昇り降りの日々

学務様が見てる

緩やかに

考える余裕がある、どこまでも深く起きていられる土曜日の夜に希死念慮が顔を出す。

思考の隙間に入り込んできて、確定していない未来を「唯ぼんやりとした不安」に変える。

今すぐ死ぬことはきっとしないけど、今自分を支えているものが消えた瞬間何もできなくなる気がする。

今抱えている仕事をそのままにして死ぬと迷惑だろうな、とか、その程度のことだけど、一種の苦しみを糧にしないと自分の人生に意味が見いだせない。

自分自身の人生のピークや他人の人生に基準を持っているから、僕は一生何も見つけられないまま死んでいく。

 

どうして俺は愛じゃないんだ。

教育で手に入れた理性が、自分の根底の醜さを見ては激しい嫌悪感を示す。

こんなに汚い人間として生きるくらいならいっそ消えたほうが世界の浄化に貢献できるのでは、とさえ思う。

まして誰かを養っているわけでもないから、多少他の人の精神に害を与えることはあれど、金銭的な実害は一切与えないはずだ。

 

わかりきっているトリガーに触ってしまうのも本当に良くない。

一生僕には手に入らない「都合のいい安息」に思いを馳せたところで何にもならない。

独り身を誰も救わないことは確かだが、同様に独り身でない人間だって誰にも救われない。

自分で自分のご機嫌を取れないやつから死んでいく。

 

結局自分は、自分自身に対しても世界に対しても理想を持ちすぎているだけなのだ。

世界は僕の友人たちのように美しくないし、もしかしたら友人たちも僕の見えないところでは醜いのかもしれない。

 

書いてたら落ち着いてきた。

どうせ寝て起きたら忘れている。

 

愛になりたい、ただそれだけ。