされる感じがしないのでもう少し深堀しないといけない気がする。

総括

自分の機嫌は取れるようになってきたので、行動面でもう少し頑張りましょう。

220424

小中学校の同級生の結婚式に参列した。
メインはきっと今のお友達が中心だったので、自分達は立ち位置としては添え物くらいの感じだった。
別にその点に関しては「まあそうよな」と納得しているので、招いてくれたこと自体に本当に感謝している。
きっと自分のこの先の人生で結婚式に参列することは数えるほどもないだろうし、めちゃくちゃ貴重な経験をさせてもらった。

本当に全てが素敵な式で、同じテーブルの同級生と同窓会トークをしたり、新郎のお父さんと喫煙所で色々裏話を聞いたり、所々でもらい泣きをしてしまったり、溢れる幸せに満ちた空間に身を置いたときの感覚に溺れていた。
きっと世界の幸せ全てが今この空間に集まっている、そんな錯覚を覚えた。
かしこまった場はエネルギーを使ったけど、二次会で友人と喋っているときも、帰るときも、幸せの余韻が自分を纏う空気のようにふわふわと漂っていた。

でも帰ってきた瞬間に、その空気は狭いワンルームの中に霧散していった。
ゴミが散乱して床の見えない暗い部屋、布団の上に脱ぎ捨てられた服、投げ捨てられたスケッチブック。何かで溢れているのに何もない自分の部屋。
好きであふれた自分の城が、真っ白な棺桶を覗いたような気分になってしまった。
バッグを投げ捨て、スーツをその場ですべて脱ぎ、普段帰ってきたときのように布団に潜り込む。
いつも通りに進む自分の時間がからっぽで、何かに追われているような感覚に陥る。
時間から逃げるようにいろんなものを見ては取り込み、また無駄な時間を過ごした自分を殺したくなる。

何もない、何も生まれない、何もできるようにならない、ベルトコンベアの上流から流れてくるものをひたすら加工する人生は本当に幸せなのかなんて何億回も考えた昔の悩みがまた蘇ってくる。
怖くなって引出物のお菓子を全て貪り食って、何も解決しなかったことに気づいて悲しくなる。
自分は何をしているんだろう、何もできない、給料を刹那的な消費に溶かして、また死にたくなる。
何をなしたいのかもわからなくなってくる。
自分のものではない借り物の幸せの反動を棺桶の中で味わっている。

早く終わってほしい、けれど自分を終わらせてくれる人すらいない。
もう自分が何を考えているのかわからない、何もしたくない、何をしたらいい、するべきことはいっぱいある、叶えるために立てた計画も簡単に崩れる。

渦巻く感情を一つずつ単離して分析して向き合うことにきっと意味はないからこの日記はここで終わる。
今日も意味のない練習をして自分をごまかしておしまい。

疲れた

全部放り投げて無心でピアノを弾いていたら急に涙が止まらなくなった。
自己肯定感が限りなくゼロに近くなって、やることなすこと全てが中途半端に見えてくる。
この時弾いていたピアノだって、毎日描いている絵だって、できる部分だけやって成長が全くない。
仕事も何一つ求められているレベルに達しない。
パッと見いろんなことができるように見える、それなりの肩書もあると思う。
だけど自分には何もない、誇れることが何もない。
誰かより何かできる部分が一つもない。

働き始めて1年経つ。
それなのに自分ができるのは単純作業だけ、そこから何も生まれない。
単純作業でさえミスがある。
きっと来週には失望のため息をまた聞くことになる。

手札にあるカードで勝負するしかない、何度も何度も何度も何度もその言葉を言い聞かせるものの、勝負には挑まない。
ずっと目の前の壁から逃げて、小学生でもできることをやって小さな自己肯定感を必死にかき集めている。
目に見える光がまぶしすぎて、自分の中の影がどんどん大きくなっていく。

誰かに話しても、きっと社会規範の中でしか助けてくれない。
そもそも誰かに助けてもらおうとしているのが本当に醜い。
必死に逃げながらつかんだジャージの感触と、あの時の言葉が今でもたまにフラッシュバックする。

もう何もしたくない、一人ぼっちで楽に死なせてほしい、でもそんなことは起きないし起こす勇気もないから惰性でだらだらと全てを続けている。
今までとは違って、逃げた先には何もない。
逃げることもできないから、その場でずっと膝を抱えて泣いている。
消えてなくなりたいのに、自分を生かすための金や成果を手に入れるために苦しんでいる。
殺してくれ、早く殺してくれ、終わりたい、助けてくれ、そんな風に絶叫しながらシャワーを浴びて、何事もなかったかのように布団の上で虚空を見つめる生活をずっと繰り返していく。

こうやって文字にして吐き出して、客観的に自分を見ないとどんどん自分が自分を追い詰めていく。
生まれた暗い自分を切り離して広い海に流して、またいずれ現れる同じような自分をまた切り離して、を繰り返していくしかない。
ちょっと落ち着いた、適当に眠って適当にまた明日から生きていこう。