昇り降りの日々

学務様が見てる

220226

何もしなかった。
いつも通りの時間に起きて、ただひたすらぼーっとして、ちょっとだけ新しいゲームをして、昼寝して、夜に起きてこの時間。
何をする気も起きない。
今日は少しだけ絵を描いて、明日はどこかへ行こうと思う。
水族館とか博物館が楽しそうだなぁ。

終わり

穏やかに死なせてやることがどれだけ大事か、惜しまれる葬式を上げることがどれだけ大事か、本当によくわかる日だった。
片方では一時代を築いたコンテンツが終わり、片方ではこの情勢の中で満足のいく葬式をあげられずジダバタともがいている。
後者には1年位前に見切りをつけたものの、やっぱり大きな墓が建ってほしいとどこかで思っている。
死んだ者は生き返らない。コンテンツにも同じことが言えて、一度死んでしまえば新しい別物として生まれ変わるほかない。
だからこそ死に関しては慎重であるべきだが、だからと言ってチューブにつながれたまま理想の死を待つみじめな姿は見ていたくない。
同じようにたった一人のカリスマが創めた話なのに、どうしてこうも違うのだろう。

改めてコンテンツの属人性について考える。
組織に飼われているコンテンツは、運営といわれる架空の人間がすべての責任を負っている。
中身が見えない代わりに全線で矢を受ける人間がいない。
少人数のカリスマが動かしているコンテンツは、個人に依存した物語がコンテンツを補強する代わりに、その個人の強さ自体がコンテンツの強さそのものになってしまう。

コンテンツに限らず、僕たちは心のどこかでたった一人のカリスマが見せてくれる世界に期待している。
世界はどうだか知らないが、少なくとも自分の周りでは黒船やゴジラのような、異世界から来た得体のしれない変革を求めているように見える。
自分は変わらない、変えられない、だから巨大な何かに自分を含めた世界を変えてほしいと思っている。
自分では歴史を作れないが、歴史の一部になることはできる。

世界を変革する力が欲しいと思っていた、だけど僕もやっぱり変革を待っている人間だ。
終わる世界をぼうっと眺めながら、「自由」に飼いならされている自分に新しい飼い主が現れるのを待っている。
早く僕も終わらせてほしい。

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