昇り降りの日々

学務様が見てる

藤井風の昔の動画を見ながら「彼は音楽の神に愛されているんだ」と感じた。
ピアノ教室で習うような細かい技術があるわけではないが、誰が聴いても彼自身も彼が奏でる音楽も楽しんでいることがわかる。
自分よりも遅く生まれた人間の、何年も前の動画に見える才能に嫉妬した。
こんな才能をもって生まれれば自分も……と、テンプレートのような感情にかき乱される。
自分にはこの曲が弾けなかった、と思い返した時、彼は僕以上にピアノに向き合った時間が圧倒的に長い、という当たり前のことに気づいた。
技術的な面じゃない、才能の面でもない、ただ自分よりも音楽に向き合った時間が長い、まずその時点で僕と彼は違うのだ。

僕は何の才能に愛されなかったが、同様に僕も時間をかけて何かに向き合ったり愛することはなかった。
何かしらの才能に育つものを愛してこなかったから、自分は今何にも愛されていないのだ。
彼は音楽を愛したから、何よりも長く向き合ったから、音楽に愛された、ただそれだけだ。

才能に愛されたいから、と才能と信じる何かを今から愛するのは違う。
そんな心のない浅はかな感情は愛ではない。
「愛してる」は見返りを求めるものではないから、眠っているときに相手に囁くのだと星野源のANNで言っていた(何かしらの引用だった気がする)。

お前はいつもそうだ。
このピアノはお前の人生そのものだ。お前はいつも失敗ばかりだ。
お前はいらんなことに手を付けるが、一つだってやり遂げられない。
誰もお前を愛さない。

お前が何も愛さないように。