昇り降りの日々

学務様が見てる

20200601

概況

雨、ちょっと寒い。
子供の声が聞こえなかったので学校が始まったのかと思ったけど雨が止んだら聞こえてきたので雨のせいだったっぽい。
ただ、ゴミ捨てにいくときにたくさんの親子が歩いていたので保育園とかは始まっているかもしれない。

ここ最近毎日昼寝している

8時過ぎに毎日起きられているのだけど、やる気が起きなくてもう一度布団にダイブするとそのまま2時間くらい寝てしまう。
せっかく朝ごはんも食べたのに。
毎朝友達と作業通話するのも申し訳ない気がするので、自分なりの対処法を見つけなければいけない。布団たたむとか。
あとは寝る時間を1時にするとか朝コーヒー飲むとか。 いろいろ試さないといけない。

明日やる

紙ゴミ、掃除、Root作り、朝飯はパンとコーヒー、余裕あれば100きんで透明コップと箱

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6月ですね

20200531

寝て起きてたら5月が終わった

最近かなり規則正しい生活をしている。
どんだけ遅くても2次半には寝るし、大体9次までには起きる。
今日もいつも通り8時すぎに起きたのだけど、何かをする気がなくてまちかどまぞくを読んで昼寝して起きたら夕方だった。
何もしていない。
Twitterとかそういう意味のないものに時間を食われすぎている気がする。
そもそもやるべきことを先送りにしすぎているせいで「これをやらなきゃ遊べない」という意識が先行して、でもやる気が起きないから何もせずに時間が過ぎていく、みたいなことが多すぎる。何回目の気づきだろう。

生活リズムは一ヶ月かけて健康なものを確立できたような気がする(あと1時間くらいサイクルを早めるのが理想だが)ので、次は時間割で動けるようになるといいかもしれない。

大体19歳、20歳くらいを底にして、ここ数年はかなり精神が健康な気がする。
前書いたようないわゆる『ポテンシャルの底上げ』が多分うまくいっている気がする。
今はバイトのことも考えず金のこともあんまり考えずに生きられるから僕の精神を邪魔するものはかなり少ない。
今のうちにもう少しうまくやりたい。

何食ってるか思い出せない

飯食ったかどうかの記憶が曖昧になっている気がする。
これも時間固定して食えば解決なのだけど、食べたいものがコロコロ変わるので腹の空き具合が毎日違う。
今日はクソまずいサンドイッチを食った、二度と食わない。

5月総括

なんもしてねえ気がする。
少なくとも研究は過去の業績を少し弄ってやってる感を出しただけで新規の成果はない。
授業も出席はしているがまともにやれてない。 絵は描いたけど最近やる気がない。
文字も書いたけど最近何も書いてない。
自分の地域から出ないまま三ヶ月経ったけど、意外と暮らしていける。
とりあえず大学のこと最優先で頑張りましょう。

スポーツ聞いてれば何かしら体が動く、ようやくウルトラCを買った。

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20200527

ミーティング

今日オンラインでの集まりがあったのだけど、まあ中々にわからせられることが多かった。

上がり症とまではいかなくても、人に何か発表するとパニックになって早口になったり手の動きがおかしくなる。

色々原因をいつも考えてるのだけど、主に

  • 自分が話そうとしている文脈を損ねたくない(なので遮られないように早口になったり何も聞こえなくなる)
  • 自分の印象を損ねたくない(なので結論よりも先に理由(言い訳とも言う)が来て支離滅裂な文章になる)

があると思う。

そもそも自分はパニックになったときに視界とか聴覚が消える(昔それがとんでもないときに発動して死にかけたし殺しかけた)ってことがわかっていて、脳みそが自分の理性を挟む余地がなくなって意図しない行動が現れる。

パニック状態で話したときの言葉は昨日見た夢のような感じにふわふわとしか覚えていなくて、どこ見てたんだろうとか、何か言われていたような気がするとか、何分喋っていたかとかが全くわからなくなる。

じゃあ今の場合はなぜパニックになってるかというと自分を取り繕いたいと強く思う気持ちがトリガーになっているっぽい。

他人に自分を誤解されたくないというプレッシャーを複数人から受けるとそれぞれが処理できなくなって発動する。

多分対処は簡単で、話を誤解されることを恐れないようにするとか、自分の主張をごり押ししないようにするとか、雑にいうと『取り繕わない』ようにすることだと思う。

虚勢をはれる相手(最悪の表現)では特に何も起きないんだけど、僕のハリボテを見抜く『本物』がその場にいるんじゃないか、見抜かれたら自分の立場がなくなってしまうのではないかと少しでも感じると言い訳から入るようになり、やがて脳が処理落ちしてパニックになる。

最初から敗けを認めておくと楽かもしれない。

 

励起・基底

調子がいいときに立てた計画はあてにしてはいけないというのは4年くらいかけて理解したけど、じゃあその間にガンガン進捗生んどくってのは多分間違い。

自分は浮き沈みが激しいことはよく理解しているので、励起状態(気分が乗っているときのことをこう読んでいる)のときはポテンシャルの底上げをするべきなんだと思う。

浮き沈みの『沈み』の部分を出来るだけ浅くして、平均のパフォーマンスを上げることで社会的な規範に従う人間に近づける。

自分に求められているのはピーキーなペース配分や出力ではないはずなので、出来るだけそういう形でメンタルコントロールのすべを探していかなければならない。

焦る、焦がれる、焦げる、常に頭のなかに『焦』の一文字から生えた感情が暴れている。

流れをひたすらに飲み込んでいないといけない、みんなが僕を指差して笑っている、存在しない過去が恋しい、放っておいてもやって来る未来に怯えている、大気圧は等しく1atmなはずなのに、自分だけ重圧に耐えているような気持ちになる。

そのまま床に押し付けられて体が起き上がらない、少しずつ自分の周りを満たす流体がコンクリートのような高い粘性を持ち始めて、どちらにも動かなくなる。

頭のなかに作ったイメージを無理矢理実体化させて身に起きる気だるさに言い訳をしている。

どうということはないが、もう少し負荷がかかって脳のまんなからへんが熱くなる感覚を味わうべきなのかもしれない、もしくは流れの中から去るべきなのかもしれない。

 

僕の周りの本物は無駄を嫌い、常に回し続けている、僕はずっとインターネットを泳いで負の感情を食べ続けて自意識を肥大化させていくだけだ。

理性ではわかっているのに、自分の中の淀みがコントロールできない。

汚い、汚い、わかっているのに暴れる負のエネルギーを理性が無理矢理ねじ伏せようとして、最終的に口から汚い言葉として出てくる。

昔からゲージが常に振り切れているときは気がすむまで「殺す」だとか「クソ」だとかもっと汚い下の言葉を大声で叫んで、それが辛くてさらに呻き声をあげてしまう。

ほぼ毎日誰かと喋るようにはしているが、それでも一人でいる時間がこれだけ長くなると叫んで呻く回数が増えていく。

ただでさえ2月時点で通勤中に何度も呻き声をあげて恥ずかしい思いをしたのに、それより加速してしまった今、何者かに変装する技術さえも衰えてしまって怖い。

何も出来ない、呻くしか出来ない、自分自身で救うしかない、しんどいけど。

フラッシュバックをねじ伏せるのではなく、受け流せるようになったらいいのかもしれない。

 

何を書きたいかわからなかった、けれど何か書かないといけないという強迫観念があってスマホが手放せなかった。

分ける

進捗を追い詰められないと産めない

昔からそうだけど、追い詰められた先からさらに追い詰められた先、3段回くらいもう後に引けないという状況でめちゃくちゃ頭が回る。
2週間かけていたことが数分でできちゃったり、その理解度が高い時間が数時間持続できたりする。
自分で脳に圧力をかけて無理やりに計算を回すような感覚がいつもあって、これがいつでも発動できるようになったらいいのになと思っている。
まあB4の頃から同じようなことを思っているけどなかなか実行できない。
いわゆる過集中ってやつなんだと思うけど。
結局これを自力で発動するってのは多分無理で、追い詰められた時にしか回らない頭をサポートするための準備をするしかないことがわかる。
例えば、なんの役にも立たないような、恐ろしく細かく細分化され簡単化された問題を2日程度で遊ぶとか(例えば今の状況だったら2次元美少女をDCGANで実装するという遊びは確実に今日の役に立ったはず)とか、使うべき書類を片っ端から探すとか、Toymodelのサンプルコードを理解しなくてもいいからとりあえず回せる環境にしておくとか、色々そういう方法はある。
適切に問題を切り刻まないと、僕は動けない。

飲んだもの

缶のレモンチューハイ(話題になってたやつ)の黄色を飲んだ。
最初飲んだ時は甘さがなかったので正直全然飲む気が起きなくて半分残したけど、あとで飲んでみたから意外と行けた。
あとでってのは今なんだけど。
結構量あるし、今半分飲んだだけで顔面真っ赤っかのベロンベロンなので1巻飲むのは今後やめといたほうがいい気がする。
ミスタイプを認識できるくらいにはまだ脳が冴えてるけど。
自分に合った適切な量の酒を飲もう!

タバコ

最近確実に量が増えている。
どんだけ我慢しても結局夜に色々言い訳をつけて吸いに行ってしまう。
目が覚めるから、脳が回るからという理由で吸いに行ってるが、多分タバコを吸うために外に歩いて行って階段を上り下りして、外の空気を吸ってるから目が覚めるんだと思う。
今度から量を各回一本に減らすか、タバコの箱を持っていかないようにして10分外のベンチでボーッとするようにするといいかも知れない。
少なくとも毎日吸うのはやめたい。
ニコチンの奴隷にはなりたくない。

今日の曲

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今だからこそ刺さる曲、僕の場合はずっとTwitterに張り付いてるからいつでも刺さる曲なんだけど。
去年も研究所にいる時に狂ったようにNeko hackerを聴いていた気がする。
追い詰められた時にKawaii Future rockを求めているのだろうか。

お風呂に入って100数えて
お気に入りの歌歌おう
めちゃめちゃ頑張ってる
自分を褒めてくれる
そんな場所よ Home Sweet Home

好き 嫌い 好きじゃない

「好きを仕事にしてはいけない」という話をよく聞く。

ただ最近、自分では「好きにムラがあるものを仕事にしようとすると辛くなる」のではないかなぁと思い始めた。

例えば僕が好きなゲームの運営になれたとして、そこには僕にとって『特別に好き』なキャラクターが存在する。

だけどユーザーの手前、それをひいきすることはできない。

特別に好きなものを一番近くでぶら下げられてる状態で、自分はそれ以外のことを仕事として楽しめるだろうか、多分できない。

「好きを仕事にしてはいけない」が指しているのは、『自分が好きといっているものが包括的な概念なのか、それとも部分的なひとつにしか過ぎないのかを認識してないままだと辛い目に遭う』ってことなんだと思う。

 

別に仕事に限らず、趣味でも「◯◯が好きなんだ」という話題に対して、それぞれがそのコンテンツの箱自体を好きなのか、それとも部分的なものが好きなのかは見極めなければいけない。

知識量至上主義のオタク世界のなかで、偉いのは前者の『好き』の在り方であるから、どうしてもそちらにみんな話を合わせていこうとしてしまう。

結果的に、『部分的な好き』の伝聞の集合体を自分のなかに作ることになり、それを作るために権威の『好き』を取り入れることに労力を割くようになってしまう。

自分の身の回りに見える最近の流行りものは大体そんな感じだ。

出来るだけ大きな『身内』の集合体を作るには『包括的な好き』を持つものによって指導され、部分的な好きしか持ち合わせていないながらも大きな集合体に所属したいという人間がその中の共通規範としての包括的な好きを学び、それを経典としてキャッチアップし続ける。

一見多様性をもったように見える集団でも、結局その指導者につき従っているだけだ。

 

好きに真摯であるとはどういうことだろう。

きっとそれは自分の好きを見定めて権威の侵略を許さないことだと今の僕は思う。

 

好きを共感するとはどういうことだろう。

きっとそれは互いの好きが同調するところを探すことよりも、相手が向き合った好きを尊重してその熱意に触れることじゃないかと今の僕は思う。

潜在、顕在

僕たちは一生懸命自分を何かで特徴付けようとしている。

あんなことがあった、こんなことがあった、その言葉の裏にあるのは『共感したい』という思いではなく『僕がこういう人間であることを知ってほしい』という欲求だ。

むき出しになった顕示欲で、到底『他人』には理解されない自分の潜在的な何かを晒そうとしている。

僕たちは真の意味で他人とは共感していない。

学校でならった、教科書にかいてあった、社会にいる人達を真似した『共感の方法』をインストールして、その通りに実行しているだけだ。

他人との共感の仕方を学べなかったがために、他人に自分のことを知ってもらおうと躍起になって、こうやってブログを書く、Twitterにつぶやく。

それは「特別なあなたに共有したい」ものではなくて「ここにいる奴等に自分という人間をわからせたい」という欲求。

自分が優位にたてる人間だけを集めて、自分に構ってくれる人間だけを集めて仰々しい演説をしているのと変わらない。

コミュニケーションではないのだ。

そのなかから「こいつは同等と認めてやってもいいだろう」なんて上から目線の選別で共鳴する相手を選んで、鳴き声のような定型文でコミュニケーションをするふりをする。

僕たちは何もわかりあえない。

鏡相手でもできる、なんだったら壁相手でもできるはずなのに、そこに生身の人間がいるという事実で自分の欲求を満たしている。

 

なぜ僕たちは絶対他人には見えないものを見せたがっているんだろう。

それはきっと、他人に見える外面に何もないからだ。

自信がない、他人から見た僕たちは何者でもない、そう思われるのが怖い、恐怖の裏返しだ。

『僕』はその恐怖をインストールした『理性』でねじ伏せる。

この文を最後まで書ききったということは、『僕』の理性が今日も負けた証拠だ。