昇り降りの日々

学務様が見てる

220424

小中学校の同級生の結婚式に参列した。
メインはきっと今のお友達が中心だったので、自分達は立ち位置としては添え物くらいの感じだった。
別にその点に関しては「まあそうよな」と納得しているので、招いてくれたこと自体に本当に感謝している。
きっと自分のこの先の人生で結婚式に参列することは数えるほどもないだろうし、めちゃくちゃ貴重な経験をさせてもらった。

本当に全てが素敵な式で、同じテーブルの同級生と同窓会トークをしたり、新郎のお父さんと喫煙所で色々裏話を聞いたり、所々でもらい泣きをしてしまったり、溢れる幸せに満ちた空間に身を置いたときの感覚に溺れていた。
きっと世界の幸せ全てが今この空間に集まっている、そんな錯覚を覚えた。
かしこまった場はエネルギーを使ったけど、二次会で友人と喋っているときも、帰るときも、幸せの余韻が自分を纏う空気のようにふわふわと漂っていた。

でも帰ってきた瞬間に、その空気は狭いワンルームの中に霧散していった。
ゴミが散乱して床の見えない暗い部屋、布団の上に脱ぎ捨てられた服、投げ捨てられたスケッチブック。何かで溢れているのに何もない自分の部屋。
好きであふれた自分の城が、真っ白な棺桶を覗いたような気分になってしまった。
バッグを投げ捨て、スーツをその場ですべて脱ぎ、普段帰ってきたときのように布団に潜り込む。
いつも通りに進む自分の時間がからっぽで、何かに追われているような感覚に陥る。
時間から逃げるようにいろんなものを見ては取り込み、また無駄な時間を過ごした自分を殺したくなる。

何もない、何も生まれない、何もできるようにならない、ベルトコンベアの上流から流れてくるものをひたすら加工する人生は本当に幸せなのかなんて何億回も考えた昔の悩みがまた蘇ってくる。
怖くなって引出物のお菓子を全て貪り食って、何も解決しなかったことに気づいて悲しくなる。
自分は何をしているんだろう、何もできない、給料を刹那的な消費に溶かして、また死にたくなる。
何をなしたいのかもわからなくなってくる。
自分のものではない借り物の幸せの反動を棺桶の中で味わっている。

早く終わってほしい、けれど自分を終わらせてくれる人すらいない。
もう自分が何を考えているのかわからない、何もしたくない、何をしたらいい、するべきことはいっぱいある、叶えるために立てた計画も簡単に崩れる。

渦巻く感情を一つずつ単離して分析して向き合うことにきっと意味はないからこの日記はここで終わる。
今日も意味のない練習をして自分をごまかしておしまい。