昇り降りの日々

学務様が見てる

文頭に『多分』って文字を使いがち

『気がする』もよく使う。

昨日

一人になるために、一人しかいない部屋からバイクに乗って旅に出た。
適当に決めた行き先の展望台は空いてなくて、結局いつもの場所に来てしまった。
こんな夜中なのにいつもよりもたくさん人がいてアウェー感を感じた。

川の水に足を浸して、ボケーっとしてタバコを吸って、それ以外は何もせずに帰った。
別にノスタルジーだとか寂しさだとか、そういう感情はあんまりわかなかった。

今日

早起きしてちゃんと朝ご飯食べたのに、眠すぎて二度寝したら12時過ぎに起きてしまった。
結局16時くらいまで何してたか覚えてない。
そのあとは10時くらいまでずっとゲームしてた。

恥の感情を無くしたい。
もっと簡単にいうなら、見栄をはるのをやめたい。
僕が毎分発狂しているのは恥の感情を想起させられるからで、そして思い返されるシーンが少ないのはその絶対量が少ないからだ。
自分をそのままで出さないことは、相手への信頼がないことを意味していて、自分からの信頼がないのなら基本的に相手からは信頼されない。
僕の周りにいてくれる人(もしくは僕が切らずにいる人)は自分から信頼してコミュニケーションを取ってくれる人だ。
それに甘えている現状を直視しないと、このままどんどん小さく折り畳まれていってしまうように思う。

あるとわかっているもの

最近夜に散歩していると楽しそうな親子を見かける。
背伸びしながらベビーカーを押す4歳くらいの女の子、建物の影に隠れて母親を驚かせようとする2年生くらいの男の子、子供も親もどちらも楽しそうでなんだかこちらも幸せな気分になる。
ずっと自分にはそういうものが得られないという悲しみに苦しんでいたけれど、最近はその存在を知っているだけでいいんじゃないかと思い始めた。
僕が欲しいと思っていたものは一度はこの手にあったもので、それでも尚こんな感情を抱え続けている以上は仮にもう一度それを手に入れられたとしてもきっと何も問題は解決しない。

満足はしてないけど納得はしてる*1というフレーズがしっくりくるようになった。
多分もうこの気持ちに関してはこれ以上考えるだけ無駄だと思う。

憧れの整理

『やりたいこと』と『憧れ』は別物なんだなと散歩しながら気づいた。
憧れは一貫性がありつつもかなり範囲が広くて、よくそれを感じるのは『なんでもできる人』『他人の心を動かすものを作った人』『それによって称賛を受ける人』に対してで、じゃあその人たちがやっていることを自分もやりたいかと言われると答えはNoだ。
僕はその人たちが得ている結果が欲しいだけで、それをやりたいわけじゃない。
昔から僕が言っている生産者になりたいという気持ちは多分その『憧れ』からきていて、具体的に僕がやりたいことではない。

そういう雑な感情からもう少し解像度を上げていくと、本当に僕が憧れている人は数名しかいなくて、しかもその人たちの人間性に憧れているだけでやっていることには一切憧れがないことがわかった。
その人間性というのは『人から好かれたい』であって、それはもはや憧れなんて皮を被ったものではなく単純な僕の孤独と臆病の塊だ。
ぼんやりとした憧れの感情への根本的な解決は、憧れた人と同じ結果を得ることではなく、多分そこを何かしらで解決する方法を見つけることだ。

憧れが自分の何かをしたいというある程度独立していることがわかったので、そこから切り離してやりたいことを考えてみる。
生産、という言葉をもう少し分解してみると自分の分野では『キャラクター』『数字』『言葉』でできていることがわかる。
ということは『生産者になりたい』というのは多分このどれかに当てはまる。
そうなると答えは明白で、僕は言葉が作りたいんだと思う。

僕の心は『人に好かれたい』『言葉が作りたい』のに要素で全部解決できる。
わかってみると本当に単純な人間だなあと思う。
単純な割に解決は難しいけど、残りの時間でどうそれを満たすのかを考えないといけない。

考え事

最近散歩の時間とタバコの時間は情報を頭に入れないことにしている。
基本的にはスマホを持ち歩かずに、何か思い浮かぶならそれについて分解しながら考えてこうやってまとめて、何も思いつかないならその穏やかな感情を出来るだけ維持できるように努める。
もう少し緩く脳味噌が外に開いている状態をできるだけ長くしたい。
スマホがなくなればいいけど、ここまで生活に入り込んでいるとなかなか難しい。
今日はうまくいきすぎている。

youtu.be

*1:おやすみプンプンに出てきたセリフ